新・人間革命 第27巻

小説「新・人間革命」に学ぶ

今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第27巻の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を紹介する。

第27巻

<基礎資料編>

【物語の時期】1978年(昭和53年)4月~6月

「若芽」の章

1978年(昭和53年)4月9日、東京創価小学校が誕生し、第1回入学式が晴れやかに行われた。  創立者の山本伸一は、入学式終了後、児童たちと記念撮影、記念植樹をする。彼は前日にも小学校を訪れ、校内を視察。教員や児童らと懇談する。伸一の創価小学校に対する期待は大きく、前年には建設現場に足を運んだ。9日の記念植樹の後、伸一は児童たちと昼食を共にし、未来に伸びゆく「若芽」たちに祝福を送る。その後も、伸一は折あるごとに小学校を訪問し、母子家庭や経済的に大変な家庭の児童、障がいのある児童らと会い、抱きかかえるように激励する。10月には運動会に出席し、全員が立派な社会のリーダーに育っていくよう全力を尽くすと語る。また79年(同54年)3月には、児童祭にも出席。黄金の思い出を刻んでいく。82年3月、第1回卒業式で「『平和』の二字だけは生涯忘れてはならない」と訴える。翌月には、大阪府枚方市に関西創価小学校も開校する。創価一貫教育は21世紀に向かって、大きく翼を広げた。

<名場面編>

〈1978年(昭和53年)4月の開校に向け、東京創価小学校の工事が急ピッチで進められていた。山本伸一は工事関係者に感謝を伝えたいと、建設現場を訪ねた〉

陰で働く人への恩を忘れず

伸一は、作業服に身を包んだ鈴木所長に語りかけた。「私は、教育を自身の最後の事業と決めて取り組んできました。東京創価小学校は、未来の社会を担う人材を育む場所です。この学校から、二十一世紀の平和の指導者がたくさん育っていきます。世界にも羽ばたいていきます。校舎は、その成長の舞台です。(中略)着工が遅かったために、大変にご迷惑をおかけすることになると思いますが、どうか、ご尽力ください。無事故での竣工を、くれぐれもお願いいたします」彼は、自分の思いを率直に語り、握手を交わした。鈴木所長の表情が引き締まった。東京創価小学校を建設する意義に、深く感銘してくれたようであった。 (中略) “工事は、なんとしても間に合わせる!”その鈴木の一念と気迫に打たれ、現場の作業員も懸命に努力してくれた。工事は、ハイペースで進んだ。 (中略) 山本伸一は、四月九日、東京創価小学校の入学式終了後、 (中略) 正門を入って、すぐ右側に植えられた一本の桜の前に立った。小学校の校舎建設の責任者を務めた所長の鈴木元雄を顕彰する桜である。伸一は、桜を見ながら、児童たちに語っていった。「この桜は、小学校の校舎を建ててくださった人たちへの、感謝の思いを込めて植えたものです。 (中略) 作業は、たくさんの人が、雨の日も、強い北風の日も、雪の日も続けてくださった。 (中略) みんなの周りには、みんなのために、陰で、いろいろな苦労をして働いてくれている人が、たくさんいるんです。学校を建ててくださった方もそうです。お父さんやお母さんもそうです。これからお世話になる学校の先生や職員の方たち、また、通学で利用することになる電車の運転手さんや駅員さんもそうです。みんなのために、朝早くから夜遅くまで頑張ってくださっている。その方々のご恩を忘れない人になってください」(「若芽」の章、42~45ページ)

<基礎資料編>

「正義」の章

1978年(昭和53年)、宗門の若手僧らの学会攻撃は激しさを増していた。学会は、72年(同47年)に「広布第2章」の船出をする。山本伸一は、本格的な世界広宣流布の流れをつくろうと、日蓮仏法の本義に立ち返った教学の深化を図り、万人の平等を説く仏法の法理を、広く社会に展開してきた。宗門僧は、それを謗法と断じて学会を迫害。伸一は「正義」を貫くとともに、仏子を守るために、宗門の法主・日達とも対話し、事態の収束に努めてきた。78年4月15日、埼玉文化合唱祭に出席した伸一は、信仰によって躍動する生命で奏でる音楽や歌声は、万人の心を結ぶ“文化の懸け橋”となり、仏法を世界に開く推進力となると訴える。また20日、静岡の伊東平和会館の開館記念勤行会では、迫害は、広宣流布をしてきた証明であると指導する。さらに23日、伸一は三重研修道場での三重文化合唱祭に出席。24日には、地元の婦人部本部長宅を訪れ、草創の功労者らと語り合うなどして、三重文化会館へ。25日は関西に移り、30日には「’78千葉文化祭」を観賞。各地で入魂の励ましに徹した。

