月別の広布史-December

12月の広布史

記念日 意義
12月2日 小説『人間革命』の執筆開始 1964年(昭和39年)12月2日、池田大作先生は小説『人間革命』の執筆を、太平洋戦争で国内最大の地上戦が行われた沖縄の地で開始した(翌65年の元日付から聖教新聞紙上で連載)。『人間革命』全12巻は完結まで28年余り。聖教新聞での連載は、1509回を数えた。『人間革命』の完結から、わずか半年後の93年(平成5年)8月6日、池田先生は長野の地で小説『新・人間革命』の執筆を開始。本年9月、全30巻で完結した。連載回数は『人間革命』『新・人間革命』を合わせ、通算7978回。これは、日本の新聞小説紙上、最多の連載回数である。※参考資料=『新・人間革命』第9巻「衆望」/td>
12月2日 【文芸部の日】 1964年(昭和39年)小説『人間革命』は太平洋戦争で最も辛酸をなめた沖縄の地で起筆された。この日が「文芸部の日」に。『人間革命』起稿の日が淵源。池田先生は文芸部の結成の際、〝人々に最大に貢献するのだという信念を持ち、大いに活躍を〟との指針を示した。※参考資料=『新・人間革命』第14巻「使命」
12月5日 池田先生が中国の周恩来総理と会見 74(昭和49年)12月5日、池田先生は、中国の周恩来総理の強い要望により、北京市内で一期一会の歴史的な会見を行った。※参考資料=『新・人間革命』第13巻「金の橋」、第20巻「信義の絆」
12月10日 長編詩「青年よ21世紀の広布の山を登れ」を発表。 1981年(昭和56年)池田大作名誉会長が出席して開催された大分県青年部総会の席上で、この歴史的な長編詩を発表。さらに1999年(平成11年)3月22日、新たに”21世紀への指標”として加筆され、同日付の聖教新聞紙上に発表された。
12月22日 統監部の日 伸展する広布の状況を正確に把握し、さらなる飛躍を期するため、52年(同27年)12月22日、第2代会長の戸田城聖先生のもと、地方統監部が設置された。※参考資料=『人間革命』第6巻「離陸」
「75万世帯の弘教が」成就 統監部の日 1975年(昭和32年)12月13日、戸田先生の願業である「75万世帯の弘教」の成就が聖教新聞で発表。同25日に行われた本部幹部会では、76万5000世帯となったことが報告された。第2代会長に就任した戸田先生が「私が生きている間に、75万世帯の折伏は、私の手でいたします」と叫ばれた時、学会員は実質3000余にすぎなかった。池田先生が東京の蒲田、文京をはじめ、札幌、大阪、山口と、一番大変なところに飛び込み、拡大の歴史を切り開いていく中、6年7ヶ月で成就した。※参考資料=『人間革命』第12巻「憂愁」