新・人間革命 第26巻

小説「新・人間革命」に学ぶ

今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第26巻の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を紹介する。

第26巻

<基礎資料編>

【物語の時期】1977年(昭和52年)9月30日~78年3月半ば

「厚田」の章

1977年(昭和52年)9月30日、山本伸一は、恩師・戸田城聖の故郷である北海道・厚田村(現在の石狩市厚田区)に完成した戸田記念墓地公園へ。それは、恩師を永遠に顕彰し、その精神をとどめる「記念の城」であった。伸一は公園内にある戸田講堂を視察。その夜、戸田の縁者が営む戸田旅館を訪れる。さらに、恩師から世界広宣流布を託された厚田の浜辺に立つ。10月1日、戸田講堂の開館記念勤行会で、墓地公園の意義を「永遠の広布旅、師弟旅の象徴」と述べる。祝賀の集いでは、男子部結成式前夜の、戸田との師弟の語らいを青年たちに伝え、広宣流布の大願を常に起こすように訴える。翌2日の開園式では、厚田を“生死不二の永遠の都”に、墓地公園は“人間蘇生の憩いの広場”と語る。3日の、北海道広布功労者の追善法要では、御書を拝し、広布に生き抜く人は「生の仏」であり、仏・菩薩の境涯のまま「死の仏」となると指導する。また、友の激励にも奔走。7日の記念勤行会で「人間革命」「地域友好」「信心継承」の3指針を示し、帰京の直前まで指導を続ける。

<名場面編>

〈1977年(昭和52年)10月、山本伸一は、北海道・厚田でブロック長・担当員として活躍する、元藤徹・トミ夫妻が営む食料・雑貨店を訪問した〉

約束を守ることが信頼の柱

その時、夫の徹が、「先生!」と言って、奥から飛び出して来た。トミは、絶句した。伸一は、微笑みながら言った。「今日は、十七年前の約束を果たしに来ましたよ。このお店の物を、全部、買おうと思って、お小遣いを貯めてきたんです」徹は、「十七年前の約束ですか?」と言って、キョトンとした顔で伸一を見た。  「そうです。昭和三十五年に、厚田村に会長就任のごあいさつに来た折に、お宅に伺う約束をしたではありませんか!」徹は、思い出したのか、「あっ!」と声をあげた。トミも驚いた表情で伸一を見た。約束は、信頼の柱である。人の信頼を勝ち取るための最大の要件は、約束を忘れず、必ず果たしていくことだ。たとえ、相手が忘れていたとしても、それを守っていくことによって、自分の生き方、信念、人格が確立されていくのである。伸一は、元藤商店の数坪ほどの店内に並べられた商品を、次々と購入していった。 (中略) 妻のトミは、伸一が購入した品々を、せっせと段ボールに入れていた。笑っていた徹の顔が、次第に感無量の面持ちになっていった。彼は思った。“十七年前におっしゃった一言を忘れず、お忙しいなか、わざわざ私の店を訪ねてくださった。そして、私を励まそうと、買い物までしてくださる。こんな方が、この世界のどこにいるだろうか……”買い物を終えると、伸一は元藤夫妻に言った。「小さな商店は、大きなスーパーなどと比べれば、生み出す利益は少ないかも知れません。しかし、地域の人びとの生活を支える、大事な生命線の役割を担っています。どうか、地域に根を張り、信頼の大樹となってください。お店が繁盛し、ご夫妻が幸せになることが、信心の勝利です。  また、おじゃまします。お元気で!」徹は、伸一の言葉に、ハッとした。“家族の生活を守るためだけの店じゃないんだ。地域の人びとの生活を支えるための店なんだ”(「厚田」の章、47~49ページ)

<基礎資料編>

「法旗」の章

「教学の年」第2年となる1978年(昭和53年)の1月6日の新春本部幹部会で、広布第2章の「支部制」の実施が発表される。それまでの総ブロックを支部とし、草創期の支部のように、弘教の「法旗」を敢然と掲げ、学会伝統の信心錬磨の組織を築き上げていくことになった。山本伸一は「支部制」の新しい発展の原動力は婦人部であると考え、14日、第2東京本部の婦人部勤行会に出席。また、15日に行われる教学部の試験に向け、教学部師範会議や教学部大会に臨み、自ら教学運動の先陣を切っていった。16日、伸一は愛媛県の松山へ。青年部幹部の家族や、会館管理者とその家族を励まし、学会を陰で黙々と支える友に光を当てる。17日、愛媛県幹部会へ。18日には功労者宅に足を運ぶ。また、松山支部結成18周年記念勤行会では、参加者を会場の愛媛文化会館の玄関前で出迎える。勤行会では、広布の一切のカギは自身の人間革命、人格革命にあると強調した。さらに、地元の婦人部幹部の要請を受け、愛媛訪問最終日の19日に勤行会を開催。幹部は会員のためにいるとの精神を行動で示す。

