新・人間革命 第24巻

小説「新・人間革命」に学ぶ

今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第24巻の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を紹介する。次回の「名場面編」は13日(火)付、「御書編」は21日付、「解説編」は28日付の予定。

第24巻

<基礎資料編>

【物語の時期】1976年(昭和51年)8月~77年2月17日

「母の詩」の章

1976年(昭和51年)の8月末、山本伸一とフランスの作家アンドレ・マルローとの対談集が発刊された。また、同月半ばから10月上旬にかけて開催された県・方面の文化祭は、「人間革命の歌」とともに、人間讃歌の絵巻を繰り広げた。9月5日、伸一は東京文化祭に出席。彼の作った詩に曲をつけた「母」の歌が演奏された。伸一は、歌声に耳を傾けながら、世界中の尊き母たちへの感謝を込め、病床にある母・幸を思い、心で唱題。また、再挑戦で5段円塔を完成させた男子部員らを励ます。文化祭の終了後、伸一は容体が急変した母を見舞うため、実家へ急ぐ。母は、彼の姿を見ると、安心したようにほほえみ、目を閉じる。伸一は、明るく、忍耐強かった母の思い出をかみしめる。翌朝、母は安らかに霊山へと旅立つ。伸一は15日、静岡県の東海研修所(当時)で、牧口常三郎を顕彰する胸像除幕式に臨む。10月25日には戸田城聖の故郷・厚田村で戸田記念墓地公園の着工式に出席する。さらに石川に戸田記念室、富山に牧口記念室の設置を提案するなど、師弟の魂を永遠にとどめようと力を尽くす。

<名場面編>

〈1976年(昭和51年)9月、山本伸一の母・幸は、安らかに霊山へ旅立った。伸一の胸に母との思い出が浮かぶ〉

親孝行こそ最も大切な人道

母は、自分を犠牲にして、たくさんの子どもを育ててきた。伸一は、その恩に報いるためにも、元気なうちに旅行もしてもらおうと、力を尽くした。母は、楽しそうに出かけて行った。その地の学会員との出会いを喜びとしていた。母の笑顔を見ることが、彼は、何よりも嬉しかった。母は子に、無尽蔵の愛を注いで育ててくれる。子どもは、大威張りで、母に甘える。母が老いたならば、今度は、子どもが親孝行し、恩返しをする番である。子どもに、その「報恩」の自覚がなくなってしまえば、最も大切な人道は失せてしまうことになる。母の幸は、学会本部に来る時には、よく自分で縫った黒い羽織を着ていた。本部は、広宣流布の本陣であり、歴代会長の精神が刻まれた厳粛な場所である。正装して伺うのが当然である――というのが、母の考えであった。息子が会長であるからといって、公私を混同するようなことは、全くなかった。母が亡くなる前年の一九七五年(昭和五十年)四月のことである。(中略)伸一は、母と久しぶりに会う時間があった。諸行事が続くなか、言葉を交わしたのは、数分にすぎなかった。彼は、花の大好きな母のために、レイと桜の小枝を贈った。レイを首にかけると、母は、「ありがとう、ありがとう」と、何度も言い、桜の花を見ては、微笑んだ。別れ際、伸一は、自分にできる、せめてもの親孝行として、母を背負って、坂道を歩こうと思った。伸一が、かがみ込んで背中を向けると、母は、はにかむように言った。「いいよ、いいよ。そんなことを、させるわけにはいかないよ」「いいえ、お母さん。私が、そうしたいんです」伸一が、強く言うと、母は、「悪いねえ」と言って、彼の背中に乗った。小柄な母は、年老いて、ますます小さく、軽くなっていた。伸一が、「うーん、重い、重い」と言うと、屈託のない笑い声が響いた。背中に感じた、その温もりを、彼は、いつまでも、忘れることができなかった。(「母の詩」の章、53~54ページ)

