月別の広布史-January

1月の広布史

記念日 意義
1月1日
小説『人間革命』連載開始
1965年(昭和40年)元旦、池田大作先生が法悟空のペンネームでつづる小説『人間革命』の連載が聖教新聞紙上で開始。93年(平成5年)2月11日に連載回数1509回(全12巻)で完結した。続編の『新・人間革命』も本年9月8日、6469回(全30巻)で完結した。※参考資料=『新・人間革命』第9巻「衆望」
1月2日1928年(昭和3年)
池田大作先生お誕生日
東京都出身。富士短期大学卒。 1947年(同22年)、19歳で創価学会に入会。戸田城聖先生(当時理事長)に師事する。1960年(同35年)、創価学会第三代会長に就任。約20年間の在任中に、創価学会の飛躍的・国際的な発展をもたらす。1979年(同54年)、名誉会長に就任。1975年(昭和50年)、SGI(創価学会インタナショナル)の会長に就任。世界平和を希求する仏法者、人間主義の活動家として、これまで世界54か国・地域を訪問し、各国の指導者、文化人、学者等と会見、対談を重ねる。創価学園・創価大学・アメリカ創価大学のほか、(財)民主音楽協会、(財)東京富士美術館、(財)東洋哲学研究所、牧口記念教育基金会、戸田記念国際平和研究所など教育・音楽・美術・学術の諸団体を創立。「国連平和賞」をはじめ受賞多数。モスクワ大学、ボローニャ大学などから名誉博士号等の称号も贈られている。主な著書に、小説『人間革命』(全12巻)、『二十一世紀への対話』(A・トインビーとの対談)など。また、『さくらの木』などの童話や、『青春対話』など青少年向けの著作も数多い。
※第三代会長池田大作先生
1月2日池田大作先生が第一部隊長に就任 1953年(昭和28年)1月2日、25歳の池田先生が第一部隊長に就任。1年間で、3倍となる陣列拡大を達成した。
1月3日池田大作先生 日本正学館に初出勤 1949年(昭和24年)戸田会長(当時理事長)が経営する出版社・日本正学館に入社した池田大作青年は少年雑誌の編集に全力を傾けた。大手出版社による雑誌の復刊が相次ぐなかで、小さな出版社は苦戦。戸田会長は、出版事業を断念する。信用組合の経営に乗り出し、事業の立て直しをはかった戸田会長だったが、戦後の経済混乱のあおりを受け営業停止に追い込まれる。多くの社員が去っていった。給料の支払いはとどこおり、コートなしで過ごす冬。たくあんだけの夕食をとり、熱にうなされて目が覚める。 それでも、池田青年は、苦境に立たされた師を支え続けた。ある夜の、仕事の帰途。師と弟子は二人して川べりを歩いていた。池田青年は、当時の流行歌をもじって、ふと“こんな男に誰がした”と口ずさんだ。すると、戸田会長が振り返り「おれだよ」と言って破顔一笑した。「生きるか死ぬかのような苦闘の時である。私は『おれだよ』の一言に熱いものを感じた。どんな自分になろうと、私はついていこう」(『私の履歴書』) 命がけの死闘の日々。嵐に立ち向かう師弟の絆は、その強固さを増していったのである。
1月15日
中等部結成記念日
64年(昭和40年)1月15日、中等部が結成され、全国で集いが行われた。※参考資料=『新・人間革命』第9巻「鳳雛」
1月19日
未来部の日
2020年1月19日(日)聖教新聞の社説からタイトル「励ましの第一歩をしるそう」のサブタイトル『きょう「未来部の日」』と記されていた。
1月23日
大阪婦人部「永遠の3指針」を贈る
池田先生から、1985年(昭和60年)1月23日、「永遠の3指針」【『大阪婦人部は』・平和と文化に生きる・求道と歓喜に生きる・幸の和の連帯に生きる】、とともに、3月3日を「大阪婦人部の日」と決定していただく。
1月25日
「大阪事件」無罪判決
57年(昭和32年)7月3日、池田先生(当時、青年部の室長)は大阪の参院補欠選挙の選挙違反という事実無根の容疑で不当逮捕。15日間に及ぶ獄中闘争の後、7月17日に出獄した。4年半の法廷審理を経て、62年(37年)1月25日、大阪地裁の無罪判決が出た。検察は控訴を断念し、同年2月8日、無罪が確定した。※参考資料=『新・人間革命』第5巻「獅子」
1月26日
「SGIの日」
75年(同50年)1月26日、グアム島に世界51ヵ国・地域の代表が集って開かれた第1回「世界平和会議」で「創価学会インターナショナル(SGI)」が発足。池田先生はこの日に寄せ、83年(58年)から毎年、記念提言を発表している。※参考資料=『新・人間革命』第21巻「SGI」
1月27日
「聖教新聞 通信委員制度が発足」
1954年 1月27日 通信員制度を設ける
1月27日
東洋哲学研究所設立
1962年 1月27日 池田先生が創立される文化・教育機関の先駆けとなる「東洋哲学研究所」が設立