新・人間革命 第30巻<上>

世界広布の大道「小説『新・人間革命』に学」

小説「新・人間革命」に学ぶ

今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第30巻<上>の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を紹介する。

第30巻

<基礎資料編>

【物語の時期】1979年(昭和54年)2月16日~81年6月

「大山」の章

1979年(昭和54年)2月16日、インドを発った山本伸一は香港に到着。東南アジア代表者懇談会や香港文化祭に出席し、20日に帰国する。  3月上旬、一人の副会長の宗門に対する無責任な発言が格好の攻撃材料となり、責任追及の矛先が会長の伸一に向けられる。伸一は学会首脳との会議で、会員を守るために、一切の責任を負って総講頭を辞任し、さらに、世界広布の新しい流れを開くために会長の辞任を決断する。4月24日、県長会で伸一の会長辞任が発表される。引き続き行われた総務会で、伸一は名誉会長となり、十条潔が会長になることが決まる。会長を辞任した伸一は、宗門僧らの画策によって、会合で指導することも、その指導を機関紙に掲載することも禁じられた。5月3日、「七つの鐘」総仕上げ記念となる本部総会が、多数の宗門僧が出席し、重苦しい雰囲気のなかで行われた。終了後、伸一は、場外で待っていた婦人たちを励ます。さらに「大山」等と揮毫し、神奈川文化会館へ。5日、後継の弟子への思いを筆に込め、「正義」と認め、広宣流布の大道を進み抜くことを誓う。

<名場面編>

<1979年(昭和54年)4月24日、東京・新宿文化会館で県長会が開催される。席上、山本伸一の会長辞任が伝えられるや、会場に衝撃が走った>

烈風に勇み立つ師子であれ

婦人の多くは、目を赤く腫らしていた。虚ろな目で天井を見上げる壮年もいた。怒りのこもった目で一点を凝視し、ぎゅっと唇を嚙み締める青年幹部もいた。その時、伸一が会場に姿を現した。

「先生!」

いっせいに声があがった。

彼は、悠然と歩みを運びながら、大きな声で言った。

「ドラマだ! 面白いじゃないか! 広宣流布は、波瀾万丈の戦いだ」

(中略)

皆、固唾をのんで、伸一の言葉を待った。

「既に話があった通りです。何も心配はいりません。私は、私の立場で戦い続けます。広宣流布の戦いに終わりなどない。私は、戸田先生の弟子なんだから!」

彼は、烈風に勇み立つ師子であった。創価の師弟の誇りは、勇気となって燃え輝く。伸一は、力強い口調で語り始めた。「これからは、新会長を中心に、みんなの力で、新しい学会を創っていくんだ。私は、じっと見守っています。悲しむことなんか、何もないよ。壮大な船出なんだから」

会場から声があがった。

「先生! 辞めないでください!」

すすり泣きがもれた。それは次第に大きくなっていった。号泣する人もいた。一人の壮年が立ち上がって尋ねた。

「今後、先生は、どうなるのでしょうか」

「私は、私のままだ。何も変わらないよ。どんな立場になろうが、地涌の使命に生きる一人の人間として戦うだけだ。広宣流布に一身を捧げられた戸田先生の弟子だもの」青年の幹部が、自らの思いを確認するように質問した。

「会長を辞められても、先生は、私たちの師匠ですよね」

「原理は、これまでに、すべて教えてきたじゃないか! 青年は、こんなことでセンチメンタルになってはいけない。皆に、『さあ、新しい時代ですよ。頑張りましょう』と言って、率先して励ましていくんだ。恐れるな!」(「大山」の章、74~76ページ)

