月別の広布史-May

5月の広布史

記念日 意義
5月3日/5.3 「創価学会の日」 1951年(昭和26年)5月3日、生涯の願業として75万世帯の弘教を掲げ、戸田城聖先生が第2代会長に就任。60年(同35年)同日には、東京・両国の日大講堂で、池田大作先生が第3代会長に就いた。世界に広がる大民衆運動の原点の日である。※参考資料=『人間革命』第5巻「烈日」、第12巻「新・黎明」
5月3日/5.3 「創価学会母の日」 88年(同63年)4月27日の第1回全国婦人部幹部会の席上、”学会で最も大切な記念日である。「5月3日」を「創価学会母の日」にしたい。そして、広布の母である婦人部を最大にたたえ、顕彰する日としてはどうか”との池田先生の提案を受け、同年から実施された。※参考資料=『随筆 師弟の光』
5月3日/5.3 神奈川文化会館で「正義」「共戦」と御揮毫 1979年(昭和54年)は横浜開港120周年。「みなと祭」が開かれた5月3日、神奈川文化会館の周辺は20万を超える人出でにぎわっていた。”会長辞任式”となった、創価大学での本部総会を終えて、池田大作(いけだだいさく)名誉会長は真っすぐに神奈川文化会館へ向かった。師弟を裂こうとする宗門と反逆者の陰謀が、嵐のように渦巻いていた。5月3日付の読売新聞朝刊では、“過去、現在を問わず最も尊敬する日本人”を聞いた意識調査の中で、第6位として名誉会長の名が挙げられていた。ゴールデンウイークの間、会館の周辺には、会館の建物を見上げ、手を振る、無数の神奈川の同志の姿があった。”よし、こういう同志がいるのであれば、私はこの方々のために戦おう!学会員のために、もう一度、立とう!”名誉会長は、湧き上がる決意を、そう述懐している。そして3日夜、神奈川文化会館で筆を執った。「誓」「共戦」と。 「共戦」の揮毫には「生涯にわたり われ広布を 不動の心にて 決意あり 真実の同志あるを 信じつつ 合掌」との脇書を添えて。また、5日には「正義」――脇書には「われ一人正義の旗持つ也」と。「会合で指導してはいけない」「聖教新聞に出てはいけない」との宗門からの要求の中、名誉会長は、ただ一人、決然と正義の闘争に立ち上がった。「しゃべるなと言われても、書くことができる。書くなと言われれば、音楽を弾いてでも激励できる」と。手紙、記念撮影、ピアノ演奏などを通し、全国各地から集う同志を、抱きかかえるように励ました。階段で。ロビーで。同志の姿があれば、走るように会館内を動きに動いた。名誉会長のいる場所が“本陣”だった。新聞にも報道されない一対一の対話。この励ましの闘争が、世界広布へ飛翔する“新しい創価学会”を開いていく。
5月5日/5.5 「創価学会後継者の日」 1976年(昭和51年)5月5日、関西戸田記念講堂で行われた鳳雛会・未来部の記念勤行会の席上、「こどもの日」を「創価学会後継者の日」とすることが発表された。池田先生は「創価学会にとって『後継者の日』は、5月3日の『創価学会の日』に続く重要な日である。一切の建設は『人』で決まる。『人』といっても、若い世代に託す以外にないからである」と語って。
5月5日/5.5 「トインビー博士との初対談」 76年(同47年)5月5日、池田先生はイギリスの歴史学者アーノルド・J・トインビー博士とロンドンの博士の自宅で初の対談を行った。世代も文化的な背景も異なるが、人類の未来を憂える二人の心は共鳴した。翌年にも語らいを。その後、対談集『21世紀への対話』(邦題)として結実。これまで世界29言語で出版。※参考資料=『新・人間革命』第16巻「対話」
5月9日/5.9 「音楽隊の日」 1954年(同29年)5月6日、に結成された音楽隊が初出動した同月9日が淵源。
5月19日/5.19 「創価学会常住御本尊記念日」 戸田先生が51年(同26年)5月3日の会長就任式の席上、創価学会常住御本尊を発願。同月19日に認められた。※参考資料=『人間革命』第5巻「烈日」「随喜」
5月27日/5.27 モスクワ大学からの「名誉博士号」45周年※令和2年掲載 75年(同50年)5月27日、ロシア最高峰の名門・モスクワ大学から、池田先生にとって第1号となる「名誉博士号」が授与された。本年は45周年。現在、世界の大学・学術機関から先生に贈られた名誉学術称号は「396」を数える。※参考資料=『新・人間革命』第21巻「宝冠」
5月30日/5.30 「池田大作先生中国初訪問」 1968年に日中国交正常化提言を行った池田先生が、中国への第一歩をしるしたのは74年5月30日。以来、10度訪中し、青年交流、教育・文化交流の先頭に立った先生の行動は、両国間に、平和と友誼の揺るがぬ「金の橋」を築いてきた。