<基礎資料編>

「厳護」の章

 1976年(昭和51年)晩秋の夜、山本伸一は「牙城会」の青年と共に、学会本部周辺の施設を隅々まで点検し、絶対無事故を期す基本を徹底。学会厳護の精神を訴える。また、「創価班」には、翌年1月6日の総会の開催を提案。「創価班」は、76年11月に、「輸送班」を発展的に解消し、諸行事の運営などを行う人材育成機関として新発足した。77年(同52年)の元日の新年勤行会終了後、伸一は、学会本部の前庭で、「創価班」の青年ら役員と記念撮影。「吹雪に胸はり いざや征け」との精神で進むことを訴える。「白蓮グループ」のメンバーとも、何回もカメラに納まり、民衆奉仕の精神と「冥の照覧」への確信をと語る。「教学の年」と名付けられた77年、聖教新聞の元日付には、伸一の「諸法実相抄」講義が、さらに「大白蓮華」1月号には、「百六箇抄」講義が連載開始される。伸一は、1月15日には、大阪で開催された教学部大会で、“宗教のための人間”から“人間のための宗教”への大転回点が仏教の発祥であることなどを講演。彼は、広布のため、大教学運動で新時代開拓の扉を開こうとする。

<名場面編>

〈76年の晩秋の夜、執務を終えた山本伸一は、牙城会の青年2人と共に、学会本部の周辺や建物内の点検に回る〉

基本の徹底が事故を防ぐ

伸一は、給湯室の火の始末や、電気の消し忘れはないかなどを、一つ一つ点検して回った。さらに、表の花壇では、木や草の根元まで懐中電灯を照らし、不審物などが隠されていないか、入念に調べた。(中略)「小さなことを見逃さない目が、大事故を防ぐんだよ。事故を防ぐには、みんなで、よく検討して、細かい点検の基本事項を決め、それを徹底して行っていくことだ。(中略)そして、基本を定めたら、いい加減にこなすのではなく、魂を込めて励行することだ。形式的になり、注意力が散漫になるのは、油断なんだ。実は、これが怖いんだ」(中略)伸一は、さらに、本部周辺の建物を見回りながら語っていった。「これから年末いっぱい、火災に限らず、詐欺や窃盗などの、さまざまな犯罪が多発しやすい時期になる。しかし、ともすれば、“まさか、自分はそんなことに遭うわけはない。大丈夫だろう”と思ってしまう。それが油断の第一歩であり、そこに、隙が生まれていく。また、会合で、交通事故に注意するよう呼びかけても、“そんなことは、わかっている”と思って、聞き流してしまうケースがよくある。だが、その時に、“そうだ。用心しよう!”と自分に言い聞かせ、周囲の人とも確認し合うことだ」(中略)伸一は、「牙城会」の青年と、聖教新聞社を経て、自宅まで来た。妻の峯子が、玄関前に、迎えに出ていた。峯子は、「牙城会」の青年たちに、丁重に礼を言った。伸一は、別れ際、彼らに語った。「今日は、ありがとう。ともかく、絶対無事故をめざそう。私も、無事故、安全を、毎日、しっかり、ご祈念しているからね。私は、いつも君たちと一緒に行動するわけにはいかないが、心は一緒だよ。使命は同じだよ。どうか、私に代わって、本部を守ってください。会館を守ってください。同志を守ってください。また、お会いしよう」この日、伸一と峯子は、彼らが、風邪をひかないように、また、はつらつと使命を果たし、立派に大成するように、深い祈りを捧げた。(「厳護」の章、105~108ページ)

