新・人間革命 第28巻

世界広布の大道「小説『新・人間革命』に学」

小説「新・人間革命」に学ぶ

今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第28巻の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を紹介する。

第28巻

<基礎資料編>

【物語の時期】1978年(昭和53年)6月28日~10月7日

「広宣譜」の章

1978年(昭和53年)6月28日、山本伸一は、新学生部歌の作詞を開始。この頃、宗門による理不尽な学会攻撃が激化していた。伸一は、仏子を守り、希望と勇気を送るため学会歌の制作に取り組む。新学生部歌「広布に走れ」は、30日の学生部結成記念幹部会で発表され、瞬く間に日本中の友に愛唱されていく。7月には、新男子部歌「友よ起て」や白蓮グループの「星は光りて」、新壮年部歌「人生の旅」、東京・練馬区の北町地域の支部歌「北町広布」が次々に発表される。さらに7・17「大阪の日」を迎えるに当たって、苦楽を共にしてきた関西の友に「常勝の空」を贈る。また千葉の歌「旭日遙かに」の作詞も手掛ける。伸一は、関西から中国方面の指導へ。移動の車中や懇談の合間も作詞・推敲に取り組み、岡山では九州の歌「火の国の歌」を。また、鳥取・米子文化会館では、蛍が舞い輝く庭で、中国の「地涌の讃歌」を完成させる。再び岡山に戻った彼は、四国の「我等の天地」を作り上げ、新高等部歌「正義の走者」(後の未来部歌)の歌詞を仕上げる。

<名場面編>

〈1978年(昭和53年)6月、山本伸一は新学生部歌「広布に走れ」を作詞作曲。30日、東京・荒川文化会館で行われた、学生部結成21周年を記念する幹部会で発表された。登壇した伸一は、叫ぶように訴えた〉

我と我が友よ 広布に走れ

伸一は、学生部員には、全員、人生の勝利者になってほしかった。 (中略) 「人生は、永遠に苦悩との戦いなんです。悩みは常にあります。要は、それに勝つか、負けるかなんです。何があっても負けない自分自身になる以外に、幸福はない。どんなに激しい苦難が襲い続けたとしても、唱題しながら突き進み、乗り越えていく――そこに、真実の人生の充実と醍醐味があり、幸福もあるんです。それが、本当の信仰の力なんです。 (中略) 二十一世紀の大指導者となる使命を担った諸君は、苦悩する友人一人ひとりと相対し、徹して励まし、仏法対話し、友を触発する指導力、人間力を、仏法への大確信を培っていってください。戸田先生は、青年たちに、常々、『次の学会を頼む』と、最大の期待を込めて言われていた。私は、そのお言葉通りに歩んできたつもりであります。同様に、今度は、諸君の番です。私は、万感の思いを込めて、『二十一世紀を頼む!』と申し上げておきたい」 (中略) ここで、合唱団による「広布に走れ」の合唱となった。 (中略)

〽広き曠野に 我等は立てり
万里めざして 白馬も堂々……

若人の情熱のスクラムが、大波のように、右に左に揺れた。それは、滔々たる新時代の潮流を思わせた。伸一は、皆の顔を眼に焼きつけるように視線を注ぎ、身を乗り出して、盛んに手拍子を打った。 学生たちは、誓った。使命の曠野に、敢然と挑み立つことを! 世紀の勇者となって、新時代の舞台に躍り出ることを! 革新の英知光る、慈悲と哲理の学徒となることを! 正義の対話を展開し、恒久平和の人類史を創造しゆくことを! 新しき歌は、新しき世代を鼓舞し、新しき時代を開く力となるのだ。(「広宣譜」の章、29~32ページ)

<基礎資料編>

「大道」の章

7月25日、四国研修道場での記念幹部会で山本伸一は、“凡夫こそ仏”という創価の人間主義の根幹を語り、“人材の四国に”と期待を寄せる。26日は、2度目の小豆島訪問へ。豪雨災害を乗り越えた友や草創の功労者を励ます。のちに「小豆島の歌」を贈る。27日、名古屋での「中部の日」記念幹部会では、中部に贈った「この道の歌」を皆で熱唱。伸一は、広布誓願の大道を進むなかに、信心の醍醐味と真の喜楽があることを語った。翌日、岐阜・東濃地域では、5回におよぶ記念勤行会を行い、渾身の激励を重ねる。8月2日、東京支部長会で、伸一が作った東京の歌「ああ感激の同志あり」が発表される。彼は終了後、代表幹部と懇談し、“東京は一つ!”との自覚を促す。さらに、東北の「青葉の誓い」、北陸の「ああ誓願の歌」、神奈川の「ああ陽は昇る」を作る。9日からの九州指導の激闘のなか、北海道の「ああ共戦の歌」(後の「三代城の歌」)を、22日からの長野指導では「信濃の歌」を発表するなど、希望の歌、勇気の歌を作り続け、全国に広布に生き抜く共鳴音を広げた。

