新・人間革命 第25巻

小説「新・人間革命」に学ぶ

今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第25巻の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を紹介する。次回の「名場面編」は11日付、「御書編」は17日付、「解説編」は25日付の予定。

第24巻

<基礎資料編>

【物語の時期】1977年(昭和52年)3月11日~5月29日

「福光」の章

1977年(昭和52年)3月11日、山本伸一は完成したばかりの福島文化会館を訪問。出迎えた東北長、福島県長らに青年育成の在り方などを語り、夜には、開館記念勤行会に臨む。席上、8年前に示した「希望に燃えて前進する福島」などの3指針の意義を確認する。また、「福島に、東北に、幸せの春よ来い!」と祈りを託して、ピアノを演奏する。県・圏の代表との懇談会では、リーダーの姿勢や団結の重要性などを語る。さらに青年部には、信仰への絶対の確信をつかむよう訴えた。翌日の懇談会では、かつて文京支部員であった婦人たちを励ます。文京支部に所属する福島の同志は、57年(同32年)7月、伸一が大阪事件で不当逮捕された折、支部長代理である彼の獄中闘争を思い、伸一が打ち出した“一班一〇闘争”(班10世帯の弘教)に奔走。全国模範の結果を示したのである。13日、「3・16」の意義を込めた福島県青年部の記念集会では、「これだけの青年が、人びとの勇気の原動力となり、未来を照らす福光の光源となっていくなら、福島は盤石です」と期待を寄せる。

<名場面編>

〈1957年(昭和32年)7月、青年部の室長の山本伸一は、大阪事件で不当逮捕される。文京支部に所属する福島の同志は、支部長代理を務める伸一が打ち出した“一班一〇闘争”(班10世帯の弘教)の大勝利を、いっそう固く誓い合い、奮闘した〉

雨中に燃え立つ広布の闘魂

メンバーのなかに、一カ月前に、勤めていた会社が倒産してしまった壮年がいた。二人の子どもは病弱で、生活は逼迫していた。その彼が、弘教のために、二十キロほど離れた友人宅を訪れた。話に夢中になり、終列車を逃してしまった。やむなく、列車の線路に沿って歩き始めた。彼は、この日、仏法対話の最後に、友人が放った言葉が、胸に突き刺さっていた。「人の家に、宗教の話なんかしに来る前に、自分の仕事を見つけてこいよ。それに、そんなに、すごい信心なら、なぜ、子どもが病気ばかりしているんだ!」(中略)友人は、終始、薄笑いを浮かべ、蔑むような言い方であった。夜道を歩き始めると、無性に悔しさが込み上げ、涙があふれて仕方がなかった。涙に濡れた頰に、ピシャリと水が滴り落ちた。雨だ。あいにく傘は持っていなかった。雨は、次第に激しくなっていった。(中略)二時間ほど歩いたころ、文京支部の会合で山本伸一に激励されたことを、ふと、思い起こした。「折伏に行って、悪口を言われ、時には、罵詈罵倒されることもあるでしょう。また、悔しい思いをすることもあるでしょう。それは、すべて、経文通り、御書に仰せ通りのことなんです」(中略)壮年は、伸一の指導を思い返すうちに、“山本室長は、今ごろ、どうされているのだろうか”と思った。(中略)“室長は、学会の正義を叫び、必死に獄中闘争を展開されている……。その室長と比べれば、自分は、なんと恵まれた環境にいるんだろう。こんなことで、弱気になったり、負けてしまったら、室長は慨嘆されるにちがいない。負けるものか!”(中略)雨は、一段と激しく降り続いていた。しかし、壮年は、意気揚々と大股で歩きだした。そして、雨に負けじと、学会歌を歌い始めた。広宣流布への闘魂は、この雨のなかで、強く、激しく、燃え上がったのである。(「福光」の章、72~74ページ)