<基礎資料編>

「人間教育」の章

1977年(昭和52年)、学会は、広宣流布の主戦場である第一線組織の強化に取り組む。山本伸一は、各部大ブロック幹部の勤行会に出席し、仏法への大確信を打ち込んでいく。伸一に代わって勤行会を担当する最高幹部との懇談では、全同志の功徳と歓喜の実証こそが、組織強化の要点であることを訴える。人間教育の大切さを痛感する伸一は、61年(同36年)に教育部が誕生して以来、教育部の育成に力を注ぎ、主要な催しには、長文のメッセージを贈り、人間教育への指針を示してきた。その期待に応え、教育部では各地で教育相談室や「父母教室」などを実施。75年1月7日の第9回教育部総会では、「人間教育運動綱領」(第1次草案)が発表された。以後、実践報告大会の開催や体験談集の発刊などに取り組んできた。77年2月6日夜、伸一は東京教育部の第1回勤行集会に出席。学会が永遠に発展し続けるには“人類のために”“民衆のなかへ”とのたゆまざる流れが必要不可欠と訴える。教育部は、新時代の大空に雄々しく飛翔し、人間教育の潮流を広げていく。

<名場面編>

〈77年(同52年)は、大ブロック(現在の地区)の強化をめざし、全幹部が大ブロックに入り、座談会を中心に奔走した〉

時代は「人間革命」を志向

伸一は、大ブロック座談会を担当した最高幹部が学会本部に帰ってくると、必ず尋ねることがあった。それは、青年は何人集っていたのか、特に女子部員は元気であったのかということであった。そして、女子部員が、はつらつと、研究発表や体験発表、活動報告などをしていたことを聞くと、途端に笑みを浮かべるのであった。「嬉しいね。未来があるね。学会が、どうして、ここまで発展することができたのか。その要因の一つは、常に青年を大切にし、青年を前面に押し出すことによって、育ててきたからだよ。時代は、どんどん変わっていく。信心という根本は、決して変わってはいけないが、運営の仕方や、感覚というものは、時代とともに変わるものだ。(中略)社会の流れや時代感覚は、青年に学んでいく以外にない」(中略)伸一は、あらゆる角度から、未来を、二十一世紀を、見すえていた。(中略)初代会長・牧口常三郎は、価値論を立て、「罰」という反価値の現象に苦しまぬよう警鐘を鳴らすことに力点を置いた。第二代会長・戸田城聖は、戦後、広く庶民に、仏法の偉大さを知らしめるために、経済苦、病苦、家庭不和等の克服の道が、仏法にあると訴え、御本尊の功徳を強調した。では、これからは、人びとは、仏法に何を求め、私たちは、どこに力点を置いて、仏法を語るべきなのか。伸一は、青年たちと、忌憚のない対話を交わすなかで、こう実感していた。“心を強くし、困難にも前向きに挑戦していく自分をつくる――つまり、人間革命こそ、人びとが、社会が、世界が求める、日蓮仏法、創価学会への期待ではないか! もちろん、経済苦や病苦などを解決していくためにも、人びとは仏法を求めていくであろうが、若い世代のテーマは、自己の変革、生き方の転換に、重点が置かれていくにちがいない。つまり、『人間革命の時代』が来ているのだ”(「人間教育」の章、203~205ページ)

<基礎資料編>

「灯台」の章

1973年(昭和48年)10月24日、社会本部に、社会部、団地部、農村部(現在の農漁光部)、専門部の設置が発表される。信心を根本に、社会、地域に貢献していくことを目指して設置されたものである。山本伸一は、77年(同52年)2月2日、社会部の勤行集会に出席し、皆が職場の勝利者となる要諦を語る。彼は、社会部のみならず、社会本部の各部メンバーを次々に激励。17日には、全国の農村部、団地部の代表メンバーが集って開催された第1回「農村・団地部勤行集会」へ。過疎化のなかで農業再生のために「農業講座」や「農村青年主張大会」などを開催する農村部に、伸一は“地域、学会の灯台たれ”との指針を示す。一方、団地部は、過密化した居住環境のなかで、潤いのある人間共同体をつくるために献身していた。伸一は、団地部のメンバーには“幸福への船長、機関長たれ”との指針を贈る。また、翌78年(同53年)6月25日には、第1回「団地部全国大会」(東日本大会)にも出席する。社会本部のメンバーは、一人一人が社会に蘇生の光を送る「灯台」となって、社会の航路を照らしていく。

