新・人間革命 第4巻

小説「新・人間革命」に学ぶ

今回の「世界広布の大動 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第4巻の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を紹介する。次回の「名場面編」は16日付、「御書編」は23日付、「解説編」は30日付の予定。

第4巻基礎資料

物語の時期
1961年2月14日~10月8日

第4巻御書

御文

御文

福田ふくでんによきたねをくださせたもうか、なみだもとどまらず(御書1596ページ、衆生心身御書)

通解

福田に、すばらしい善根の種を蒔かれたのか。厚い志に涙もとまらない。

小説の場面から

〈会長就任1周年を目前したある日、山本伸一は供養の精神について思索する〉
広宣流布につくすことは、福田に善根の種を蒔くことであるーーそれは、伸一が青春時代から、強く確信してきたことでもあった。彼は、戸田城聖の事業が窮地に追い込まれ、給料の遅配が続くなかで、懸命に広布の指揮を執る戸田を守り、仕えてきた日々を思い起こした。伸一は、広宣流布に一人立った師子を支えることは、学会を守り、広布を実現する道であると自覚していた。彼は、自分の生活費は極限まで切り詰め、給料は、少しでも、広布のため、学会のために使うことを信条としてきた。それは伸一の喜びであり、密かな誇りでもあった。そのために、オーバーのない冬を過ごしたこともあった。

信心の至誠

ようやく出た給料の一部を、戸田の広布の活動のために役立ててもらったこともあった。そして、その功徳と福運によって、病苦も乗り越え、今、こうして、会長として悠々と指揮を執れる境涯になれたことを、伸一は強く実感していた。彼は人に命じられて、そう行動してきたわけではない。それは、自らの意志によって、喜び勇んでなした行為であった。また、広宣流布のために生涯を捧げようと決めた伸一の、信心の至誠にほかならなかった。(「凱旋」の章、136~137ページ)

御文

すべから一身いっしん安堵あんどを思わば四表しひょう静謐せいひついのらん者か(御書31ページ、立正安国論)

通解

一身の安泰を願うなら、まず世の静穏、平和を祈るべきである。

小説の場面から

〈1961年8月の夏期講習会で、伸一は「立正安国論」を講義する〉
「ここには、仏法者の姿勢が明確に示されている。自分の安らぎのみを願って、自己の世界にこもるのではなく、人びとの苦悩を解決し、社会の繁栄と平和を築くことを祈っていってこそ、人間の道であり、真の宗教者といえます。社会を離れて、仏法はない。宗教が社会から遊離して、ただ来世の安穏だけを願うなら、それは、既に死せる宗教です。本当の意味での人間のための宗教ではありません。ところが、日本にあっては、それが宗教であるかのような認識がある。宗教が権力によって、骨抜きにされてきたからです」(中略)

仏法者の使命

「社会の安穏を願い、周囲の人びとを思いやる心は、必然的に、社会建設への自覚を促し、行動となっていかざるを得ない。創価学会の目的は、この『立正安国論』にしめされているように、平和な社会の実現にあります。この地上から、戦争を、貧困を、餓鬼を、病苦を、差別を、あらゆる”悲惨”のニ字を根絶していくことが、私たちの使命です。そこで、大事なたってくるのが、そのために、現実に何をするかである。実践がなければ、すべては夢物語であり、観念です」(「立正安国」の章、288~289ページ)