<名場面編>

〈63年(同38年)11月、山本伸一は、愛媛県初の会館である松山会館の落成入仏式に出席した〉

広布第一の信念に勝利輝く

伸一は、学会の会館は、「人材をつくる城」であり、「民衆救済の城」であり、「慈悲の城」であると力説。「どうか、皆さんは、“一切の民衆を救うのだ! この松山の広宣流布をするのだ!”との決意で立ち上がってください」と、訴えたのである。そして、帰り際には、参加者と握手を交わした。そのなかに、入会一年の羽生直一もいた。伸一は、彼の手を、強く握り締め、じっと目を見つめて言った。「松山を頼みます!」直一は、ぎゅっと握り返しながら、無我夢中で答えていた。「はい! 頑張ります」 (中略) “俺は、山本先生に誓った。人間と人間の約束をしたんだ。あの言葉を、その場限りのものとして終わらせては、絶対にならない。松山の広宣流布の責任をもつのだ!”それを、わが信念とし、努力に努力を重ねた。妻のみさ子と共に、草創の地区部長、地区担当員や支部長、支部婦人部長などを歴任していった。彼らは自分たちのことより、「広宣流布第一」「松山第一」と決めていた。 (中略) 地域に会場がなくて、皆が困っていることに気づくと、当時、呉服店の二階にあった自宅を会場に提供した。会合に集ってくる人は、呉服店の玄関を使うことになる。ある時、店に税務署員が調査に来た。ひっきりなしに客が出入りしていると聞き、“申告している以上の、莫大な儲けがあるのではないか”と思ったようだ。直一が帳簿を見せようとすると、税務署員は、「いや、結構です」と言って帰っていった。人の出入りは激しいが、皆、二階に上がり、帰る時も荷物が増えていない。訪問者は、会合参加者とわかったのだ。直一は、仕事では“お客様へのきめ細かな対応”を心がけてきた。学会活動でも、それを実践した。 (中略) 羽生夫妻が地区部長、地区担当員をしていた時、地区の大多数の人が一級の闘士となった。彼らが所属する愛媛支部には、十余りの地区があったが、支部の弘教の半分以上を、彼らの地区で占めてしまったこともあった。(「法旗」の章、173~175ページ)

<基礎資料編>

「勇将」の章

1月19日、香川県の四国研修道場を訪問した山本伸一は、源平・屋島の戦いの舞台となった夜の海を眺める。日蓮大聖人の「立正安国」に思いを巡らせ、「新しい創価学会の発迹顕本」といえる戦いの開始を誓う。また、方面・県幹部との懇談会では、“会合での指導と個人指導の比率は2対8を目標に”等と指導。新支部体制の出発となる本部幹部会が21日、四国研修道場で開催され、支部長の代表に支部証が手渡された。伸一は、幹部の最も大事な信心の基本姿勢は、一同志のために尽くし抜くことであると力説する。翌22日は、希望者全員が参加できる勤行指導会を開催し、集った同志に渾身の激励を重ねる。午後は、高松講堂の建設予定地で、寒風のなか、彼を待っていたメンバーを励ます。四国から関西に向かった伸一は、25日、明日香文化会館で奈良支部結成17周年記念幹部会に出席。席上、奈良支部の初代支部長・婦人部長夫妻に花束が贈られた。伸一は、広布の「勇将」をたたえ、折伏・弘教にこそ創価学会の使命と精神があることを述べ、わが生命に「信心の王城」を、「広布の師弟城」をと訴えた。

