
広宣流布という崇高な目的に生きることがどれ程尊いことなのか、同志の戦いを見ずして感ぜずにはいられない。 どれ程圧倒的で、どれ程気高く、またどれ程福徳に満ちているのか。私の境涯からは想像を絶し感謝に絶えない連続なのです。 家の事情で高校に進学できなかった私は17歳で一人暮らしを始めた。転職と引っ越しを繰り返して、現在の地域で早14年が経つ。今では何不自由ない幸せな毎日を過ごしさせていただいている。何より広布の庭で戦わせていただけることが至福の一言に尽きます。
蒼蠅驥尾附して万里を渡り碧蘿松頭に懸かりて千尋を延
蒼蠅や碧蘿は、人の社会的立場などの外見的な姿をいい、驥や千尋松は、持つ法の偉大さを譬えている。
人間の偉大さは、身分や地位ではなく、いかなる法を持ち、いかなる生き方をするかで決まるのである。
汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か
一身の安堵、自身の幸福、安穏を願うならば、まず、四表の静謐、社会の繁栄と平和を祈るべきであると示されています。
あなたは、自分自身の安泰を願うならば、まず世の中の平穏を祈ることが必要ではないのか。
悦しきかな汝蘭室の友に交りて麻畝の性と成る
蘭室の友とは徳の高い人を指します。また、通常であれば曲がって伸びる蓬も、麻畑では周りの麻にならって真っすぐに伸びるようになります。
池田名誉会長は呼び掛けています。「創価という究極の『善知識の安全地帯』に縁することは、やがて絶対的幸福の生命の軌道へ通じていくのです」と。
信心とは自分自身との戦いです。全ては一生成仏のため、広宣流布のため、立正安国のためである。大きく動いて大きく仏縁を広げ、そして皆で大きく功徳を受け切ってまいります。