月別の広布史-August

8月の広布史

記念日 意義
8月6日
【第一巻】新・人間革命をご執筆開始される。

平成5年(1993年)8月6日場所は軽井沢の長野研修道場で開始されました。池田大作先生は第一巻の【はじめに】で、「軽井沢は、戸田先生の逝去の八か月前、恩師の生涯と精神を、後世に誤りなく伝えるために、小説「人間革命」の執筆を決意した、無量の思い出を刻む師弟の誓いの天地である。・・・『新・人間革命』は、完結までに三十巻を予定している。その執筆は、限りある命の時間との、壮絶な闘争となるにちがいない。しかし、自身のこの世の使命を果たし抜いてこそまことの人生である。かのゲーテも、ユゴーも、また、トルストイも、八十余歳にして、なお、生き生きとして働き、信念のペンを執り続けた。私は六十五歳であり、まだまだ若い。」『私も、「新・人間革命」の執筆をわが生涯の仕事と定め、後世のために、金剛なる師弟の道の「真実」を、そして、日蓮大聖人の仰せのままに「世界広宣流布」の理想に突き進む尊き仏子が織りなす栄光の大絵巻を、力の限り書きつづってゆく決意である。正も邪も、善も悪も、勝者も敗者も、厳しく映し出しながら。』 池田大作先生の永遠の指導を誓願の題目で心肝染め抜き、広布と人生の勝利を勝ちを開いてまいりたい。

8月6日
小説『新・人間革命』の起稿・脱稿
8月6日は、池田先生が小説「新・人間革命」を起稿(1993年)し、脱稿(2018年)しだ日。同小説は海外13言語、23カ国・地域で出版されている。起稿・脱稿とも長野研修道場で行われ、8月6日は「信越師弟誓願の日」に。
8月8日
国連平和賞
1983年8月池田先生が推し進めた民間外交や、一貫しての国連支援等の貢献に対して、軍縮・人権・難民支援などの分野で評価され、国連から各種の表彰を受けています。
1988年6月特別顕彰(国連事務総長から)
1989年6月人道賞(国連難民高等弁務官事務所から)
1989年10月特別顕彰(国連事務総長から)
8月12日
教育原点の日
池田先生が出席した1975年(昭和50年)8月12日の教育部夏期講習会が淵源。「教育部」が「教育本部」へ拡充された2002年(平成14年)に「教育原点の日」となった。※参考資料=小説『新・人間革命』第24巻「人間教育」
8月14日
関西・師弟原点の日
列車からの大阪城の雄姿を見つめる24歳の青年の胸には、恩師に応えんとする使命感がみなぎっていた。 1952年(昭和27年)8月14日の夕刻、特急「つばめ」に揺られ、池田先生は、大阪駅に降り立った。戸田先生との師弟の出会いから5年の、同じ日だった。 前年、戸田先生第二代会長に就任すると、池田先生は「大阪こそ、最も早く支部を建設するべきです」と進言。庶民の都・大阪、そして関西が、広布の偉大拠点として発展すれば、日本の広宣流布は大きく進むと。 大阪に支部が誕生して半年後、暑いお盆の時期に記された第一歩。以来、関西指導は258回を数え、池田先生と関西同志との共戦がつづられていく。到着早々、池田先生は堺市内で行われた座談会に出席。自身の体験と、御本尊の偉大さを烈々と語り、参加していた9人のうち7人人が入会を決意した。翌15日には、戸田先生を迎えての「仏教大講演会」が、旧大手前会館(大阪市中央区)で開かれた。開会前、池田先生は自ら炎天下の街頭に立って、道行く人々にビラを配り、参加を呼び掛けた。「朝な夕な、私は、師である戸田先生に、さまざまな報告をしながら、悠然と、勝利の完遂の為に走り抜いた。関西の同志の方々も、皆、生き生きと一体となって、戦いを開始した」(「随筆・新人間革命」<日本一の民衆の都・大阪>)。池田先生の振る舞いに、関西の同志も奮い立った。
「一人一人に、会い、語り、立ち上がらせる」先生の真剣な一念と行動から「常勝関西」は、スタートした。関西の歌「常勝の空」には「君と我とは久遠より」と。いつの時代も、先生と共戦の中で築いた「一対一」”師弟の絆”こそが、関西同志にとって前進への原動力である。”師ありてこそ、わが家の幸福と勝利がある”。「8・14」を迎えるにあたり、その感謝を語り伝え、”師弟の魂”を継承していきたい。
※2017年(平成29年)8月11日(金)聖教新聞【関西・KANSAI】より
Josho Wave-池田大作名誉会長と関西より
大阪に着いたその夜、池田大作青年は堺市内の座談会に出席。翌15日には、仏教大講演会のため来阪した戸田城聖第2代会長を迎えた。この8月14日は5年前(昭和22年)の同じ日に、池田青年と戸田会長との初めての出会いがあったこととあわせて、2002年に「関西・師弟原点の日」と制定された。
8月14日
関東の日
戸田城聖先生と池田先生の”師弟の出会いの日”である8月14日が、2000年(平成12年)8月、「関東の日」に。
8月24日