<基礎資料編>

「共戦」の章

1977年(昭和52年)、山本伸一は、全国各地に完成した新会館の開館記念勤行会に相次ぎ出席。5月18日には、九州平和会館での本部幹部会へ。人材育成とともに、年配の功労者への温かな配慮を訴える。翌日、伸一は「第二の山口開拓指導」の決意で山口文化会館へ。56年10月から57年1月の山口開拓指導は、伸一の指揮のもと実施された広布史上に燦然と輝く大闘争である。夕方に行われた懇談会では、山口開拓指導の「共戦」の同志に、「人生の総仕上げ」について指導。第一に報恩感謝の思いで、命ある限り広宣流布に生き抜く。第二にそれぞれが幸福の実証を示す。第三に広宣流布の後継者を育て残していくことが重要である、と訴えた。懇談会終了後、伸一は、山口市内を視察。サビエル記念聖堂を眺め、フランシスコ・ザビエルの日本での布教活動に思いをはせる。そして、世界広布のために死身弘法の信念に立つ、真の信仰者の育成を誓う。さらに伸一は、山口文化会館や徳山文化会館、防府会館を訪れ、一人一人の同志の心に不退の火をともしていった。

<名場面編>

〈56年(同31年)秋から山口開拓指導が展開され、山本伸一の激励で数多くの同志が立ち上がった。防府で行われた座談会では、伸一はさまざまな質問に答え、活況を呈した〉

学会は尊極の庶民の団体

伸一が語るにつれて、参加者の疑問は氷解し、会場は、希望と蘇生の光に包まれていった。質問が一段落したころ、口ヒゲをはやした一人の壮年が発言した。友人として参加していた地域の有力者であった。「わしは、ここにおる者のように、金には困っとらん。今、思案しとるのは、これから、どんな事業をしようかということじゃ。ひとつ、考えてくれんか!」(中略)伸一の鋭い声が響いた。「学会は、不幸な人びとの味方です。あなたのように、人間を表面的な姿や立場、肩書で見て、蔑んでいるような人には、いつまでも、学会のことも、仏法もわかりません!」地域の有力者は、伸一の厳しい言葉にたじろぎ、あっけに取られたように、目をぱちくりさせていた。伸一は、諄々と語り始めた。「ここにおられる同志の多くは、経済的に窮地に立ったり、病で苦しまれています。しかし、その苦悩をいかに乗り越えていこうかと、真剣に悩み、考えておられる。しかも、自ら、そうした悩みをかかえながら、みんなを幸せにしようと、冷笑されたり、悪口を言われながらも、日々、奔走されている。(中略)本当に人間が幸福になるには“心の財”を積むしかない。心を磨き、輝かせて、何ものにも負けない自分自身をつくっていくのが仏法なんです。その仏法を弘め、この世から、不幸をなくしていこうというのが、学会なんです」(中略)話が終わると、大拍手に包まれ、友人のほとんどが入会を希望した。有力者の壮年も感服し、入会を決意した。(中略)有力者の壮年は、興奮を抑えきれない様子で語った。(中略)「すごい青年がいるもんじゃ。一言一言、胸をドンと突かれるようで、後ろにひっくり返りそうで、こうやって、手を畳について、体を支えておったんじゃ。こりゃあ、本当にすごい宗教かもしれんぞ!」(「共戦」の章、136~138ページ)

<基礎資料編>

「薫風」の章

5月22日、北九州文化会館での句碑の除幕で、山本伸一は、“先駆”の九州の使命は最後まで常に“先駆”であり続けることにあると語る。本部幹部会で司会を務めた福岡県男子部長との語らいから、司会の在り方、勤行の副導師の基本についても指導する。また、歯科医の青年たちを激励。翌23日は北九州での支部結成17周年を記念する勤行会へ。24日は福岡県の功労者追善法要に出席。その後、小倉南区の田部会館でメンバーと共に勤行し、励ます。25日、佐賀県を10年ぶりに訪問した伸一は、佐賀文化会館での懇談会に創価大学の現役生、卒業生の代表を招き、“皆が開拓者に!”と励ます。26日には佐賀文化会館の開館記念勤行会が行われた。伸一は明るく、晴れやかな集いにするために県長に歌を歌うことを提案。その後の懇談会でも、各部のリーダーを全力で激励する。懇談会が終わると、婦人部員との約束を果たすために、彼女の夫が営む理容店へ。誠実な伸一の姿を目の当たりにした夫は、やがて真剣に活動するように。伸一が行くところ、蘇生と歓喜のドラマが広がった。