<名場面編>

〈同年4月、山本伸一は中部指導へ。中部の代表との懇談後、婦人が伸一のところへ来て、訴えた〉

師弟の誇りの歌を高らかに

県の文化合唱祭を開催する三重の婦人部長・平畑康江である。「あのう、文化合唱祭で、婦人部愛唱歌の『今日も元気で』を、どうして歌っては、いけないのでしょうか。私たち婦人部員の思いがこもった、みんなが、いちばん好きな学会歌なんです。どうか、歌わせてください!」 (中略) 「今日も元気で」は、婦人部の愛唱歌として皆に親しまれてきた歌である。歌詞には、日々、喜びに燃えて広宣流布に走る婦人部員の、一途な心意気が表現され、曲も明るく軽快なリズムであった。

〽あかるい朝の 陽をあびて

今日も元気に スクラムくんで

闘うわれらの 心意気

うれしい時も かなしい時も

かわす言葉は

先生 先生 われらの先生

(中略)

この文化合唱祭には、中部布教区の僧侶らも招待していた。当時、学会員が会長の山本伸一に全幅の信頼を寄せ、師と仰ぐことに対して、批判の矛先を向ける僧たちもいたのである。そこで、そうした僧を刺激してはまずいと考えてか、この歌は歌わない方向に決まったようであった。しかし、婦人部は納得できなかった。“なぜ、いけないのだ! 師匠を求める私たちの思いがこもった歌を、どうして歌うことが許されないのか!” (中略) ただ“歌が一曲、歌えなくなった”という問題ではなかった。自分たちの誇りが、いや、生き方そのものが、否定された思いがしてならなかったのである。 (中略) “どうして、師匠を敬愛する心を隠さなければならないのか! どこかおかしい”結局、婦人たちの主張が実り、「今日も元気で」は、三重文化合唱祭で歌われることになったのである。 (中略) リハーサル会場で、「今日も元気で」を合唱できるようになったことが発表されると、大歓声と大拍手が響き渡った。ハンカチで涙を拭う婦人もいた。(「正義」の章、177~180ページ)

<基礎資料編>

「激闘」の章

5月3日、会長就任18周年を祝賀する記念勤行会が全国各地で開催された。山本伸一は、創価大学での功労の同志への表彰式典で、「生涯、信行学の実践を」と訴える。5日、伸一は音楽隊の全国総会に臨む。終了後、テレビ局や新聞各社の記者と懇談し、青年の育成について語る。9日、伸一は東京・練馬文化会館の開館記念勤行会へ。草創の同志を励ました後、勤行会では「信心強盛な人こそ、最も“富める人”」と指導する。14日から、鹿児島県の九州研修道場で開催された春季研修会へ。鹿児島会館や会員宅も訪問し、創価大学出身の青年部員らとも語らいのひとときをもつ。17日には福岡へ飛び、九州最高会議で個人指導の基本姿勢を確認。続いて福岡圏・別府支部の体験談大会であいさつする。18日、山口市内の支部座談会では、座談会の在り方に触れ、功徳の体験を語り、信心の確信に満ちた集いにと望む。20日には平和原点の地・広島で初の開催となった本部幹部会に。21日には岡山県女子部の合唱祭へ。伸一は広宣流布の道を開くため、間断なき「激闘」を続ける。