立正安国の精神を胸に

ここにフォーカス『新・人間革命』第4巻「立正安国」の章では、山本伸一が「立正安国論」を講義する場面が描かれています。「立正」とは「正を立てる」、つまり正法の流布であり、生命の尊厳という哲理を、人々の胸中に確立し、社会の基本原理としていくことです。「安国」は、「国を安んずる」こと。その意味は、社会の繁栄と平和を実現することです。日蓮大聖人直筆の「立正安国論」には、「くに」を表現する際に、「国構え(口)に」「民」と書く「民」という字が多く用いられています。そこには、「安国」といっても、民衆一人一人の幸福を離れて社会の繁栄はない。という大聖人の国家観が表れています。 「立正安国論」は、世の中の惨状を嘆く客と、主人との対話形式で執筆されています。それは、日蓮仏法が「対話の宗教」であることを示しています。中国・冰心ひょうしん文学館の王炳恨おうへいこん前館長は、「池田会長が提唱し、自ら実践しておられる『対話の姿勢』と『対話の精神』は、さまざまな紛争を解決し、調和の世界を構築する”宝の道”でありましょう」と述べられています。立正安国の精神を胸に、私たちが日々、繰り広げている「一対一の対話」は、地味で、目立つことのない労作業かもしれません。しかし、この「対話の道」こそ、崩れない平和を築く”宝の道”なのです。

第4巻解説

紙面講座池田主任副会長


第4巻では、山本伸一が創価学会の第3代会長に就任した翌年となる1961年(昭和36年)の模様が描かれています。学会はこの年6月、年間目標であった200万世帯を達成。まさに旭日の勢いで、広布大きく伸展した時でした。その一方で忘れたはならないことが二つあります。一つ目は、「大阪事件」の裁判が山場を迎えていたことです。57年(同32年)7月3日、伸一は事実無根の選挙違反の容疑で逮捕され、同年10月から裁判が始まりました。ところが、弁護士から「有罪は覚悟していただきたい」(40ページ)と言われるほど、裁判は厳しい状況でした。こうした中で、伸一は広布の指揮を執っていたのです。もう一つが「村八分事件」です。「春嵐」の章では、当時、各地で起きていた学会員への不当な村八分について描かれています。事件の原因はいずれも、学会員が神社への行事の参加や寄付を拒否した、というものでした。しかし、その本質は、学会の布教によって、寺院や神社の関係者が、自身の立場を脅かされるのではなか、という”恐れ”を抱いたことに起因するものでした。村八分事件の報告を受けた伸一は、「長い人生から見れば、そんなことは一瞬です。むしろ、信心の最高の思い出になります」(71ページ)と語ります。その真意は「同志にとって大切なことは、何があっても、決して退くことのない、不屈の信心に立つことである。そこにこそ、永遠に、栄光の道があるからだ」(同)との思いからでした。襲い掛かってきた大難を、”強き信仰の人に育てていくためのステップ”として捉えていたのです。私たちは「不屈の信心」を心に刻み、前進したいと思います。

映像制作の原点

第4巻の「凱旋」の章では、供養の精神について記されています。見返りを求めず、法のために喜んで財物を施す行為を、「喜捨」といいます。この「喜捨」について、須達長者のエピソードを通して、「純真な信仰からうまれた、この喜捨の心こそ、まことの供養であり、そこに偉大なる福徳の源泉がある」(131ページ)、そして「喜捨の心は、境涯を高め、無量の功徳をもたらし、それがまた、信心の確信を深める。そこに、幸福の軌道を確立する、仏法の方程式がある」(133ページ)と記されています。当時、多くの同志は経済苦や病苦と格闘していました。会館の建設などを進める段階にきていましたが、供養を呼び掛けることに、伸一はためらいを覚えます。しかし、彼は御書を紐いて思索を重ね、供養の門戸を全同志に開くことを決断します。そして、こう誓います。「たとえ、今は貧しくとも、未来は必ずや大長者となることは間違いない。また、断じてそさせていくのだ。私は、仏を敬うように、励ましていかねばならない」(138ページ)この一文に、学会同志の供養に対する池田先生の心が表れているのではないでしょうか。この「心」に、学会の供養の原点があります。また「青葉」の章には、学会の映像制作について書かれています。伸一は、映像の可能性に着目し、記録映画の製作を提言します。そして担当者に対して、「近いうちに、総天然色(カラー)のニュース映画も作っていこう」「将来は、同志の体験談をもとにした劇映画やドキュメンタリーも作るようにしよう」(196ページ)と、未来への構想を語っています。これは、現在の学会の映像配信サービス「SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)」の原形ともいえます。この時の伸一の英断が、映像視聴を通した現在の学会の運動へとつながっていったのです。