<名場面編>

〈酒田英吉も、山口開拓指導の折に、山本伸一の激励を受けた一人だった。彼は山本室長に会うため、40キロほどの道のりをバイクで駆け、伸一のいる旅館に向かった〉

同苦の励ましが心を動かす

彼(酒田英吉=編集部注)が旅館に到着すると、座談会が行われていた。(中略)目の不自由な一人の婦人が手をあげて質問した。――子どもの時に失明し、入会して信心に励むようになって一カ月ぐらいしたころ、少し視力が回復した。しかし、このごろになって、また、元に戻ってしまった。果たして、目は治るのかという質問である。(中略)伸一は、その婦人の近くに歩み寄って、婦人の顔をじっと見つめた。そして、彼女の苦悩が自分の苦悩であるかのように、愁いを含んだ声で言った。「辛いでしょう。本当に苦しいでしょう」彼は、婦人の手を取って、部屋に安置してあった御本尊の前に進んだ。  「一緒に、お題目を三唱しましょう」伸一の唱題の声が響いた。全生命力を絞り出すような、力強い、気迫のこもった、朗々たる声であった。婦人も唱和した。それから、伸一は、諄々と語っていった。「どこまでも御本尊を信じ抜いて、祈りきっていくことです。心が揺れ、不信をいだきながらの信心では、願いも叶わないし、宿命の転換もできません。(中略)あなたは、自分も幸せになり、人びとも幸せにしていく使命をもって生まれた地涌の菩薩なんです。仏なんです。一切の苦悩は、それを乗り越えて、仏法の真実を証明していくために、あえて背負ってきたものなんです。(中略)何があっても、負けてはいけません。勝つんですよ。勝って、幸せになるんですよ」誰もが、伸一のほとばしる慈愛を感じた。婦人の目には、涙があふれ、悲愴だった顔が明るく輝いていた。酒田は、指導、激励の“魂”を見た思いがした。“指導というのは、慈悲なんだ。同苦する心なんだ。確信なんだ。その生命が相手の心を揺り動かし、勇気を呼び覚ましていくんだ!”(「薫風」の章、277~279ページ)

<基礎資料編>

「人材城」の章

5月27日、山本伸一は、熊本文化会館へ。会館由来の碑等の除幕式から青年の育成を開始。幹部との懇談で、人材の根本要件は、広宣流布の師弟の道に生き抜く人であるとし、先輩幹部が実践をもって同志を触発していくことが大切であると述べた。翌28日の熊本文化会館の開館記念勤行会では、「人材の熊本」を合言葉に前進するよう指導する。夕刻の本部長らとの懇談会では、かつて伸一が熊本への第一歩をしるした三角の同志の活躍や、玉名の兄弟の宿命転換のドラマ、1963年(昭和38年)に集中豪雨に遭った五木の同志の奮闘の報告に耳を傾ける。伸一は、五木村に伝わる「五木の子守唄」から、子どもたちの幸福のために教育改革に立ち上がった牧口常三郎を思い、断じて不幸をなくそうというのが創価教育の原点であり、学会の心であると訴える。さらに、未入会の父がいる医学生を励ます。懇談会後も、城の石垣を例に、多彩な人材の育成と異体同心の団結によって、難攻不落の創価城ができると語る。翌29日、伸一は、熊本を出発するまでピアノを弾き、共に勤行するなど入魂の激励を重ねる。

<名場面編>

〈77年(同52年)5月、山本伸一はオープン間もない熊本文化会館へ。到着後すぐに、石碑の除幕式に臨んだ〉

青年よ、未来のために学べ

歴代会長の文字を刻んだ石碑、熊本文化会館の由来の碑が次々と除幕された。「じゃあ、県の青年部長! この碑文を皆さんに読んで差し上げて!」  突然の指名であった。県青年部長の勝山平八郎は、驚き慌てた。しかし、「はい!」と言って、碑の前に進み出た。(中略)由来を読む勝山の、大きな声が響いた。「熊本文化会館 由来懐かしき雄大なる阿蘇の噴煙……」(中略)三行ほど読んだ時、言葉がつかえた。「法旗翩翻と」の「翩翻」の読み方が、頭に浮かんで来ないのだ。思い出すまでに、二、三秒かかった。さらに、その数行あとの「聳ゆ」でつまずき、最後の段落の「冀くは」で、また、口ごもってしまったのである。読み終わった勝山の額には、汗が噴き出ていた。伸一は、勝山に言った。(中略)「県の中心会館となるのが熊本文化会館なんだから、碑文は事前によく読んで、しっかり、頭のなかに刻みつけておくんです。急に言われて、上がってしまったのかもしれないが、そういう努力、勉強が大事なんです。戸田先生の、青年に対する訓練は、本当に厳しかった。(中略)お会いした時には、必ず、『今、なんの本を読んでいるんだ』とお聞きになる。いい加減に、本の名前をあげると、『では、その作品は、どんな内容なんだ。内容を要約して言いなさい』と言われてしまう。ごまかしなんか、一切、通用しませんでした。戸田先生が厳愛をもって育んでくださったおかげで、今日の私があるんです。青年は、未来のために、どんなに忙しくても、日々、猛勉強するんだよ」青年部のメンバーは、全員が創価学会の後継者であり、次代の社会を担うリーダーたちである。(中略)それだけに伸一は、教養を深く身につけ、一流の人材に育ってほしかった。だから、あえて、厳しく指導したのだ。(「人材城」の章、308~310ページ)