<名場面編>

〈同年5月、山本伸一は音楽隊の全国総会に出席し、全精魂を込めて激励した〉

青年に全幅の信頼を寄せて

終了後、彼(山本伸一=編集部注)は、観覧席からグラウンドに降りた。大歓声が起こった。彼は出演者をはじめ、集った青年たちを励ましていった。 (中略) そのなかには、方面旗を両手で、終始、支え続けてきたメンバーもいた。また、中等部員の隊員もいた。伸一は、グラウンドを回りながら、各方面の音楽隊長と握手を交わし、中等部の隊員を見つけると、歩み寄っては、両手を広げて、抱え込みながら語りかけた。「すばらしい演技でした。勉強もしっかり頑張って!」 (中略) 額にも、首筋にも、汗を滲ませながら、何人もの青年たちと握手を交わしていった。全力で労をねぎらう彼を見つめるメンバーの目には、涙が光っていた。このあと伸一は、創価大学の会議室で、テレビ局や新聞各社の記者と懇談会をもった。記者の一人が質問した。「いつ見ても、学会の青年部は躍動しているという印象があります。また、その青年たちと山本会長とは、深い信頼で結ばれていることを実感します。会長は、どのようにして、青年たちとの信頼関係を培ってこられたんでしょうか」伸一は、静かに頷くと、語り始めた。「ありのままに、お答えします。私は、今日も、“ひたすら諸君の成長を祈り、待っている”と言いました。また、“一切をバトンタッチしたい”とも語りました。青年たちに対する、その私の気持ちに、噓がないということなんです。私は、青年たちに、『自分は踏み台である。諸君のためには、どんなことでもします』とも言ってきました。事実、青年部を百パーセント信頼し、なんでもする覚悟です。また、青年に限らず、皆が喜んでくれるならと、たとえば、去年一年間で、色紙などに一万七百八十四枚の揮毫をしました。つまり、私は、本気なんです。だから、その言葉が皆の胸に響くんです。だから、心を開き、私を信頼してくれるんです」(「激闘」の章、218~220ページ)

<基礎資料編>

「求道」の章

5月27日、山本伸一は、東北平和会館(後の青葉平和会館)で東北婦人部長・書記長らを激励。その後、東北6県の代表との懇談会に臨み、翌日は、宮城県幹部会に出席する。夜、伊達政宗の騎馬像が立つ、青葉城址を散策。24年前、戸田城聖と共に訪れた折、師が語った「学会は、人材をもって城となす」との言葉を思い、誓いを新たにする。29日、福島県に移った伸一は、本部長ら代表幹部との懇親会に。翌30日、郡山会館を訪れ、前年に亡くなった会館管理者の追善法要を行い、夫人を励ます。6月8日、伸一は北海道へ。11日には、厚田の戸田記念墓地公園での第6回北海道青年部総会で、30年先を目指し、広布の誓願に生き抜いてほしいと指導する。13日には釧路へ飛び、さらに別海の北海道研修道場を初訪問する。滞在中、役員の青年への激励をはじめ、標津町へも足を運ぶ。15日、釧路圏と道東圏の支部長・婦人部長らによる北海道幹部会へ出席。16日、上春別で雑貨店とドライブインを営む壮年と77歳の求道心旺盛な母親をたたえ、句を贈る。この北海道指導で、延べ2万人を超える同志を励ます。

<名場面編>

〈北海道の男子部員、菅山勝司は生活苦のなか、信心に励んでいた。60年(同35年)9月、釧路で男子部の会合が行われるという連絡が届いた〉

自転車で求道の走行100キロ

釧路までは列車で三時間ほどである。この時、彼(菅山勝司=編集部注)には、交通費はなかった。“来いと言ったって、どうやって行けばいいんだ……” (中略) 釧路の先輩たちの顔が、次々と浮かんだ。“待っているよ!”“信じているよ!”“立ち上がるんだ!”――そう言っているように思えた。彼は、起き上がった。“そうだ! 自転車で行けばいいんだ! 環境に負けていていいわけがない。皆と会い、山本先生のこともお聴きしたい” (中略) 自転車にまたがると、迷いを振り切るように、思いっきりペダルを踏んだ。舗装されていない道が続く。木の根っこにタイヤを取られないよう、ハンドルを強く握り締める。辺りには、街灯も人家の明かりもない。分厚い雲に覆われ、月も、星も、見えなかった。 (中略) 彼は、“俺に期待を寄せ、待ってくれている先輩がいるんだ。負けるものか!”と自分に言い聞かせた。 (中略) やがて夜が白々と明け始めた。朝霧のなかに、釧路の街が見えた。“もう少しだ。みんなと会える!”彼は安堵した。すると、途端に全身から力が抜け、どっと疲労に襲われた。自転車を止め、道端の草むらに横になり、背筋を伸ばした。そのまま眠り込んでしまった。太陽のまぶしさで目を覚ました。二、三時間、眠っていたようだ。疲れは取れていた。再び、勢いよく自転車のペダルを踏んだ。市街に入ったのは、午前八時ごろであった。一晩がかりの、百キロを大幅に上回る走行であった。菅山の顔は、汗と埃にまみれていたが、心は軽やかであった。自らの弱い心を制覇した“求道の王者”の入城であった。男子部の会合では、全参加者が、この“別海の勇者”を、大拍手と大歓声で讃えた。彼らは、菅山の姿に、男子部魂を知った。(「求道」の章、407~410ページ)