<名場面編>

〈7月、山本伸一は愛知から岐阜の東濃へ。宗門をはじめ、さまざまな問題に苦しみながら奮闘している同志を励ますため、東濃文化会館で何回も勤行会を行った〉

一つ一つの出会いを全力で

二回目の記念勤行会を終えた伸一は、会館の窓から外を見た。土岐川の堤防を会館に向かって、歩いて来る人の列が続いていた。彼は、中部の幹部に言った。「三回目の勤行会を行いましょう。私は、会館に来てくださった方、全員とお会いし、勤行をします。何度でも行います」そして、「聖教新聞」の同行記者に伝えた。「今日、開催した勤行会の写真を、すべて明日付の紙面に掲載できないだろうか。東濃の皆さんに喜んでいただきたいんです。工夫してください」それから彼は、御書を開き、真剣に眼を注いだ。次の勤行会で講義をするためである。何事も、精魂を込めて、周到に準備してこそ成功がある。伸一の体調は、中国方面から四国を経て中部に至っても、まだ万全ではなかった。しばしば発熱があった。また、連日の猛暑が、彼の体力を消耗させていた。 (中略) しかし、伸一は、“これが、皆さんとお会いできる、人生でただ一度の機会かもしれない”と思うと、一回一回の勤行会に、全力投球せずにはいられなかった。 (中略) 四回目の記念勤行会は、午後七時四十五分から始まった。伸一は、ピアノを弾いて参加者を励ましたあと、「妙一尼御前御返事」を講義した。 (中略) 勤行会は、午後八時十五分に終了した。外には、まだ入れなかった人たちが待機していた。急いで入れ替えが行われた。記念勤行会は、遂に五回目となった。既に時計の針は、八時四十五分を指していた。 (中略) ここで伸一は、信心の究極は、「無疑曰信」にあることを語った。 (中略) 「広宣流布は魔との戦いです。権威権力の迫害をはじめ、予期せぬことが起こり、不信を煽りたてることもあるでしょう。どうか、何があろうが、『信』の一字を、深く、深く、胸に刻んで、広宣流布の大道を歩み通し、断じて幸せになってください」 (中略) 生命を振り絞り、魂をとどめての指導であった。(「大道」の章、173~179ページ)

<基礎資料編>

「革心」の章

9月11日、山本伸一は第4次訪中へ。8月に「日中平和友好条約」が調印されており、“日中新時代”の流れを広げ、万代の平和の礎を築こうと心に期しての訪問であった。12日、訪中団一行は、周西人民公社、楊浦区少年宮を訪れる。翌13日は図書贈呈のため復旦大学へ。蘇歩青学長や学生たちと懇談する。14日、蘇州にある景勝地の「虎丘」へ。さらに16日、南京の雨花台烈士陵園を訪れ、殉難の記念碑に献花する。17日の夜には、人民大会堂で一行の歓迎宴が行われる。伸一は、日中の平和友好条約に盛られた、平和を守る精神を構築していく根本は「信義」であると訴える。この時、初めての出会いとなった故・周恩来総理夫人の鄧穎超は、語らいの中で訪日の意向を述べる。19日、李先念党副主席と会見。その夜、伸一主催の答礼宴に、鄧穎超も出席。周総理も、鄧穎超も、共に生涯、心の改革を忘れず、革命精神を貫く、“革心の人”であった。伸一は、鄧穎超と日本での再会を約すとともに、日中友好の永遠なる金の橋を築き、周総理との信義に生き抜くことを強く心に誓うのであった。

<名場面編>

〈9月、山本伸一は第4次訪中を果たす。前月に「日中平和友好条約」が締結。伸一は、日中友好の永遠の流れを開こうと奔走する〉

真心の気遣いに“友好の魂”