第25巻

<御書編>

御文

人のものをしふると申すは車のおもけれども油をぬりてまわり・ふねを水にうかべてきやすきやうにをしへ候そうろうなり(御書1574ページ、上野殿御返事うえのどのごへんじ

通解

人がものを教えるというのは、車が重かったとしても油をることによって回り、船を水にかべて行きやすくするように教えるのである。

小説の場面から

<1977年(昭和52年)3月11日、山本伸一は福島県を訪問。県長らに、青年育成の要諦について語った>

「弘教に限らず、あらゆる活動を進めるうえで大事なのは、“なんのためか”を明らかにし、確認し合っていくことです。それによって皆が、軌道を外れることなく前進することができるし、力を発揮することができる。でも、全く弘教をしたことがない青年に、折伏の意義を教え、『頑張ってください』といえば、実践できるかというと、そうではありません。それだけでは、多くの人が、“自分にはできない”と思うでしょう。したがって、実際に、仏法をどう語っていけばよいのか、教えていかなければならない。それには、先輩である壮年や婦人は、自分はこうして折伏してきたという、ありのままの体験を語っていくことです。

行動で手本示し青年を育成

また、青年と共に仏法対話し、実践のなかで、具体的にどうすればよいか、手本を示しながら教えていくことも必要です。つまり、青年たちが、“そうか。こうすればいいのか。これならば私にもできる。よし、やってみよう!”と思えるかどうかなんです。人は、“とても自分には無理だ”と思えば、行動をためらってしまう。しかし、“できそうだ”と思えば、行動することができる」(中略)行動をためらわせているものは何かを見極め、それを取り除き、勇気を奮い立たせることが、激励であり、指導である。 

(「福光」の章、21~22ページ)

御文

受くるは・やすくたもつはかたし・さる間・成仏あいだ・じょうぶつは持つにあり(御書1136ページ、四条金吾殿御返事しじょうきんごどのごへんじ

通解

(法華経)「受ける」ことはやさしく、「たも」ことはむずかしい。ゆえに、成仏は持ち続けることにある。

小説の場面から

<5月19日、山口県を訪れた山本伸一は、山口開拓指導を共に戦った草創の同志たちと懇談した>

「当時、四十代、五十代であった方々が、今は六十代、七十代となり、人生の総仕上げの時代に入った。したがって、“総仕上げ”とは、いかなる生き方を意味するのか、少しお話しさせていただきます。(中略)第一に、報恩感謝の思いで、命ある限り、広宣流布に生き抜き、信仰を完結させることです。役職は変わったとしても、信心には引退も、卒業もありません。“去って去らず”です。そうでなければ、これまでの決意も誓いも、人にも訴えてきたことも、結局は、すべて噓になってしまう。後退の姿を見れば、多くの後輩が失望し、落胆します。そして、それは、仏法への不信の因にもなっていきます。(中略)

生涯、広布の模範たれ!