第27巻

<御書編>

御文

時の貫首為かんずたりといえども仏法に相違そういして己義こぎかまえばこれもちからざる事(御書1681ページ、日興遺誡置文にっこうゆいかいおきふみ

通解

たとえ、時の貫首為かんず(一宗の法主)であっても、仏法の正義に背いて、勝手な自説を立てた場合には、これを用いてはならない。

小説の場面から

<1943年(昭和18年)6月末、軍部政府の弾圧を恐れた宗門は、法主同席のもと、「学会も、一応、神札を受けるようにしてはどうか」と迫る>

学会が仏法の正義守り抜く

神札を受けることは、正法正義の根本に関わる大問題である。また、信教の自由を放棄し、軍部政府の思想統制に従うことでもある。牧口は、決然と答えた。「承服いたしかねます。神札は、絶対に受けません」 (中略) その場を辞した牧口は、激した感情を抑えながら、愛弟子の戸田に言った。「私が嘆くのは、一宗が滅びることではない。一国が眼前でみすみす亡び去ることだ。宗祖大聖人のお悲しみを、私はひたすら恐れるのだ。今こそ、国家諫暁の秋ではないか!」弟子は答えた。「先生、戸田は命をかけて戦います。何がどうなろうと、戸田は、どこまでも先生のお供をさせていただきます」創価の師弟とは、生死をかけた広宣流布への魂の結合である。それからほどなく、牧口と戸田は、「不敬罪」並びに「治安維持法違反」の容疑で、逮捕、投獄されたのだ。(中略)会長の牧口常三郎らが逮捕されるや、周章狼狽した宗門は、牧口一門の総本山への登山を禁ずるなど、学会との関わりを断とうとしたのだ。日蓮大聖人の仏法の清流は、正法正義を貫いた牧口と戸田城聖の、創価の師弟によって死守されたのである。(「正義」の章、122~124ページ)


御文

一切衆生しゅじょうを受くるはことごとれ日蓮一人いちにんの苦なるべし(御書758ページ、御義口伝おんぎくでん

通解

一切衆生しゅじょうが受けているさまざまな苦悩くのうは、ことごとく日蓮一人の苦である。

小説の場面から

<1978年(昭和53年)5月5日、山本伸一はマスコミ各社の記者と懇談。青年時代に、人々と同苦していくことの大切さが論じられていく>

青年は勇んで民衆と同苦を

ここには、全人類のさまざまな苦悩をわが苦とされ、万人に成仏の道を開かれた御本仏の、大慈大悲の御境涯が述べられている。その大聖人の御心を、わが心として立つのが、われら末弟の生き方である。自分のことだけを悩み、汲々としているのではなく、周囲の人たちと、あらゆる人びとと同苦し、苦悩を分かち合い、崩れざる幸福の道を示すために、広宣流布に生き抜くのだ。あの友の悩みに耳を傾け、懸命に励ましの言葉をかける。この人に、なんとしても幸せになってほしいと、必死に仏法を語り、題目を送る――われらの健気なる日々の実践こそが、大聖人に連なる直道であるのだ。その時、自身の偏狭なエゴイズムの殻は破られ、地涌の菩薩の、御本仏の大生命が胸中に脈動し、境涯革命の歯車が回転するのだ。伸一は、 (中略) 記者たちに語っていった。「苦労せずしては、人の苦しみはわかりません。もしも、そんな指導者が社会を牛耳るようになれば、民衆が不幸です。だから私は、未来を担う青年たちに、『苦労しなさい』と言い続けています。人びとの苦悩がわかる人になってもらいたいんです。そのためには、自ら困難を避けず、勇んで苦労を引き受け、人一倍、悩むことです」

(「激闘」の章、226~227ページ)