<基礎資料編>

「雌伏」の章

名誉会長になった山本伸一は、同志への励ましに徹し、さらに、世界平和への流れを開くために、各国の大使や識者らとの語らいに努める。8月には、世界41カ国・3地域のSGIメンバーが来日。伸一は、SGI会長として、神奈川文化会館での国際親善友好の集いなどに出席し、メンバーを激励する。20日、長野研修道場を初訪問。伸一は宗門の圧力がかかるなか、家庭訪問、個人指導の流れを起こし、佐久や小諸にも足を延ばした。また、記念撮影を行うなど、知恵を絞り、全精魂を注いで仏子たる同志を励まし続ける。1980年(昭和55年)1月、四国の同志が、大型客船「さんふらわあ7」号をチャーターし、伸一が待つ神奈川文化会館へ。2月には、鹿児島県の奄美大島地域本部の女子部員たちが、東京・立川文化会館にいた伸一を訪ねてくる。師弟の魂の絆は、いかなる試練の烈風にも、決して断たれることはなかった。伸一は、魔の暗雲を突き破り、再び学会が、広布の師弟の道を驀進するために、「雌伏」の時を経て、遂に反転攻勢への決意を固める。

<名場面編>

<山本伸一の会長辞任後、彼が会合で指導することも、その指導を機関紙に掲載することもできない状況がつくられていた。その中で、80年(同55年)1月、四国の同志たちは大型客船をチャーターし、伸一を訪ねて神奈川文化会館へとやって来た>

智慧をわかして障壁破れ!

伸一は、船が港に着くと、「さあ、皆で大歓迎しよう!」と言って、神奈川文化会館を飛び出した。四国の同志は、デッキに立った。大桟橋の上には、「ようこそ神奈川へ」と書かれた横幕が広げられている。埠頭で神奈川の有志が奏でる四国の歌「我等の天地」の調べが、力強く鳴り響く。そして、歓迎の演奏を続ける人たちの前には、黒いコートに身を包み、盛んに手を振る伸一の姿があった。

「先生! 先生!」

皆が口々に叫び、手を振り返す。涙声の婦人もいる。伸一も叫ぶ。

「ようこそ! 待っていましたよ」

四国の同志がタラップを下りてくると、出迎えた神奈川の同志の大拍手に包まれた。

(中略)

 「みんな体調は大丈夫かい。よく来たね。これで勝った! 二十一世紀が見えたよ。君たちが新しい広布の突破口を開いたんだ」信念の行動が新時代の扉を開ける。伸一は、下船してきた壮年たちを笑顔で包み込み、肩を抱き、握手を交わし、励ましの言葉をかけていった。「待っていたよ! お会いできて嬉しい。さあ、出発だ!」彼は、四国の同志の熱き求道の心が嬉しかった。その一念がある限り、広宣流布に生きる創価の師弟の精神は、永遠に脈打ち続けるからだ。

(中略)

「本当に、船でやって来るとはね。面白いじゃないか。それだけでも皆が新たな気持ちになる。何事につけても、そうした工夫が大事だよ。広宣流布は智慧の勝負なんだ。広布の道には、常にさまざまな障壁が立ちふさがっている。それでも、自他共の幸せのために、平和のために、進まねばならない。たとえば、陸路を断たれたら海路を、空路をと、次々と新しい手を考え、前進を重ねていくんだ。負けるわけにはいかないもの」(「雌伏」の章、202~205ページ)

<基礎資料編>

「雄飛」の章

4月21日午後、山本伸一は、第5次訪中を果たす。29日、中国から九州の長崎に向かい、同志の輪の中へ。反転攻勢の助走を開始し、広布の空へ「雄飛」していく。30日には福岡に移り、5月3日を関西で迎える。さらに中部、静岡も訪問し、何度となく勤行会を行う。長崎到着以来、計15万人を超える同志の激励となった。7月には、聖教新聞紙上で「忘れ得ぬ同志」の連載を開始。8月には休載中の小説『人間革命』の連載を再開する。9月末、伸一は、北米指導に出発。ハワイ、サンフランシスコ、ワシントンDC、シカゴと、激励に奔走。10月17日、ロサンゼルスで「第1回SGI総会」に出席する。1981年(昭和56年)1月、北・中米指導に赴く。2月19日にはパナマ、26日にはメキシコを歴訪。さらに5月、ソ連、欧州、北米訪問へ。この頃、ソ連はアフガニスタン侵攻によって、国際的に厳しい状況にあった。伸一は、そんな時だからこそ、文化・教育交流に最大の力を注ごうと、チーホノフ首相との会見をはじめ、文化人と語らいを重ね、次の訪問地である欧州へ向かう。