訪中団一行は、宿舎の錦江飯店で、中日友好協会の孫平化秘書長らと共に朝食をとった。山本伸一と妻の峯子は、孫平化と円卓を囲んだ。孫の前には、焼いたメザシ、冷や奴、味噌汁などが並んでいた。円卓に着いた孫は、驚きの声をあげた。「おおっ、これは、メザシですね! そして、冷や奴! 味噌汁ではないですか!」峯子が、にこやかに微笑みながら答えた。「前回、中国を訪問させていただきました時に、孫先生は、日本に留学されていたお話をされ、メザシや、お豆腐の味が忘れられないと言われていたものですから……」伸一が、峯子の話を受けて語り始めた。「最初の中国訪問の時から、孫先生には、大変にお世話になってきました。私たちの感謝と御礼の気持ちを、どうやって表せばよいか、妻と話し合いました。そして、孫先生が、留学時代の日本での食事を、懐かしがっておられたことを思い出したんです。『では、日本から、メザシや豆腐などを持参して食事を作り、召し上がっていただこう』ということになったんです。これは、妻が作りました」 (中略) 伸一と峯子は、そもそも、食材を持ち込むことができるのか、豆腐を崩さずに、どう運ぶかなど、真剣に語り合ったのである。「どうぞ、冷めないうちに、お召し上がりください」峯子に促され、孫は箸を手にした。好々爺そのものの顔で、メガネの奥の目を細め、嬉しそうにメザシを口に運んだ。「懐かしい味です。おいしい! 山本先生と奥様の真心が染み渡ります」「孫先生に、そこまでお喜びいただき、本当によかったです」伸一が、こう言って相好を崩した。それは、伸一と峯子の小さな気遣いであったが、そこには“心”があった。この真心の触れ合いこそ、“友好の魂”といえよう。(「革心」の章、262~264ページ)

<基礎資料編>

「勝利島」の章

10月7日、学会本部に全国約120の島から同志が集い、第1回離島本部総会が行われる。伸一は、開会直前まで、沖縄支部長会の参加者や離島の代表などを、全力で励ます。北海道・天売島や愛媛県・嘉島、鹿児島県の吐噶喇列島や奄美群島、伊豆大島など、各島々の同志は、時に無認識による非難中傷を浴びながら、決然と広宣流布の戦いを起こしてきた。1974年(昭和49年)1月14日、離島本部の結成が発表されると、伸一も率先して石垣島や宮古島などを駆け巡る。また、離島本部の幹部に、激励の伝言を託すなど心を砕いた。78年(同53年)10月7日、遂に第1回離島本部総会が開催される。伸一は、各島で孤軍奮闘する、遠来の友を心からねぎらう。そして、各島々にあって、一人一人が「太陽の存在に」と訴える。この総会をもって、離島の同志は歓喜の出発を遂げる。広布誓願の決意を固めた同志にとって、わが島は、離れ島などではなく、久遠の使命を果たす天地であり、幸福島であり、「勝利島」となった。離島の新章節が幕を開いたのだ。

<名場面編>

〈74年(同49年)1月、離島本部の結成が発表され、鹿児島・九州総合研修所(当時)で第1回の代表者会議を開催。山本伸一はその前日、離島での活動について協議した〉

島で奮闘する大英雄を讃嘆

この席で彼(山本伸一=編集部注)は言った。「明後日、私は香港に出発するので、その準備のため、明日の離島の代表者会議には出席できません。しかし、出迎え、見送りをさせていただきます。皆、村八分などの迫害を受けながら、苦労し抜いて、各島々の広宣流布をされてきた、尊い仏子の皆さんだもの」 (中略) 一月二十五日、霧島連山の中腹にある九州総合研修所には、肌を刺すような寒風が吹きつけていた。午前十一時前、離島本部の第一回代表者会議に参加するメンバーのバスが到着した。バスを降りると、そこに待っていたのは、伸一の笑顔であった。「ご苦労様です! よくいらっしゃいました! 広布の大英雄の皆さんを、心から讃嘆し、お迎えいたします」伸一は、手を差し出し、握手した。島の同志たちも、強く握り返した。彼らには、伸一の手が限りなく温かく感じられた。その目に、見る見る涙が滲んでいった。多くは語らずとも、皆、伸一の心を、魂の鼓動を感じた。勇気が湧いた。 (中略) 伸一は、代表者会議を終えて、帰途に就くメンバーの見送りにも立った。バスに乗り込む一人ひとりの魂を揺さぶる思いで、声をかけ、励ましていった。「島のことは、皆さんにお願いするしかありません。皆さんが動いた分だけ、語り合った分だけ、広宣流布の前進があります」「皆さんのご健康を、ご活躍を、島の繁栄を、懸命に祈ります。朝な夕な、題目を送り続けます。私たちの心は、いつも一緒です。じっと、皆さんを見守っていきます」「島の人びとは、すべて自分が守るのだという思いで、仲良く、常識豊かに、大きな心で進んでいってください。信頼の大樹となって、全島民を包んでいただきたいんです」(「勝利島」の章、406~410ページ)

