御書活動者会【8月度】

四条金吾殿御返事(八風抄)

御文

賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり

通解

賢人とは、八風といって、八つの風に侵されない人をおいうのである。八つの風とは、利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽・である。

背景と大意

本章は、日蓮大聖人が身延で認められ、苦境に立つ四条金吾に送られたお手紙で、別名を「八風抄」という。
大聖人が佐渡から帰還された文永11年(1274)年、金吾は主君の江間氏を折伏する。しかし、これをきっかけとして、金吾、極楽寺良観の信奉者であった江間氏から、疎まれるようになる。やかて、金吾を取り巻く状況は悪化。建治2年(1276年)には、領地替えの命令が下る。窮地に陥った金吾は、所領の件で君主を訴訟しようと思い詰めるまでになった。
本章は、こうした報告を聞かれたことに対する、金吾への励ましのお手紙である。大聖人は金吾に対し、仏法の上からも道理の上からも、恩ある主君に仕えていくことが、人間として正しい振る舞いであることを教えられている。

解説

今回の拝読御文では、仏道修行を妨げようとする「八風」に侵されない、「賢人」の生き方が説かれている。
「八風」とは、人々の心を惑わせ、仏道修行を妨げる八つの働きを示す。
それぞれ、利益を得て潤うこと(利)、さまざまに損をすること、(衰)、世間から軽蔑されること(毀)、世間から褒められること(称)、人々から悪口を言われること(譏)、心身が苦しむこと(苦)、心身が楽しいこと。
このうち、一般的に人々が望む「利・誉・称・楽」を四順といい、反対に、人々が嫌がり避ける「哀・毀・譏・苦」を四違という。たとえ一時的に四順を得ても、それは永遠に続くものではない。肝心なのは、世間の毀誉褒貶や目先の利害損得に振り回されないことである。
本抄で大聖人は、「八風」に侵されなることのない「賢人」を、諸天善神が必ず守護すると仰せである。
「無風」の人生などない。「順風」が吹くこともある。大切なことは、環境に左右されず、全ての状況を勝利の人生への「追い風」「原動力」にいしていくことである。
では、どうすれば、表層の現象や感情に左右されず、絶対的な幸福を追求する「賢人の道」を歩むことができるのか。同じく金吾に与えられた御書に、「苦を苦をさとり楽をばらくとひらき苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経とうちとなえゐさせ給へ」とあるように、苦しくても、勇んで題目を唱え抜いていく信心の姿勢が重要なのである。
その上で大聖人は、今回の研鑽範囲に続く御文で、「檀那(弟子)と師匠とが心を同じくしない祈りは、水の上で人焚くようなもので、かなうわけがない」と、広布の師匠に心を合わせれて祈ることの大切さを強調している。この点を絶対に忘れてはならない
池田先生は「八風に動じない確固とした自身を築くためには、正邪を峻厳し、不幸幸の因果を説く、『師匠』の存在が不可欠です」と指導している。
1947年(昭和22年)8月14日、池田先生は戸田先生と出会い、10日後の24日に入信した。本年の8月は、この歴史的な師弟の出会いから70年の佳節となる。
後継の弟子として、池田先生の闘争に学び、師弟の道、広布の道を歩み抜くことが、「八風」に侵されない自身を築く要諦である。
「鍛えの道」「成長の道」が到来した。日々の目標を明確にし、仏縁を拡大するとともに、自身の境涯も大きく広げていきたい。