人材育成の姿勢

伸一は会長就任2年目のテーマとして青年部の育成を掲げました。「青葉」の章では、青年が成長する要件を挙げています。ここでは3点述べたいと。1点目は、自身の使命を自覚することです。伸一は一部員であった頃から、戸田先生の構想を実現するために、学会の全責任を持とうとしてきました。「弟子として、師の心をわが心とし、学会のいっさいを自己の責任として考えてきた」「この見えざる無形の一念こそが、成長の種子といってよい」(156ページ)と書かれています。2点目は、師匠を定めることです。同章で、九州男子部のリーダーの姿を通して、こう記されています。「彼の行動は、師と仰ぐ伸一を基準にし、伸一の側に立って物事を考えていた」(162ページ)。”師と共に”との一念が成長の原動力となるのです。3点目は、両立に挑むということです。同章で、伸一は仕事と学会活動の両立に悩む青年に、「青年時代に、仕事も、学会活動もやりきったといえる戦いをすべきです。それが人生の基盤になるからです。」(169ページ)と語ります。祈りを根本に、全てをやり切ると決めていくことか、勝利は開かれることを教えています。こうした青年の成長の要件とともに、第4巻では「青年を育成する側」の姿勢についても言及しています。たとえば、「立正安国論」の章では、伸一が青年に触発を与え続けるために心掛けていたことが記されています。第1は「自分が、自身の原点であり、規範である師の戸田を、永遠に見失わないこと」(243ページ)。第二は「求道と挑戦の心を忘れることなく、自己教育に徹し、常に自分を磨き、高め、成長させていく」(同)。第三に「私心を捨て、人類の幸福のために生き抜く自らの姿を通して、青年の魂を触発していこう」(同)ということです。この心を、人材育成に携わる私たちも受け継いでいきたいと思います。

「青葉」の章では、61年6月に急逝した九州の婦人部長のことが紹介されています。彼女にはヨーロッパで仏法を弘めたいという夢がありました。伸一は同年10月、初の欧州指導の際、その子どもたちに絵皿の土産を買いました。その折、同行の友に、こう語っています。「皆、ともすれば、亡くなった人のことは、忘れてしまう。しかし、私は、一緒に戦い、苦労を分かち合ってくれた同志のことを、決して、忘れるわけにはいかないんだ。しかも、後に残された家族がいれば、なおさらだよ。私は、そした家族を、生涯、見守って行きたいと思っている」(318ページ)と。学会は”真心の励ましの世界”です。この先生の思いを胸に、希望の連帯を広げていこうではありませんか。

名言集

礼儀正しい行動

仏法は最高の道理であります。その仏法を信奉する私たちは、常に、礼儀正しい行動を心がけていかなくてはなりません。(「春嵐」の章、8ページ)

未来を開く一念

青年にとって大事なことは、どういう立場、どういう境遇にあろうが、自らを卑下しないことです。何があっても、楽しみながら、自身の無限の可能性を開いていくのが信心がからです。もし、自分なんかだめなんだと思えば、その瞬間から、自身の可能性を、自ら摘み取ってしますことになる。未来をどう開くかの鍵は、すべて、現在のわが一念にある。「凱旋」の章、81ページ)

寸暇を見つけて祈る

苦しいな、辛いなと思ったら。寸暇を見つけて祈ることです。祈れば、挑戦の力が湧いてくるし、必ず事態を開く事ができます。そして、やがては、自由自在に、広宣流布のため、活動に励める境涯になっていきます。(「青葉」の章、171ページ)

組織の建設は心遣いに

見事な組織をつくっていくといっても、人間としての思いやりであり、心遣いがすべてだ。そこに人は心を打たれ、頑張ろうという気持ちにもなる。(「立正安国国」の章、262ペー ジ)

戦う時は「今」

人生は長いようで短い。ましてや、青年時代は、あっという間に過ぎていってしまう。今、学会は、未来に向かって、大飛躍をしようとしている。広宣流布の大闘争の「時」が来ているんだ。時は「今」だよ。(「大光」の章、316ページ)