絵・間瀬健治

環境ではなく、自分に勝つこと。

環境ではなく、自分に勝つこと。

2019年1月16日創価新報

テーマ多忙な中で成長

青年時代は、職場などでも下積みの仕事を余儀なくされていたり、最前線の労働に追われることが多いと思う。自由な時間なんか、ほとんどないでしょう。しかし、そのなかで、工夫を重ね、懸命に努力し、泣くような思いで、信心に励んでいくことです。その体験を積むなかに、鍛えがあり、困難に立ち向かう生命の”基礎体力”ともいうべき力が培われていく。さらに、それが、自身の福運になっていくんです。だから、苦労は、人生の最高の財産なんです。

多忙な中で、少しでも広宣流布のために行動しようと挑戦する。その心が尊い。たとえ短時間でも、勇んで活動に取り組めば功徳は大きい。むしろ、困難な環境の中でこど成長できるのです。御書に「極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず」(御書329ページ)と御約束の通りです。大事なのは、心が広宣流布へ向かっているこどです。

とにかく仕事が忙しいと、”いつか暇になったら、学会活動に励もう”と考えていまいがちです。しかし、それは間違いです。どんなに多忙であっても、自分のできることを精一杯やっていくんです。(中略)日蓮大聖人は、「仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり」(御書992ページ)と仰せになっています。体である信心が確率されてこそ、その影である仕事をはじめ、世間のことも、順調に進んでいくんです。

戸田先生は青年に語られた。「自分の境遇を嘆いたり、怠けているうちに、黄金の青年時代は過ぎ去ってしまう」と。時間がない、環境が悪いーーこう愚痴を言っている暇は成長はない。私は、戸田先生のもとで働いて、御本尊の前に座れないときもあったが、歩きながらでも題目をあげた。環境ではない。自分に勝つことだ。

(戸田先生が)人材育成について、こう言われたことがある。「人材を輩出するには、忙しいことが大事だ。そうすれば組織が若返る。その中で人材が養成さえるのだ」時間と余裕があれば、その分だけ成長するかといえば、逆である。朝から晩まで、ぼーっとして、価値ある「行動」がない。これでは人材になるわけがない。闘争に次ぐ闘争ーーその忙しさのなかで、人間は磨かれる。学会の人材育成のあり方は、正しいのである。

一緒に語り、一緒に動くのが学会の根本精神である。策でも、方法でもない。(中略)仕事や家事で忙しい時もある。それでもないお、やりくりして、時間をつくって会っていく。それが慈悲である。仏の振る舞いに通ずる。これしか道はない。「人間対人間」のつながりが仏法の組織であり、広宣流布の組織なのである。