第28巻

<御書編>

御文
日蓮が弟子の中に異体同心いたいどうしんの者之有これあればれい せば城者じょうしゃとして城をやぶるがごと し(御書1337ページ、生死一大事血脈抄しょうじいちだじけつみゃくしょう

通解

日蓮の弟子の中に異体異心いたいいしんの者があれば、それは例せば、城の中にいる者が内部から城をやぶ るようなものである。

小説の場面から

<1978年(昭和53年)7月、山本伸一は岐阜・東濃文化会館の記念勤行会で、団結の要諦について語った>

鉄桶の団結が広布前進の力

「私どもは、互いに同志として尊敬し、仲良く、団結して進んでいくことが大事です。団結こそ、広宣流布の力であるからです。経文、御書に照らして、広宣流布の団体である創価学会の前進を阻もうと、魔が競い起こることは間違いありません。それは、外からの、権威、権力の弾圧や迫害となって起こることもあれば、同志間の怨嫉などの問題となって、内側から現れる場合もあります。特に私たちが、用心しなければならないのは、内部から蝕まれていくケースです。会員同士が怨嫉し、互いに恨んだり、悪口を言い合ったりするようになってしまえば、信心に励んでいても歓喜はありません。功徳、福運も消していきます。ましてや幹部が反目し合って、団結できず、陰で足を引っ張り合ったりすれば、仏意仏勅の組織は攪乱され、引き裂かれ、広宣流布が破壊されていく。その罪は大きい。皆さんが仲良く団結しているということは、皆さんが境涯革命、人間革命をしている証明なんです」 (中略) また、外敵は、団結できないところを狙って付け入り、師弟や同志を離間させ、反目させようとする。したがって、どこまでも鉄桶の団結をもって、魔に付け入る隙を与えないことが、同志を守り、広宣流布を大きく前進させる力となるのだ。(「大道」の章、171~172ページ)


御文

只須ただすべからなんじ仏にならんと思はばまん のはたほこをたをし忿いかりのつえをすててひとえ 一乗いちじょうすべし、名聞名利みょうもんみょうり 今生こんじょうのかざり我慢偏執がまんへんしゅう後生ごしょう のほだしなり(御書463ページ、持妙法華問答抄じみょうほっけもんどうしょう

通解

ただあなたが仏になろうと思うならば、慢心まんしんのはたほこをたおし、いかりのつえ てて、ひとえに一乗いちじょうの法華経に帰依きえ しなさい。名聞名利みょうもんみょうり今生こんじょうかざ りであり、我慢がまん偏執へんしゅう後生ごしょう の足かせである。

小説の場面から

<1958年(昭和33年)8月、山本伸一は鹿児島を訪問。信心に励み、経済苦を克服した壮年と懇談する。伸一は彼の慢心を見抜き、厳しく指導した>

慢心排して信心の勝利者に

「弘教に励み、事業がうまくいった――それは、ひとえに御本尊の功徳であり、信心の力です。しかし、もしも、慢心を起こし、信心が蝕まれてゆくならば、またすべてが行き詰まってしまう。したがって、自身の心に巣くう傲慢さを倒すことです。題目を唱え、折伏をすれば、当然、功徳を受け、経済苦も乗り越えられます。しかし、一生成仏という、絶対的幸福境涯を確立するには、弛まずに、信心を貫き通していかなくてはならない。信心の要諦は持続です。ところが、傲慢さが頭をもたげると、信心が破られてしまう。(中略) <日蓮大聖人は=編集部注>成仏したいと思うなら、ひたすら慢心の幢鉾を倒し、瞋りの杖を捨てて、一仏乗である南無妙法蓮華経を信じていくべきであると言われている。そして、名聞名利は、今生の飾りに過ぎず、我を張り、偏見に執着する心は、後生の成仏の足かせになってしまうと、指摘されているんです。私は、たくさんの人を見てきましたが、退転していった人の多くが傲慢でした。慢心があれば、自己中心になり、皆と団結していくことができず、結局は広宣流布の組織を破壊する働きとなる。あなたには、信心の勝利者になってほしいので、あえて言っておきます」(「勝利島」の章、390~391ページ)