<名場面編>

〈78年(同53年)1月、山本伸一は奈良を訪れ、「支部制」出発の集いとなる幹部会に出席。支部長代表として、西坂勝雄が登壇し、抱負を語った〉

同志のための苦労を厭うな

彼(西坂勝雄=編集部注)は、かつては貧乏や病気で悩んでいた支部員の一人ひとりに、功徳の実証が現れ、その体験が座談会で楽しく語り合われている様子を報告。そして、新たなスタートに際し、支部で掲げたモットーを発表した。「一、悩んだら指導を受けよう。一、グチをいうより題目だ。一、クヨクヨするより実践だ。  このモットーを合言葉に、徹底して全支部員への激励と仏法対話を進めてまいります」伸一は、各支部が、いかんなく個性を発揮し、意欲的に、明るく活動を進めてほしかった。それが、飛躍の活力となるからだ。西坂は、最後に、ひときわ力を込めて訴えた。「一昨年、山本先生は、『恐るるな 功徳したたる 妙法の 法旗高らか 奈良は厳たり』との和歌を、奈良の同志に贈ってくださいました。私は、この和歌のごとく、力の限り前進してまいります!」真剣であった。懸命であった。伸一は、新支部長の、その心意気が嬉しかった。彼は、西坂にも、激励に記念の品を贈りたかった。しかし、何もない。御宝前に供えられた直径五十センチほどの鏡餅を見ると、彼は県長らに言った。「これを差し上げようよ」拍手が起こった。伸一は、鏡餅を台ごと一人で持ち上げようとした。重さは二十キロ以上もある。県長の沖本徳光は、運ぶのを手伝おうと、手を差し出した。しかし、伸一は、一人で抱えるようにして、西坂のところまで運んだ。餅についていた粉で、スーツは白くなっていた。だが、そんなことは、全く気にも留めず、「頼むよ!」と言って渡した。受け取った西坂の足がふらついた。沖本は、伸一の行動から、リーダーの在り方を語る、師の声を聞いた思いがした。“人を頼るな! 自分が汚れることを厭うな! 同志を大切にし、励ますのだ。それが、学会の幹部じゃないか!”(「勇将」の章、306~308ページ)

<基礎資料編>

「奮迅」の章

山本伸一は1月27日、全国で行われる支部結成大会の冒頭を飾る、東京・杉並区の方南支部結成大会に出席。「支部は地域における学会本部」と語り、師子奮迅の戦いをと呼びかける。30日には、第2東京支部長会に出席。2月18日の本部幹部会では、幹部は会員の皆さんの成長のために心を砕き、献身するなかに向上があると述べた。19日の信越男子部幹部会では、ホイットマンの詩の一節を通し、悪戦苦闘を覚悟し、「さあ、出発しよう!」と皆の決意を促す。伸一は、最前線組織であるブロック強化の流れを埼玉からつくろうと考える。3月6日、首脳幹部との懇談で、若き日の埼玉・川越地区での御書講義について述懐し、真剣勝負の行動の大切さを強調。7日、埼玉婦人部のブロック担当員会で、「自行化他にわたる実践のなかにこそ自身の真実の幸せがある」と指導する。伸一の奮闘によって、「支部制」に魂が打ち込まれ、組織の隅々まで、新生の息吹があふれていった。3月の半ば、彼は幹部に、油断を排し、「日々挑戦」をと訴える。この頃、宗門の悪侶らによる誹謗中傷が、激しさを増していたのである。

<名場面編>

〈52年(同27年)、山本伸一は蒲田支部の支部幹事として、二月闘争の指揮を執った。当時、埼玉・川越地区の御書講義も担当しており、同年12月の講義の折、終了後、伸一は壮年の幹部から質問を受ける〉

歓喜の連鎖に拡大は飛躍

その壮年は、伸一に言った。「今年二月の蒲田支部の戦いには、本当に驚きました。山本さんが指揮を執られて、折伏が二百世帯を超えたんですね。いつか、お伺いしようと思っていたんですが、どうすれば、あんな戦いができるんですか」「私は、戸田先生が会長に就任された今こそ、千載一遇の広宣流布の好機であると思っています。この数年で、どこまで拡大の波を広げ、人材を育成できるかが勝負です。仏法史上、これほど重要な“時”はありません。だから“弟子ならば立とう! 不惜身命の実践をしよう!”と腹を決めたんです。特に二月は、折伏の総帥たる戸田先生が誕生された月です。そこで、『折伏・弘教をもって、先生のお誕生の月を飾ろう』と決意するとともに、皆にも訴えました。 (中略) “先生のために戦うのだ”と思うと、勇気が、歓喜が、込み上げてくるんです。それを蒲田の同志に伝えたかったんです。もう一つ、私が叫び抜いたのは、『宿命転換、境涯革命のための戦いを起こそう!』ということでした。 (中略) 学会活動は、すべて自分のためなんです。題目と折伏をもってして、解決できない悩みなどありません。そのことを戸田先生は、命を懸けて力説されています。 (中略) 皆も、“必ず宿命を転換してみせる!”という決意を固め、闘魂を燃え上がらせて、戦いを開始してくれました。 (中略) すると、病気を克服できたとか、失業していたが仕事が決まったなどという体験が、次々に生まれていきました。 (中略) それに触発され、“よし、自分も折伏をしよう!”と立ち上がる人や、入会を希望する人が、ますます増えていきました。功徳の連鎖、歓喜の連鎖が起こった時に、活動の歩みは飛躍的に前進します。(「奮迅」の章、407~409ページ)

