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師弟に生き抜く
7.3/7.17の出獄と入獄に師弟あり。
ありのままで歴代会長の崇高な精神に触れるとき、他人ごとのように「凄い」としか言えず、今の学会があるのは、7.3~7.17創価三代の会長の師弟の精神を貫ぬく歴史にある。
三代会長への報恩感謝すると共に、学会の組織で人間革命の挑戦をさせていただく所願成就と、広布の安全地帯を拡大していく大願成就を決意して参りたい。
はっきり言って思うに、ヤンキーでろくに勉強も出来なかった私が、そもそもお役に立てるのか。
恐れおおくも使命という語彙に自分を当て嵌めてよいものか。
男子部から現在は壮年部になって、本当の意味での決意とは何かが、つい最近になってようやく分かり出してきた。
小さな自分に自信がもてない。無気力になりかけるとき、
「この仏法に何一つ無駄はない。」と自らを鼓舞してきた。
私の最大の確信は、罰の恐ろしさを経験させていただいたことです。なので、活動を人生のど真ん中に置いています。
創価三代会長の師弟の精神を継承してまいります。
どんな宿業も必ず乗り越えて行くことができる。
その実証を示すのはこれからなのだ。
長年信心をして来て、「今は、こんなに幸せになった」と、誰もがそう言える時代に入った。それは、内面と外面の両方に言えることではないのだろうか。
今日は会館で行われるセミナーに行ってきました。
病を克服された、素晴らしいお話を伺うことができました。「こんな私でもこんなに幸せになれる」
と、話されていました。頭がよさそうな方でした。
私は紙に書いて貼ってます。「嵐に不動乃信心たれと祈りつつ」。何のための御書か!何のための題目なのか!!何のために信仰しているのか!!!
「法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼に・かなぼうたるべし」セミナー終了後、私には幹部の姿が偉大に輝いて見えました。
俺もあんなふうにになれるのだろうか?なりたい。なる。なって見せる。の活用が大切です。
なぜなら、自分の生命は「南無妙法蓮華経」永遠だからです。