ここにフォーカス 師の志の継承

ここにフォーカス第27巻の連載は、2013年10月から開始されました。広宣流布大誓堂が完成したのは、同年11月のことです。2013年は、“黄金の3年”と意義付けられた、開幕の年に当たります。この年の夏、池田先生は「深く大きく境涯を開き、目の覚めるような自分自身と創価学会の発迹顕本を頼む」と指導しました。全国の同志は、この指針を深く心に刻み、“師弟誓願の殿堂”完成の瞬間を目指して、祈りを深め、広布にまい進してきました。その糧となったのが『新・人間革命』の連載でした。世界平和の構築のため、人類の未来のため、50年、100年先まで展望し、手を打っていく山本伸一。同巻に描かれる、その奮闘と精神を学びながら、創価の前進は勢いを増していったのです。落慶記念勤行会に先立つ11月5日、池田先生ご夫妻が出席しての入仏式が執り行われました。その日の連載には、「大事業は、一代で成し遂げられるものではない。弟子が、さらに、そのまた弟子が、先師の志を受け継ぎ、創業の思いで、全身全霊を注いでこそ、成就されるものである」とつづられています。ここに広宣流布を永遠たらしめる要諦があります。世代から世代へ、師の志を継承していく――それは、一人一人の水の流れるような地道な実践の積み重ねにあるのです。

第27巻

<解説編>

紙面講座池田主任副会長

「正義」の章が連載されたのは、2014年(平成26年)1月から3月にかけてでした。前年11月、「広宣流布大誓堂」が完成し、14年は「世界広布新時代 開幕の年」と定められました。世界広布新時代の開幕に当たり、大切なこととは何なのか。「正義」の章に、「牧口と戸田の、この死身弘法の大精神が、未来永劫に脈動し続けていってこそ、創価学会の魂は受け継がれ、広宣流布の清流が、大河となって広がっていく」(115ページ)とあります。同章には、牧口先生、戸田先生、そして池田先生の、創価の三代を貫く「死身弘法の大精神」が書きとどめられています。その精神を私たちが受け継ぎ、実践していくことこそ、学会が世界宗教として、さらに大きく飛翔するために最も大切なことです。1928年(昭和3年)、日蓮仏法に帰依された初代会長・牧口先生は、既成仏教化した宗門の信心の在り方ではなく、「本来の日蓮大聖人の教えに立ち返り、その御精神のままに、真正の日蓮門下の大道を歩もう」(117ページ)とされます。戦時中、宗門は軍部政府の弾圧を恐れ、神札を受けました。これに対して、牧口・戸田両先生は決然と拒否。牧口先生は、獄中で死身弘法の生涯を閉じられました。生きて牢獄を出た第2代会長・戸田先生は、牧口先生の遺志を継ぎ、学会を再建しました。ところが、宗門には「信徒を下に見て睥睨する、悪しき体質が温存されていた」(126ページ)のです。戸田先生は宗門を守りつつ、そうした悪僧と徹底して戦われました。山本伸一も、恩師と同じ心で、宗門に外護の赤誠を尽くします。僧俗和合のために、言うべきことも言います。その忠言に反感を持つ僧も少なくありませんでした。依然として、「檀信徒を僧の下に見る、強い意識」(140ページ)があったのです。そこにつけ込み、学会を陰で操ろうと画策したのが、弁護士の山脇友政でした。76年(同51年)ごろから、山脇は宗門にデマを流し続け、それに踊らされた僧が、学会攻撃を繰り返すようになるのです。伸一は、「今こそ会員一人ひとりの胸中に、確固たる信心と、広布の使命に生き抜く創価の師弟の精神を打ち立てねばならない」(157ページ)と決め、一人たりとも脱落させまいと、全精魂を注いで激励を続けます。78年(同53年)の年頭から5月の間で、彼は東京を除く8方面を訪問しています。6月、9方面目となる北海道指導では、16日間で道内を東西に横断し、約5000人と記念撮影。延べ2万人以上の友と出会いを結びます。本年は、学会が宗門から「魂の独立」を果たして30周年です。池田先生が「正義」の章に記された精神は、今の私たちに向けられたものであり、未来の世代が常に立ち返らなければならない「創価の原点」です。