第26巻

<御書編>

御文

釈迦仏しゃかぶつは三十二そうそなわって身は金色・面こんじき・おもては満月のごとし、しかれどもあるいは悪人はすみとみる・或は悪人ははいとみる・或は悪人はかたきとみる(御書1303ページ、破信堕悪御書はしんだあくごしょ

通解釈尊しゃくそんは、仏の特質である三十二相をそなえ、身は金色に輝き、その顔は満月のようだ。しかしながら、ある悪人は炭と見、ある者は灰と見る。また他の悪人は敵と見る。

小説の場面から

<1977年(昭和52年)10月、山本伸一は、北海道・厚田に完成した戸田講堂の開館記念勤行会に出席。広宣流布の道は常に険路であることから、皆の覚悟を促していく>

「この釈迦仏とは、三十二相といわれる仏としての優れた身体的特質を備えた、インド応誕の釈尊であります。釈尊は、仏として人びとから最高の尊敬を受けておりました。それでも、心の曲がった悪人は、金色に輝く仏を、炭と見たり、灰と見たり、敵と見てしまうとの意味であります。その釈尊に対して、御本仏・日蓮大聖人は、凡夫の姿で、悪世末法に出現された。したがって、大聖人が数々の大難に遭われたのは、当然と言えましょう。いわんや、われらは凡愚の身であり、民衆、信徒です。その私どもが、大聖人の仰せ通りに、広宣流布を現実のものとしてきた。

正法正義の大道に大難あり

軽んじられてきた庶民が、最も尊い聖業を担ってきたのであります。さまざまな難が、北風が、怒濤が、嵐が吹き荒れるのは、これまた当然のことと言わざるを得ません。ゆえに、牧口先生、戸田先生は投獄され、牧口先生は命をも奪われました。私の人生も相次ぐ迫害の連続でした。御書に照らして、当然、これからも、わが学会には、激しい北風の突風が吹くでありましょう。しかし、絶対に負けてはならない。絶対に屈してはならない」 (中略) 正法正義の大道に大難あり――その道理を悟ることが、覚悟の信仰なのだ。 (「厚田」の章、26~29ページ)


御文

各各おのおの師子王の心を取りいだして・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣ひゃくじゅうにをぢず・師子の子・又かくのごとし(御書1136ページ、聖人御難事しょうにんごなんじ

通解 あなたがた一人一人が師子王の心を奮い起こして、どのような人が脅そうとも、決して恐れてはならない。師子王は百獣を恐れない。師子の子もまた同じである。

小説の場面から

<1951年(昭和26年)9月25日、山本伸一は、第1回の埼玉・川越地区での御書講義で「師子王の心」について語った>

「『師子王の心』とは何か。日蓮大聖人の大精神であり、末法の一切衆生を救済していこうという御心です。そして、その仰せのままに、広宣流布に立たれた、牧口先生、戸田先生のご精神でもあります。また、師子王の『師子』とは、師匠と弟子であり、師弟を意味しています。つまり、弟子が師匠と呼吸を合わせ、同じ決意に立ってこそ、何ものをも恐れぬ、勇敢な『師子王の心』を取り出していくことができるんです。私は、毎日、“弟子ならば、戸田先生のご期待にお応えするんだ!”“先生に、お喜びいただける広宣流布の歴史を残そう!”と、自分に言い聞かせています。

己心の師匠が勇気の源泉に

すると、どんな苦難に直面しても、“へこたれてなるものか!”という勇気が湧いてきます。また、わが胸中に師匠をいだき、いつも師と共に生きている人は、人生の軌道、幸福の軌道を踏み外すことはありません。その己心の師匠が、自分の臆病や怠惰を戒め、勇気と挑戦を促し、慢心を打ち砕いてくれるからです。人の目はごまかせても、己心の師匠は、じっと一切を見ています。私たちには、戸田先生という偉大な広宣流布の師匠がいます。その先生が、いつ、どこにあっても、自身の胸中にいる人が、真の弟子なんです」(「奮迅」の章、395~396ページ)