<名場面編>

<80年8月、山本伸一は休載中だった小説『人間革命』の連載を再開。ある日、担当記者が口述筆記のため彼を訪ねると、伸一は発熱し、畳の上に横になっていた>

生命削る思いで連載を口述

カチッ、カチッ、カチッと、時計が時を刻んでいく。十分ほどしたころ、伸一は、勢いよく、バンと畳を叩き、体を起こした。「さあ、始めよう! 歴史を残そう。みんな、連載を楽しみにしているよ。喜んでくれる顔が、目に浮かぶじゃないか。“同志のために”と思うと、力が出るんだよ」伸一の周囲には、小説の舞台となる時代の「聖教新聞」の縮刷版、メモ書きした用紙、参考書籍などが置かれていた。伸一は、メモ用紙を手にすると、記者に言った。「では、始めるよ! 準備はいいかい」口述が始まった。一声ごとに力がこもっていく。記者は、必死になって鉛筆を走らせる。しかし、伸一が文章を紡ぎ出す方が速く、筆記が追いついていかない。そこで記者の手の動きを見ながら口述していった。十五分ほど作業を進めると、伸一は、咳き込み始めた。咳は治まっても、息はゼイゼイしている。「少し休ませてもらうよ」彼は、また、畳の上に横になった。十分ほどして、記者の清書が終わるころ、呼吸は少し楽になった。また、力を込めて、畳をバンと叩いて身を起こした。「さあ、やろう! みんなが待っているんだもの。学会員は、悔しさを堪えながら頑張ってくれている。そう思うだけで、私は胸が熱くなるんだよ。だから、同志には、少しでも元気になってほしいんだ。勇気を奮い起こしてもらいたいんだよ」再び口述が始まった。しかし、やはり十分か十五分ほどすると、体を休めなければならなかった。こうして原稿を作り、それを何度も推敲する。さらにゲラにも直しを入れて、新聞掲載となるのである。連載は、ひとたび開始されれば、途中で休むわけにはいかない。そこに新聞連載小説の過酷さもある。伸一にとっては、まさに真剣勝負であり、生命を削る思いでの口述であった。(「雄飛」の章、304~305ページ)

<基礎資料編>

「暁鐘」の章(前半)

5月16日、山本伸一は、ソ連から西ドイツに到着。18日、フランクフルト会館でドイツ広布20周年の記念勤行会に臨み、同志を激励する。20日、伸一はブルガリアを初訪問。翌日、国立ソフィア大学から、名誉教育学・社会学博士の学術称号を贈られ、講演を行う。23日、「平和の旗」の集いに出席する。25日には、オーストリアに。20年前には、メンバーは誰もいなかったが、26日に開かれた信心懇談会で、オーストリア本部が結成される。イタリアに舞台を移した伸一は、フィレンツェで、イタリアの創価学会の目覚ましい発展を祝福しながら、その担い手である青年たちと懇談を重ねる。さらにミラノに移動し、6月3日、スカラ座のカルロ・マリア・バディーニ総裁を訪ねる。5日には、フランスのマルセイユへ。翌日、トレッツ市の欧州研修道場で、ヨーロッパ広布20周年を記念する夏季研修会などに出席。10日、パリに向かい、ここでも要人や識者と対話を重ねる一方、寸暇を惜しんでメンバーと語らい、地下鉄のホームや車中で口述を重ねて詩を作り、フランスの青年たちに贈る。