学会員は皆、長年、信心してきた先輩たちが、どんな生き方をするのか、じっと見ています。ゆえに、学会と仏法の、真実と正義を証明していくために、幹部だった人には、終生、同志の生き方の手本となっていく使命と責任があるんです。もちろん、年とともに、体力も衰えていくでしょう。足腰も弱くなり、歩くのも大変な方も増えていくでしょう。それは、自然の摂理です。恥じることではありませんし、無理をする必要もありません。ただ、どうなろうとも、自分なりに、同志を励まし、法を説き、広宣流布のために働いていくんです」

(「共戦」の章、149~150ページ)

ここにフォーカス 人間のネットワーク

ここにフォーカス2011年(平成23年)3月11日、東日本大震災が発生。あまりにも多くの生命が突然失われ、それまでの日常が一変しました。福島では原発事故の影響もあり、先が見えない日々が続きました。そんな中、同年9月1日から、福島を舞台とした、「福光」の章の連載がスタートしました。「春を告げよう!/新生の春を告げよう!/厳寒の冬に耐え、/凍てた大地を突き破り、/望の若芽が、/さっそうと萌えいずる春を告げよう!」この一節で始まる同章は、被災した方々の大きな希望となりました。「第1回を読み、泣けて仕方がなかった」――連載開始直後から、東北をはじめ、多くの読者から感想と決意が寄せられました。他県での避難生活を余儀なくされた福島の婦人は、「“師匠は、福島の勝利、東北の勝利を信じ、見守ってくださっている”と思うと、感激の涙で文字が見えなくなりました」と前進を誓いました。「福光」の章には、リーダーの在り方、青年の育成、団結の要諦など、学会活動の基本姿勢が描かれています。震災という最も苦しい時に、東北の同志は同章を学び、苦難を一つ一つ乗り越えてきました。その不屈の前進は、世界中の“「新・人間革命」世代”にとっても、模範の生き方として輝いています。

第25巻

<解説編>

紙面講座池田主任副会長

学会創立90周年から100周年の「11・18」へ――「新たな青年学会建設の10年」がスタートしました。創立100周年に向けての幕開けとなる明「希望・勝利の年」は、「3・5」壮年部結成55周年、「6・10」婦人部結成70周年とともに、「7・11」男子部結成70周年、「7・19」女子部結成70周年と、幾重にも意義深き佳節を迎えます。さらに、池田先生が広布の金字塔を築かれた「大阪の戦い」「山口開拓指導」65周年とも重なります。「人材城」の章では、学会の記念日の意義について、「大事なことは、その淵源に立ち返り、歴史と精神を子々孫々にまで伝え、毎年、新しい決意で出発していくこと」(333ページ)であり、「すべて現在の力へと変えていってこそ、意味をもつ」(同)と強調されています。学会は、5・3「創価学会の日」と11・18「創価学会創立記念日」を前進のリズムとして、広布の歴史を刻んできました。「広布の記念日」は、単なる“過去の歴史”ではありません。大切なことは、誓いを立て、新たな挑戦を開始することです。「広布の記念日」は、“未来へのスタート地点”の意義があるのです。第25巻では、福島、山口、福岡、佐賀、熊本での山本伸一の激励行が描かれていきます。彼は「今こそ、全同志の心に、万年にわたる信心の堅固な礎を築かなくてはならない」(107ページ)と決意します。当時、全国各地に学会の会館が誕生し、広宣流布は新たな段階を迎えていました。この時の伸一の新会館訪問の足跡は、各県の同志の、かけがえのない“師弟の原点”となっています。広布の佳節に刻まれた師弟の精神を学び、実践に移していくことが、“未来のドラマ”をつづりゆく原動力となります。青年部は、2023年の「11・18」を目指して、「新・人間革命」世代プロジェクトを始動させました。創立100周年へ、一人一人が小説『新・人間革命』の師の魂をわが心とし、「未来までの・ものがたり」(御書1086ページ)を紡いでまいりたいと思います。