ここにフォーカス 墓園は「永遠の師弟旅」の象徴

ここにフォーカス全国15カ所にある創価学会の墓地公園。緑豊かな景観や美しく整備された施設、職員の爽やかな応対に、墓参者や地元住民の方々から、賛嘆の声が寄せられています。「厚田」の章に、学会の墓園の基本理念が示されています。第一に、永遠の生命観に立脚し、安定した質の高い維持、管理を行う「恒久性」。第二に、皆が仏性を具えているという平等観に立ち、墓の大小を競うような風潮を排した「平等性」。第三に、妙法の生死不二の原理を象徴する、親しみやすい「明るさ」。この三つの理念に賛同し、創価学会の墓地公園を、「自然と共に生きて、何十年も先まで、地域に根ざし続け、一種の文化に発展する景観」の先駆的存在とたたえる識者もいます。そんな墓園の発展に、誰よりも心を砕いてきたのが池田先生です。墓園に足を運んだ際も、職員に対し、「来た人に喜んでもらおうよ」と、“色調を考え、色とりどりの花や木を植えよう”など、具体的な提案をしています。「厚田」の章に、「永遠の広布旅、師弟旅の象徴ともいうべきものが、この墓地公園であります」と。永遠の生命、生死不二を説く仏法に基づく墓地公園の存在意義は今、ますます輝きを増しています。

第26巻

<解説編>

紙面講座池田主任副会長

第26巻は、1977年(昭和52年)9月、山本伸一が、第2代会長・戸田城聖先生の故郷である北海道・厚田村(現在の石狩市厚田区)を訪問する場面からスタートします。恩師の名を冠した「戸田記念墓地公園」が完成し、10月2日に開園式が行われます。墓園の構想は、「わが同志と一緒に、どこかで静かに眠りに就きたいものだな」(24ページ)との戸田先生の一言に由来しています。恩師の言葉は、生死不二の原理に照らしていえば、「再び新たなる生命を蘇らせ、共々に広宣流布に戦っていこう」(25ページ)との意味であり、墓地公園は「その永遠の広布旅、師弟旅の象徴ともいうべきもの」(同)です。伸一は、恩師の言葉を心に刻み、墓園の構想を実現させました。そして、「創価学会の基盤も、これで完璧に出来上がった」(同)と宣言したのです。広布の基盤が完成する一方で、顕在化しつつあったのが、伸一を排斥しようという宗門の謀略でした。77年は、第1次宗門事件前夜ともいうべき状況にありました。72年(同47年)秋に「広布第2章」が開幕した後、学会は本格的に会館建設に着手します。それまで、宗門の外護を優先し、寺院の建設などに力を入れていたのです。また、教学運動についても、大聖人の仏法を世界へと広げるため、新しい展開を開始しました。ところが、宗門の僧は、「広布第2章」の学会の運動を理解できず、それどころか、宗門から“独立しようとしている”と曲解。77年ごろから寺の行事などで、執拗に学会批判を繰り返すようになります。それでも、伸一は「僧俗和合」を願い、宗門を大きく包み込もうとします。戸田墓園の開園式で、伸一はこう訴えます。「何があろうが、驚いたり、臆してはいけません。どのような厳しい烈風に対しても、私が屋根となり、防波堤となっていきます」(55ページ)彼の心には、いかなる状況になっても、同志を守り抜こうとの、揺るがない決心がみなぎっていたのです。「法旗」「勇将」の章では、伸一の50歳の節目について言及されています。50歳は、日蓮大聖人が、竜の口の法難と佐渡流罪に遭われた年齢(数え年)でした。大聖人の御境地に思いを馳せ、伸一は「わが人生の、さらに、新しい創価学会の発迹顕本といえる戦いを開始せねばならない」(218ページ)と誓います。私たちにとって、「発迹顕本」とは、「広宣流布を、人生の至上の目的、使命と定め、その果敢なる実践を、現実生活のなかで展開していくこと」(217ページ)です。大切なことは、日々、「地涌の使命」に燃え、広布拡大に挑んでいくことです。