<名場面編>

<81年(同56年)6月、フランスのパリを訪れた山本伸一は、青年たちに贈るために、地下鉄のホームや車中で詩を口述。電車に乗り合わせたメンバーを励ます>

皆から信頼される“大樹”に

彼の瞼に、新世紀の広布に生きる、凜々しき青年たちの雄姿が浮かんだ。

「新しき世界は 君達の

右手に慈悲 左手に哲理を持ち

白馬に乗りゆく姿を

強く待っている」

電車を乗り換えてほどなく、伸一の口述は終わった。

(中略)

「センセイ!」という声がした。三人のフランス人の青年男女が立っていた。数百キロ離れたブルターニュ地方から、パリ会館へ向かうところだという。「ご苦労様。遠くから来たんだね。長旅で疲れていないかい?」青年を大切にしたいという思いが、気遣いの言葉となった。青年こそ希望であり、社会の宝である。三人の青年たちのうち、一人の女子部員が口を開いた。「私は一年前に信心を始めました。私の住む町では、信心をしているのは私だけです。座談会の会場にいくにも数時間かかります。こんな状況のなかでも、地域に仏法理解の輪を広げていくことはできるのでしょうか」すかさず、伸一は答えた。「心配ありません。あなたがいるではありませんか。すべては一人から始まるんです。あなた自身が、その地域で、皆から慕われる存在になっていくことです。一本の大樹があれば、猛暑の日には涼を求めて、雨の日には雨宿りをしようと、人びとが集まってきます。仏法を持ったあなたが、大樹のように、皆から慕われ、信頼されていくことが、そのまま仏法への共感となり、弘教へとつながっていきます。自身を大樹に育ててください。地域の立派な大樹になってください」電車がパリ会館のあるソー駅に着くころには、詩はすべて完成した。題名は「我が愛する妙法のフランスの青年諸君に贈る」とした。(「暁鐘」の章、424~427ページ)

【第1次宗門事件と師弟の絆】

<四つの揮毫>

1979年(昭和54年)5月3日、池田先生は筆を執り、「大山」「大桜」と揮毫する。「わが誓いと、弟子たちへの思いを、書として認めておきたかった」(116ページ)。同日夜には神奈川文化会館で「共戦」、そして5日には「正義」と認めた。

大山「わが友よ 嵐に不動の信心たれと祈りつつ」(脇書)
大桜「わが友の功徳満開たれと祈りつつ」(脇書)
共戦「生涯にわたり われ広布を 不動の心にて 決意あり 真実の同志あるを 信じつつ 合掌」(脇書)
正義「われ一人正義の旗持つ也」(脇書)

第30巻

<御書編>

御文

外道・悪人は如来の正法を破りがたし仏弟子等・必ず仏法を破るべし師子身中の虫の師子を食等云云(御書957ページ、佐渡御書)

通解

外道や悪人によって、如来の正法が破られることはない。仏弟子らによって必ず仏法は破られるのである。師子身中の虫が師子を食むとはこのことである。

小説の場面から

伸一は、僧たちの信徒支配の意識に潜む、恐るべき魔性を感じていた。

宗門に潜む信徒支配の体質

初代会長・牧口常三郎と、第二代会長・戸田城聖は、戦時中、思想統制が進み、宗門が神札を容認した時、正法正義を貫き、軍部政府の弾圧によって投獄され、遂に牧口は殉教した。その学会に、僧たちは登山禁止など、卑劣な仕打ちを重ねた。だが、それでもなお、戦後、学会は広宣流布の実現のためにと、宗門を外護して、赤誠を尽くしてきた。日蓮大聖人の末弟を名乗る僧たちが、宗祖の御遺命通りに死身弘法の実践を重ねてきた学会を迫害する。およそ考えがたい事態が、創価教育学会の時代から続いてきたのだ。しかし、それも仏法の眼を開けば、すべては明らかである。大聖人は、誰が仏法を破壊していくかに言及されている。