みちのくの絆

78年(同53年)5月、宮城の東北平和会館(後の青葉平和会館)へ向かう車中、伸一は同行の友に東北への思いをこう語ります。「東北の同志の強さは、チリ津波や冷害など、試練に遭遇するたびに、困難をはね返し、ますます広宣流布の勢いを増してきたことにある」(325ページ)草創期以来、伸一は、東北の友の勇姿を見守り続けてきました。「求道」の章では、東北の同志が示した「信仰の最大の実証」について、「“心の財”をもって、真実の仏法の力を証明してきたこと」(348ページ)とあります。それは、東日本大震災から一歩ずつ復興の歩みを重ねてきた同志の姿にほかなりません。今月7日、東北広布70周年、東日本大震災から「福光10年」の意義を込めた「東北家族『希望の絆』総会」が、東北文化会館で開催されました。東北6県147会場を中継で結び、約1万人の友が参加。みちのくの“黄金の絆”が世界に希望を送りました。震災から10年を迎えた今月11日には、本紙で「随筆『人間革命』光あれ」<人間凱歌の福光>が掲載されました。その中で、池田先生は、「逆境に強い東北人の底力こそ、新時代を開く価値創造の源泉」であり、「『生命の世紀』『人間革命の世紀』を建設しゆく」総仕上げを担い立つのが、「わが愛する東北家族」と、東北への限りない期待を寄せられました。この万感の励ましを胸に、東北の同志は新たな前進を開始しました。「求道」の章に、山本伸一が東北6県の代表幹部にこう訴える場面が描かれています。「次の新しい十年をめざして、共に広宣流布の峰を登攀していこうではありませんか。新しき歩みから、希望が生まれます」(349ページ)東北の友の“福光”の軌跡は、学会創立100周年の2030年へと向かうこれからの10年において、ますます輝きを放っていくに違いありません。

本領発揮の時代

東京創価小学校が開校したのは、78年(同53年)4月です。「若芽」の章には、小学校の開校によって、「いよいよ、“創価教育”建設の第二期を迎えた」(30ページ)と記されています。伸一は創立者として、多忙な合間を縫って小学校を訪問し、児童・教職員に励ましを送ります。「東京創価小学校をはじめ、創価一貫教育のすべての学校と自分とは、“不二”であると思っていた。そして、児童の成長、卒業生の社会での活躍を、最高の生きがいとしていた」(92ページ)との一文に、池田先生の思いが凝縮しています。東京創価小学校の第1期生の卒業式(82年3月)で、伸一は「『平和』というものをいつも念頭において、一生懸命、力をつけてもらいたい」(102ページ)と訴えます。それから39星霜を刻んだ今月16日、同校の第40期生の卒業式が行われました。創立者は、学園生に「君たちと私の命は一体不二です。どこまでも一緒です」と、万感のメッセージを寄せられました。創立者の自分と創価の学びやに集ってくれた友とは「一体不二」――この思いは、池田先生の一貫して変わらぬ心です。4月2日には、創価大学が開学50周年を迎えます。さらに、5月3日には、アメリカ創価大学(SUA)が開学20周年の佳節を刻みます。また先日、マレーシアに中高一貫校「創価インターナショナルスクール・マレーシア(SISM)」が2023年を目指して開校することが発表されました。SISMの生徒が、創大やSUAに進学する日も遠くありません。いよいよ、「創価教育の本領発揮の時代」(51ページ)です。

名言集

教育

教育は、知識を与えることを目的とするのではなく、自分で考え、自分で得た知識を生かしていく方法を会得するためにあるのだ。(「若芽」の章、34ページ)

知恩

恩を知ることによって人間の道を知り、恩を返すことから人間の生き方が始まる。(「若芽」の章、45ページ)

伝持の人

仏法伝持の人とは、大聖人の仰せのままに戦い抜く「行動の人」である。広宣流布の勝利の旗を打ち立てる「実証の人」である。(「正義」の章、108ページ)

退転の本質

 退転の本質は、臆病であり、保身にある。(「正義」の章、198ページ)

信心の功労者

信心の功労者とは、過去の人ではない。未来に向かって、広宣流布のために、新たな挑戦をし続ける人である。(「激闘」の章、217ページ)

地道

長い目で見た時、時代の流れは、地道さが求められる時代にならざるを得ない。基礎がしっかりと築かれていなければ、時代の変化のなかで、はかなく崩れ去っていきます。人生も広宣流布も持久戦です。(「求道」の章、387ページ)