生命の光彩

「福光」の章の連載は、2011年(平成23年)7月の本部幹部会で発表され、9月に開始されました。3月11日に発生した東日本大震災から半年後の、「復興」の最中でした。池田先生は、この時の本部幹部会のメッセージで、執筆の真情についてこう述べられています。「不屈の負けじ魂の一念は、偉大な福光となって、必ず必ず輝き広がる。このことを、私は今再び、大東北の凱歌の同志と一緒に、世界へ未来へ、大宣言したい」同章は「春を告げよう!/新生の春を告げよう!」(7ページ)との詩で始まります。そして、1977年(昭和52年)3月11日に伸一が福島を訪問したことが書きつづられていきます。翌12日、彼は代表幹部との懇談の場で、「元気で、生命が輝いていることが大事なんです。生命の光彩こそが、人生の暗夜を照らす光なんです。福光なんです」(89ページ)と語ります。こうした言葉が、東日本大震災で被災された方々の、どれほど大きな希望となり、支えとなってきたことでしょうか。明年は東日本大震災、そして連載から10年となります。同章では、生命を磨く学会活動こそが、「人びとに絶対的幸福への道を教え、人間の生命を変革し、社会の繁栄を築き、世界の平和を実現していく、唯一の直道」(84ページ)であると強調されています。さらに、学会員の使命について、「苦難の荒波に、どんなに打ちのめされようとも、粘り強く、そこから決然と立ち上がる力――それが信仰です。それが、地涌の菩薩です。真の学会員です」(102ページ)と記されています。コロナ禍の今こそ、「福光」の章に示された指針と学会員の誇りを胸に、励ましの“福光”で、世界を包み込んでいく時です。

青年育成の指針

広宣流布とは、何か特別な終着点があるのではなく、「流れ」それ自体のことです。「さらに若い世代が、次のもっと大きな拡大の流れをつくる。その永続的な戦い」(101ページ)です。第25巻には、広布における青年部の役割や使命、そして青年育成の指針がちりばめられています。青年部は、大切な学会の後継者であり、学会を今まで以上に興隆、発展させゆく使命を担う人材です。伸一は、「福光」の章で、「学会の後継者として、青年時代に必ず身につけてほしいのは折伏力だ」「青年たちが、弘教の大闘士に育たなければ、学会の未来は開けない」(20ページ)と訴えます。また、文京支部の“一班一〇闘争”や、「山口開拓指導」などの草創期の闘争を通じて、拡大の壁を破るのは、どこまでも“師弟共戦”にあることも示されます。「薫風」の章では、学会活動の基本について、「生命の触れ合いがあっての、指導であり、折伏」(262ページ)と記されています。いかなる時代になっても、魂と魂の触発こそが学会の生命線です。ゆえに、「一人のために、どこまでも足を運び、仏法を訴え、励まし抜いていく」(41ページ)ことで、広布は大きく前進していくのです。青年部が、後継者として使命を果たすための、重要なポイントについても書かれています。①信心の確信をつかむための体験②仏法の法理に照らして、どう生きるかを学ぶ教学③師弟の絆、良き同志と友情・連帯を強める、の3点です(同)。「共戦」の章には、「広宣流布の活動は、時代の変化を見極め、その時代に相応した価値的な実践方式を創造していくべきである」(111ページ)とあります。現在、男子部は、「体験談大会」を全国で開催し、“体験の力”で勇気の輪を広げています。また、女子部は、“希望の絆”を拡大すべく、華陽姉妹で励まし合いながら、「マイ ロマン総会」を行う予定です。知恵と工夫を凝らした青年部の取り組みは、「時代に相応した価値的な実践方式」です。学会創立90周年の「11・18」に、池田先生が詠まれた和歌の一首に、「元初より/地涌の歓喜の/若師子よ/大悪を大善へと/勝って舞いゆけ」とあります。「若師子」たる青年の奮闘をたたえながら、団結も固く、池田門下の「希望・勝利」のドラマを勝ち開いてまいりましょう。

名言集

根を張る

わが子を愛し、慈しむ母の心には、敵も味方もない。それは、人間愛と平和の原点である。(「母の詩」の章、47ページ)

感謝の一念

人生を大きく左右するのは、福運です。その福運を積むうえで大事なのは、感謝の一念です。(「福光」の章、96ページ)

福運の宝玉

君が歩いた分だけ、道ができる。あなたが語った分だけ、希望の種が植えられる。困難に退くまい。流した汗も、涙も、すべては福運の宝玉となる。(「共戦」の章、105ページ)

後輩の姿

先輩が立派であったかどうかは、後輩の姿に表れる。したがって、先輩が後輩の未熟さを嘆くことは、自らの無力さ、無責任さを嘆いていることに等しい。(「共戦」の章、158ページ)

生命の開拓

広宣流布は、一人ひとりへの励ましによる、生命の開拓作業から始まるのだ。(「薫風」の章、296ページ)

令法久住

師を凌ぐ戦いができてこそ、本当の弟子なんです。師が指揮を執っていた以上に、広宣流布を前進させてこそ、令法久住なんです。(「人材城」の章、329ページ)