(中略)

仏法を誹謗する外道や悪人ではなく、仏弟子が仏法を破る働きをなすというのだ。それは、経文に「悪鬼入其身」とあるように、第六天の魔王が僧の身に入って、人びとを攪乱するゆえである。僧の姿をした者が、大聖人の御精神を踏みにじって、広宣流布を妨げるのだ。戸田城聖の時代にも、学会は僧たちの理不尽な圧迫に苦しめられた。伸一は、かつて戸田が厳しく語っていたことを思い起こしていた。“学会の存在なくして、広宣流布の伸展は断じてない。和合僧たる学会を破ろうとすることは、要するに、広宣流布を妨害することではないか!”(「大山」の章、24~25ページ)


御文

行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし(御書1361ページ、諸法実相抄)

通解

行学の二道を励んでいきなさい。行学が絶えてしまえば仏法はない。自分も行い、人をも教化していきなさい。行学は信心から起こる。力があるならば一文一句であっても人に語っていきなさい。

小説の場面から

<1981年(昭和56年)1月、山本伸一はハワイを訪問。第1回世界教学最高会議で、御書を拝して指導した>

「行」「学」は仏道修行の両輪

「『行』とは、自行化他にわたる実践であり、唱題と折伏のことです。『学』とは教学の研鑽です。『行学』に励む人こそが、真の日蓮大聖人の門下です。そして、この二道の絶えざる実践がなければ、それは、もはや仏法ではないと、大聖人は仰せなんです。このお言葉通りに実践し、さまざまな難を受けながら、広宣流布を進めてきたのは学会しかありません。この厳たる事実は、誰人も否定することはできない。『行学』の二道は、信心から起こる。『行学』を怠っているということは、信心を失っていることにほかならない。信心とは、いかなる脅し、迫害、誘惑にも絶対に屈せず、不退を貫き、ひたぶるに御本尊を信受し、広宣流布に邁進していくことです。『行』と『学』は、信心を機軸にした車の両輪といえます。したがって、いくら知識としての教学に精通していったとしても、『行』という実践がなければ、片方の輪だけで進もうとするようなものであり、正しい信心の軌道から外れていかざるを得ない。

(中略)

私たちは、いわゆる職業的仏教学者になるために教学を研鑽するのではない。自身の信心を深め、一生成仏をめざすためであり、広宣流布推進のための教学であることを、あらためて確認しておきたいのであります」(「雄飛」の章、320~321ページ)

東京の新たな“凱歌の行進”

ここにフォーカス 1979年(昭和54年)、反逆者や宗門僧らによる師弟分断の謀略の嵐が吹き荒れます。池田先生が会長を辞任すると、会合で指導することや、その指導を聖教新聞で掲載することができない状況がつくられていきました。しかし、先生は個人指導に力を注ぎ、揮毫を認め、和歌を詠み、ピアノを弾いて同志に励ましを送ります。いかに行動を制約されようとも、先生の広宣流布の戦いは決してとどまることはありませんでした。同年11月16日、先生は、豊島区の東京戸田記念講堂で開催された本部幹部会に途中から入場します。そこで、会長辞任後、初めての学会歌の指揮を執ります。「威風堂々の歌」の勇壮な調べが流れる中、心で叫びます――“大東京よ、立ち上がれ! 全同志よ、立ち上がれ!”。師匠の力強い指揮と、参加者の歌声はピタリと合い、会場は一つになりました。この日、東京の新たな“凱歌の行進”が開始されたのです。「雌伏」の章には、「戦いは智慧である。工夫である。創造である。どんなに動きを封じられようが、広宣流布への不屈の一念があれば、前進の道が断たれることはない」とあります。どのような状況にあっても、以信代慧の智慧を湧き上がらせ、全国・全世界に勝利の凱歌を轟かていくのが、世界広布の本陣・東京の使命です。