リーダーの自覚

広布第2章の「支部制」の実施が発表されたのは、78年(同53年)の新春本部幹部会でした。それまでの「総ブロック」を「支部」とし、総ブロック長は支部長、総ブロック委員は支部婦人部長、男女青年部の総ブロック長は部長として新出発を切りました。支部制という“新しい流れ”がスタートする中で、伸一は、学会活動が多元的になるほど、「基本を疎かにしてはならない」(255ページ)と訴えます。リーダーの基本的な実践について、伸一は次の点を強調します。1点目は、会合での指導と個人指導を「2対8」の比率にしていくことです。「二対八を目標にしていけば、もっと人材が育ちます。学会も強くなっていきます。また、何よりも、幹部の皆さんが大きく成長していくことができます」(221ページ)と述べています。2点目は、“折伏精神”を学会の隅々にまで燃え上がらせることです。支部のリーダーには、「常に自分と同じ心で、“折伏精神”をたぎらせ、あらゆる活動の先陣を切ってほしかった」(310ページ)のです。3点目は、支部組織は本部と同等の責任と使命を担っており、「支部は地域における学会本部であると決めて、各人が地域に仏法を打ち立て、展開して」(329ページ)いくことです。先月、学会創立100周年への第一歩を刻む第1回本部幹部会とともに、第1回青年部幹部会が開催されました。コロナ禍の中にあって、会合や激励の方法も多様化し、世界広布への“新しい流れ”が加速しています。学会活動の在り方は、時代に相応した変化を遂げていかねばなりません。しかし、根本は決して変わりません。危機の今こそ、『新・人間革命』から学会精神を学び、活動に取り組んでいく姿勢が肝要です。「組織を活性化させ、地域広布を推進する根本は、人間の一念の転換にこそある」(127ページ)と記されている通り、広布推進の原動力は、どこまでいっても、リーダーの一念です。師が示した指針の実践――その繰り返しの中で、新時代を開く広布の堅固な基盤が築かれていくのです。

総仕上げの指針

第26巻では、「総仕上げ」という言葉が一つのテーマとなっています。「厚田」の章では、“人生の総仕上げ”について、「老い」は終局を待つ日々ではなく、「今世の人生の総仕上げであるとともに、次の新しき生への準備期間なのである」(81ページ)と述べられます。さらに同章では“広布の総仕上げ”の指針として、①自身の人間革命、②友好活動の継続、③一家の信心継承、の3点が示されています。「奮迅」の章では、57年(同32年)の「夏季ブロック指導」の模様を通して、“師匠の総仕上げの戦い”についてつづられています。この年、戸田先生の生涯の願業である75万世帯の達成が見え始めていました。夏季ブロック指導で東京・荒川区の指揮を執った伸一は、友の激励に奔走し、1週間で、区の会員世帯の1割を超す弘教を成し遂げます。伸一は、その戦いを通して、「師匠の総仕上げの戦いというのは、弟子の大成を見届けることなんです。つまり、弟子が、『先生! わが勝利を、ご覧ください!』と、師匠に胸を張って報告できる実証を示すことなんです。それが、師弟不二です。私は、そう心を定めたからこそ、力が出せた」(350ページ)と語ります。弟子が受け身ではなく、「師の指導を深く思索し、わがものとして、人びとの幸せのため、広宣流布のために、勝利の旗を打ち立てていく」(367ページ)。ここに、「師弟不二」の戦いがあります。“総仕上げ”の指針を心に刻みながら、一人一人が、「勝利の旗」を打ち立ててまいりましょう。

名言集

希望

心が敗れてしまえば、希望の種子は腐り、芽が出ることはない。希望は、豊かで、強い心の大地から生まれるんだ。自分の心の外にあるものじゃないんだ。(「厚田」の章、8ページ)

組織

強靱な組織、無敵の組織とは、功徳の体験の花が、万朶と咲き誇る組織である。(「法旗」の章、119ページ)

心の共有

人間主義とは、何か特別な生き方をすることではない。奮闘している人や苦労している人がいたら、声をかけ、励ます。喜んでいる人がいたら、共に手を取って喜び合う――その心の共有のなかにこそあるのだ。(「法旗」の章、170ページ)

信仰者

御本尊への真剣な祈りに始まり、祈りに終わる。それが信仰者の生き方である。祈り、題目を忘れて勝利はない。(「勇将」の章、223ページ)

持続

持続とは、単に、昨日と同じことをしていればよいという意味ではありません。それでは惰性です。“さあ、出発しよう”と、日々、新たな決意で、自分を鼓舞して戦いを起こし続けていくのが、本当の持続の信心なんです。(「奮迅」の章、374ページ)