ここにフォーカス 「走れメロス」と正義の生き方」

ここにフォーカス山本伸一作詞の未来部歌「正義の走者」は、1978年(昭和53年)に誕生しました。制作過程は「広宣譜」の章に詳述されています。作詞の際、参考とされたのが、太宰治の名著『走れメロス』でした。人間不信の王に捕縛された主人公メロスが、身代わりに預けられた親友のもとに、障害を乗り越えて戻ってくるまでを描いた物語です。「信実」が「猜疑」に勝ることを訴えています。池田先生は同著を題材に、青年部にエールを送ってきました。66年(同41年)7月の華陽会研修会では朗読を聞かせます。71年(同46年)10月には詩「メロスの真実」を高等部の友に贈り、信義を貫く“正義の生き方”を伝えます。先生の若き日の日記には、こうつづられています――「妙法の青年革命児よ、白馬に乗って、真っしぐらに、進みゆけ。山を越え、川を越え、谷を越えて。“走れメロス”の如くに。厳然と、師は見守っているぞ」。時は56年(同31年)3月、「大阪の戦い」の真っただ中でした。28歳の先生は、メロスのごとく一切の困難をはねのけ、劇的な戦いの指揮で、創価の正義を満天下に示しました。先生は、「正義の道は、自身の心との戦いの道である」(「広宣譜」の章)と強調しています。「正義の道」の途上には、幾つもの「壁」が立ちはだかっています。それを乗り越える勇気が、人生を豊かに、美しくするのです。

第28巻

<解説編>

紙面講座池田主任副会長

「広宣譜」「大道」の章では、1978年(昭和53年)、山本伸一が激務の中、「広布に走れ」や「信濃の歌」など、19曲の学会歌を作成する模様がつづられています。作詞に取り組んだ背景には、学会員に対し、宗門からの理不尽な攻撃が続いていたことがありました。伸一は、「多くの学会員が苦しめられている。だから、みんなを励ましたいんだ。こういう時こそ、新しい広宣流布のうねりを起こすんだ。どんどん歌を作るよ」 (14ページ)と語ります。6月30日、聖教新聞に「教学上の基本問題について」との記事が掲載されます。これは、学会の仏教用語の使い方などについて、宗門が異議を唱えてきたことに対し、回答をまとめたものでした。学会は、「会員を守ることこそ、第一義」(21ページ)と考え、宗門との和合を願って真摯に対応しました。この日、学生部の幹部会で、「広布に走れ」が発表され、「師弟の応援歌」(11ページ)のハーモニーが響きます。千葉県では、宗門の僧による学会攻撃が執拗を極めていました。同志の苦闘を聞いた伸一は、「千葉の同志の堂々たる旭日のような心意気を讃えるためにも、県歌が必要である」(70ページ)と、「千葉の歌」(現・旭日遥かに)を作成します。九州の同志も、宗門側の学会誹謗に怒りをこらえていました。伸一は「一緒に創価の『正義の歴史』をつくっていこう! <(82ページ)と、「火の国の歌」を九州の同志に贈ります。さらに、秋田や山形でも、学会に対する中傷の嵐が吹き荒れていました。東北には「青葉の誓い」を贈り、悪侶による広布破壊の暴挙と戦う北海道には、「ああ共戦の歌」(現・三代城の歌)を作りました。伸一は学会歌作成に全精魂を注ぎながら、全国の同志を直接励まします。岐阜・東濃での5回の勤行会をはじめ、鳥取・米子、長野・松本などで勤行会を開催し、激励を送ります。同年7月、鳥取・米子文化会館を訪問した伸一は、構内を視察し、楠に名前を付けていきます。「右近楠」「左近楠」「牧口楠」「戸田楠」と次々に命名し、最後の一本の前で、予期せぬ言葉を語ります。 これは、『無名楠』とします。無名無冠の王者という意味ですが、次の会長が来た時に、名前をつけてもらうためでもあります」(85ページ)伸一は未来を展望し、人材の流れが滔々広がったならば、世界広布に全力を注ぎたいと考えていました。そのために、一瞬一瞬を真剣勝負で臨み、学会歌を通して、各地に、”師弟の魂”をとどめていったのです。「広宣譜」の章に、「歌に価値をもたらしていくのは、皆さんの決意と実践」(46ページ)と記されています。学会歌に込められた師弟の魂を具現化していくのは、弟子一人一人の行動にはかなりません。