第30巻<上>

<解説編>

紙面講座池田主任副会長

小説『新・人間革命』の最終巻となる第30巻は上・下巻にわたり、「大山」「雌伏」「雄飛」「暁鐘」「勝ち鬨」「誓願」の全6章で構成されています。最初の「大山」の章は、1979年(昭和54年)が舞台です。第1次宗門事件の、山本伸一の真情とともに、5月3日・5日に認められた、「大山」「大桜」「共戦」「正義」の四つの揮毫についてつづられます。これらの揮毫が公表されたのは、後年になってからです。「正義」は25年後(2004年10月)、「共戦」は30年後(09年4月)でした。「大山」「大桜」は、2010年(平成22年)6月の本部幹部会で紹介されました。同幹部会は、池田門下にとって、一つの大きな節目でした。池田先生が出席されず、「君たちに万事を託していく総仕上げの『時』を迎えている」とのメッセージとともに、二つの揮毫が初公開されたのです。「大山」は、脇書に「わが友よ 嵐に不動の信心たれと祈りつつ」と記され、「いかなる烈風にも、大山のごとく不動であらねばならない」(118ページ)との創価の魂が脈打っています。「大桜」は、脇書に「わが友の功徳満開たれと祈りつつ」とあり、「どんな厳しい試練にさらされようが、仏法の因果は厳然である。全同志よ! 胸に創価の『大桜』をいだいて進むのだ」(119ページ)との思いが込められています。「大山」の章で、伸一は訴えます。「弟子が本当に勝負すべきは、日々、師匠に指導を受けながら戦っている時ではない。それは、いわば訓練期間だ。師が、直接、指揮を執らなくなった時こそが勝負だ」(85ページ)、「私に代わって、さっそうと立ち上がるんだ! 皆が“伸一”になるんだ!」(86ページ)。「山本伸一」の自覚で立ち上がるのは、「今この時」をおいてほかにありません。一人一人が「大山」のごとき不動の信心で、広布勝利の「大桜」を咲かせていく時です。

連載時の状況

「雌伏」の章の連載は、2017年(平成29年)3月から6月にかけてでした。この時期、池田先生は、東京の各区を訪れています。3月には、新宿の大久保・新宿若松・新宿平和会館の、3会館を視察。4月には、立川文化会館と豊島の東京戸田記念講堂を訪問します。さらに、6月は、荒川文化会館、中野南文化会館に足を運びます。また同章では、東京を舞台にした伸一の激励行が描かれています。1979年(昭和54年)、第3代会長を辞任した彼が、9月に30軒目となる個人指導に訪れたのは、狛江でした。隣接する調布への期待も記されています。同年12月には、荒川を訪問。足立にも思いをはせます。翌年2月には、目黒平和会館で同志を励まします。79年11月、東京戸田記念講堂で行われた本部幹部会で、伸一は会長辞任後初めて、学会歌の指揮を執ります。「大東京よ、立ち上がれ! 全同志よ、立ち上がれ!」(169ページ)――指揮を通して、東京をはじめとした全同志に勇気を送りました。この場面が掲載されたのは、2017年(平成29年)4月26日です。この日、池田先生は、東京戸田記念講堂に、66回目となる足跡をとどめられています。先生は初代会長・牧口先生、第2代会長・戸田先生の肖像が掲げられた講堂で、対話拡大に力走する総東京をはじめ、全国の同志の勝利と幸福、健康・無事故を深く祈念されました。「雌伏」の章には、「『仏法は勝負』である。ゆえに、広宣流布の戦いは、いかなる逆境が打ち続こうが、断固として勝つことを宿命づけられている」(170ページ)と書かれています。「仏法は勝負」との一念に徹し、不可能の壁を破って広布の勝利を収める――それが、本陣・東京の責務です。