●池田大作先生の入信記念日

●聖教新聞創刊原点の日

●壮年部の日

8.24とは、池田先生(池田名誉会長・池田SGI会長)が創価学会に入会(入信)した日である。
若き日の池田名誉会長は、1947年(昭和22年)の8月14日の夜、小学校時代の同級生に誘われ、東京・鎌田での座談会に出席しました。そこで、生涯の師匠と仰ぐ、戸田第二代会長(当時、理事長)との運命的な出会いを果たし、この日、入会を決意します。そして、その10日後の8月24日、池田青年は創価学会の一員となりました。
池田大作先生入信記念日
池田先生は、入信をされた70年前の8月24日に次のように綴らています。「この日から私の本格的な信念の人生が始まった。正義のために戦い抜く青春であることを誓った」「悔いのない青春!歴史を創る青春!わがままな青春より厳格な仏法に殉ずる青春を!確固たる信念のなき青春より仏法の哲理と智慧を胸に抱いた誇り高き栄光の青春!」と。この池田先生の精神を我が精神として、前進の行動に打って出ることこそ弟子の道なのであります。8月24日はまた、「聖教新聞創刊原点の日」であり、「壮年部の日」でもあります。
8月24日(8.24)聖教新聞創刊原点の日とは
創価学会の記念日「壮年部の日」(壮年部の記念日ではない)は、昭和51年の8月24日、池田先生の入信記念日をpもって決定されました。
池田先生の入信記念日は、全学会員が心に期する記念日ですが、ではなぜ?壮年部の日なのでしょうか。池田先生が入信されたのは、1947年(昭和22年)8月24日。それから3年後の、1950年8月24日のこと。この日、戸田先生は、ご自身が経営される信用組合の経営が行き詰まり、理事長(当時)辞任の意向を発表されました。これに対して、22歳の青年であった池田先生は師に尋ねま。自分の師匠は新理事長になるのか、と。師は明確に答えます。「いや、それは違う!苦労ばかりかてしまう師匠だが、君の師匠は、ぼくだよ」と。
この瞬間から、池田青年の疾風・怒涛・秋霜の「師弟不二」の戦いが始まりま、ついには、翌1951年(昭和26年)5月3日、師の第二代会長就任という歓喜の時を迎えます。以上のごとく、8月24日は、池田名誉会長が19歳で生涯を広布に生き抜くと決意して入信した日であり、かつ、22歳で師弟の道を貫く大闘争に身を投じた日なのであります。故に、《だからこそ壮年が【青年の気概】で毅然と立ち上がる人しなければんらない》。ここに、「壮年部の日」の所以があります。小説『新・人間革命』第23巻「敢闘」の章では、「壮年部の日」の制定された時の様子と共に、壮年の使命と責任が、明快に記されています。「壮年には、力がある。壮年は、一家の、社会の、学会の黄金柱である。そして、広宣流布の勝敗を決していくのは、壮年が、いかに戦うかにかかっている」と。毎年8月、8・24を記念して、特に壮年部が聖教新聞の啓蒙に全力を挙げるのは、8月24日が「聖教新聞創刊原点の日」であり、かつ、この「壮年部の日」であるからです。
8月26日
学生部「飛翔会」結成記念日
1975年(昭和50年)8月26日、働き学ぶ2部学生の集いである学生部「飛翔会」が結成。本年で45周年。※参考資料=『新・人間革命』第23巻「勇気」
8月26日
「北陸の日」
1984年(昭和59年)8月26日、池田先生は「第1回北陸平和文化祭」に出席。この日が「北陸の日」に。
8月29日
国際部の日
1968年(昭和43年)8月29日、池田先生が通訳や翻訳に携わる友を激励。71年(同46年)に「国際部」が発足し、2002年(平成14年)には「国際本部」へと拡充された。
8月31日
学生部の日
1962年(昭和37年)8月31日、池田先生が学生部の代表に対し、「御義口伝」の講義を開始。講義は約5年間続き、多くの人材が輩出された。※参考資料=『新・人間革命』第6巻「若鷲」