東京は一つ

78年7月、伸一は四国を訪問します。行事の合間を縫うようにして、本陣・東京に贈る歌の作詞に取り掛かります。東京からさらなる飛躍を期すため、必要なこととは何かーー思索を重ねる中で、彼の脳裏に浮かんだのが、「感激」という言葉でした。「仏法の眼を開けば、すべては感激に満ちている。自分が地涌の菩薩として、広宣流布の大使命をもって、この時に、広布の本陣たる大東京に出現したこと」「一つ一つが不思議な、大感動の事実であり、感激以外の何ものでもない」(129ページ)伸一は東京に寄せる思い、本陣の使命を歌詞に紡いでいきました。そして8月2日、東京支部長会で、「ああ感激の同志あり」を発表します。席上、伸一はこう語ります。「『感激』は、受け身になり、義務的に信心に取り組んでいたのでは生まれません。率先して行動を起こし、真剣勝負でぶつかっていく、その実践のなかにあるんです」(187ページ)さらに会合の後、東京の代表幹部に訴えます。「”東京は一つである”との自覚で、何かあれば、飛んで行って守り、協力、応援し合っていくことが重要です」(192ページ)、「“大東京”の前進は、わが町、わが地域という“小東京”の勝利のうえにある。私と一緒に、不敗の東京をつくろう!」(193ページ)今月18日、5・3「創価学会の日」を慶祝する本部幹部会・婦人部希望総会が、東京戸田記念講堂で晴れやかに開催されました。「感激の同志と、異体同心、師弟不二の凱歌を断固と誓い合って、私のメッセージといたします」ーー池田先生は、全国の同志に対し、”感激の同志”と呼び掛けられました。”感激のドラマ”の主役は、「他の誰か」ではありません。「私」です。「感激」はあ、主体的な行動によって心に漲っていくものです。率先の実践で、”感激の輪”を幾重にも広げていきましょう。

日常の振る舞い

東京・太田総区の伊豆諸島栄光圏は、創価太田大島本部、八丈島創価本部の二つの本部からなり、維持諸島や小笠原諸島の計11島のメンバーが所属しています。今月、婦人部が本部ごとに、オンラインの御書学習会を開催しました。同圏には、空港がない島や、沖縄とほぼ同じ緯度に位置する父島、母島などがあります。島同士の交流、特に婦人部の方々が、海を越えて励まし合うことは容易ではありません。今回、初めてオンラインでつながることができ、大きな喜びが広がっています。コロナ禍の中、新たなことに挑戦し、心の傷はを結び合ったのです。勝利島部(発足時は離島本部)の歴史は、広布を阻む制約を勝ち超えてきて歴史でもあります。その壮絶なドラマが「勝利島」の章にも克明に描かれています。学会への偏見が渦巻く中にあって。島出松堂に励む同士は、粘り強く信頼を勝ち取っていきました。その根幹は、どこまでも師弟でした。「『師弟の誓い』に生き、『使命』を自覚した同志が、『広布の大道』を切り開いてきた(416ページ)のです。伸一は勝利島部の友に、「賢明な日常の振る舞い」(440ページ)の大切さを訴えます。そして、「誰人に対しても、仲良く協調し、義理を重んじ、大きく包容しながら、人間性豊かに進んでいかれるよう、願ってやみません」(同)と語ります。これは、地域広布の要諦でもあります。未曽有の試練に直面する今こそ、このししんをむねに、地域に希望の光を届ける時です。

名言集

仏法の展開

仏法の展開のためには、時代に対応しながら、様々な現代の哲学、科学の成果を踏まえ、わかりやすく論じていくことが不可欠だ。(「広宣譜」の章、20ページ)

広布の本陣

首都・東京は、学会本部を擁する本陣である。広宣流布の決定打を放つのも、学会の未来を決するのも東京でだる。(「大道」の章、127ページ)

唱題第一の人

“唱題第一の人”はーー揺るがない。臆さない。退かない。破れない。胸中に、不屈の闘魂と歓喜の火が、赤々と燃えているからだ。(「大道」の章、170ページ

変化への対応能力

時とともに生活様式など、さまざまな事柄が、大きく変わっていく。ゆえに、自身の観念や、これまでも経験にばかり固執するのではなく、変化への対応能力を磨いていくことが、よりよく生きるための不可欠な要件を成る。(「革心」の章、267ページ)

信心の深化

信心の深化は、人間性となって結実し、豊かな思いやりにあふれた、具体的な言動となって現れます。(「勝利島」島の章、348ページ)