学会創立100周年へ

今月6日、6・6「欧州師弟の日」40周年を記念する「欧州誓願総会」が行われました。30カ国を超える欧州の友が参加し、「歓喜の歌」のハーモニーが、日本をはじめ、世界の同志に希望を送りました。「欧州師弟の日」の淵源は、1981年(昭和56年)6月6日にさかのぼります。伸一は、牧口先生の生誕の日に、欧州研修道場で開催された夏季研修会に出席し、こう提案します。「この意義深き日を、『欧州の日』と定め、毎年、この日を節として、互いに前進を誓い合う記念日としてはどうか」(410ページ)81年は、1月から3月にかけての北・中米訪問、5月から7月までのソ連・欧州・北米訪問と、池田先生が世界各地を回り、激励を重ねた年でした。「雄飛」の章では、この年が「反転攻勢を決する年」(318ページ)であり、「いよいよ全世界の同志と共に世界へ打って出て、本格的に広宣流布の指揮を執らねばならない」(同)と、伸一の思いがつづられています。5月、伸一は「トルストイの家」(旧ソ連)や「ゲーテの家」(旧西ドイツ)に足を運びます。伸一は、文豪たちが生涯、執筆を続けたことに思いをはせ、自身は53歳であることから、「人生の本格的な闘争は、いよいよこれから」(357ページ)と、命ある限り行動し、ペンを執り続ける決意をみなぎらせます。79年4月の第3代会長辞任後、伸一の行動が聖教新聞に報道されることは、わずかでした。反逆者や宗門の画策によって、会合で指導したり、その指導を機関紙に掲載したりできない状況が続いていました。しかし、80年(同55年)4月30日、伸一の長崎での激励等の記事が聖教1面に掲載されます。その後、7月に聖教新聞で伸一執筆の「忘れ得ぬ同志」が開始となり、8月には小説『人間革命』第11巻の連載が2年ぶりに再開されます。アメリカ広布20周年を記念する諸行事に出席した秋の訪米では、伸一の写真が聖教新聞を飾り、81年の海外指導でも、彼の激励の模様が掲載されます。SGI会長として、伸一は海外から日本の友に、聖教新聞を通して勇気を送りました。「どんなに動きを拘束され、封じ込められようが、戦いの道はある。智慧と勇気の闘争だ」(140ページ)――伸一は、最愛の同志を鼓舞するため、「智慧と勇気の闘争」を貫いたのです。80年(同55年)11月18日、学会創立50周年を慶祝する式典で、伸一は師子吼します。「今日よりは、創立百周年をめざして、世界の平和と文化、広布のために、心新たに大前進してまいろうではありませんか!」(317ページ)学会創立100周年への初陣となる本年を、池田門下の「智慧と勇気の闘争」で勝ち開いていきましょう。

名言集

真の弟子

弟子のために道を開くのが師である。そして、その師が開いた道を大きく広げ、延ばしていってこそ、真の弟子なのである。(「大山」の章、71ページ)

軌道を進む

何があろうが、広宣流布の軌道を外さず、自ら定めたことを、日々、黙々と実行していく――まさに太陽の運行のごとき前進のなかにこそ、人生の栄光も広布の勝利もある。(「雌伏」の章、126ページ)

永遠の黄金則

何があろうが、“広宣流布のために心を合わせ、団結していこう”という一念で、異体同心の信心で進むことこそが私たちの鉄則です。いや、学会の永遠の“黄金則”です。(「雌伏」の章、178ページ)

「万」の「力」

「励ます」という字は「万」に「力」と書く。全力を注ぎ込んでこそ、同志の魂を揺り動かす激励となるのだ。(「雄飛」の章、289ページ)

仏法者の運動

どんな体制の社会であろうが、そこに厳として存在する一人ひとりの人間に光を当てることから、私たち仏法者の運動は始まります。(「暁鐘」の章、352ページ)