<名場面編>

〈山本伸一は青年時代にアパート暮らしを始め、近隣の人たちと誠実に友好を結んできた〉

気遣いと対話が信頼育む

伸一が、青年として心がけていたのは、明るく、さわやかなあいさつであった。同じアパートに住んだのは、決して偶然ではない。深い縁があってのことだ。(中略)彼は、隣室の子どもたちを部屋に呼んで、一緒に遊んだこともあった。自分の縁した一家が、幸せになってもらいたいと、その親には仏法の話をした。やがて、この一家は、信心を始めた。伸一は、自分の部屋で座談会も開いた。何人かのアパートの住人や近隣の人たちにも声をかけ、座談会に誘った。そのなかからも、信心をする人が出ている。(中略)伸一は、「青葉荘」で三年間を過ごし、一九五二年(昭和二十七年)五月に峯子と結婚する。(中略)八月には、大田区山王のアパート「秀山荘」に移った。赤い屋根の二階建てで、十世帯ほどが住んでいた。伸一たちが借りたのは、六畳二間の一階の部屋であった。(中略)ここにいた時、長男の正弘、次男の久弘も生まれている。また、伸一が、青年部の室長として、学会の重責を担うようになるのも、この時代である。「秀山荘」に転居した伸一は、すぐに名刺を持って、近所にあいさつに回った。和気あいあいとした人間関係を、つくっていきたかったのである。正弘が成長し、走り回るようになると、妻の峯子は、隣室や上の部屋に気を使い、なるべく早く寝かしつけるようにした。彼の部屋には、実に多くの人が訪れた。当時、伸一が、峯子と語り合ったのは、「どなたが来ても温かく迎えて、希望を“お土産”に、送り出そう」ということであった。(中略)語らいは、時として深夜にまで及ぶこともあった。翌朝、峯子は「昨夜は、遅くまで来客がありまして、すみません。うるさくなかったですか」と、近隣の人びとにあいさつして回った――。  いずこの地であれ、誠実さをもって、気遣いと対話を積み重ねていくなかで、友好の花は咲き、信頼の果実は実るのだ。(「灯台」の章、347~349ページ)

第24巻

<御書編>

御文

きてをはしき時はせいほとけ・今は死の仏・生死しょうじともに仏なり、即身成仏そくしんじょうぶつと申す大事だいじの法門これなり(御書1504ページ、上野殿後家尼御返事うえのどのごけあまごへんじ

通解

生きておられた時はせいの仏。今は死の仏。生死しょうじともに仏なのです。即身成仏そくしんじょうぶつという重要な法門は、このことです。

小説の場面から

<1976年(昭和51年)、山本伸一は、母・幸の見舞いに訪れ、御書を拝して語る>

は、病床に伏しながら、「うん、うん」と、目を輝かせて頷き、伸一の話を聴いていた。それは、伸一が母のために行う、最初で最後の講義であった。伸一は、母は危篤状態を脱したとはいえ、余命いくばくもないと感じていた。ゆえに、彼は、この機会に、仏法で説く死生観を、語っておきたかったのである。(中略)「広宣流布に戦い抜いた人は、生きている時は『生の仏』であり、どんな苦難があっても、それに負けることのない、大歓喜の日々を送ることができる。そして、死して後もまた、『死の仏』となる――それが、即身成仏という大法門なんです。

生も歓喜、死もまた歓喜

ゆえに、生も歓喜であり、死もまた、歓喜なんです。永遠の生命を、歓喜のなかに生きていくことができるんです。万物を金色に染める、荘厳な夕日のように、最後まで、題目を唱え抜いて、わが生命を輝かせていってください」仏の使いとして生きた創価の母たちは、三世永遠に、勝利と幸福の太陽と共にあるのだ。伸一が語り終えると、母は、彼の差し出した手を、ぎゅっと握り締めた。(中略)翌日、母は、家族に語った。「私は、悔しい思いも、辛い思いもした。でも、私は勝った。社会に貢献するような、そういう子どもが欲しかった。そして、自分の子どものなかから、そういう人間が出た。だから私は、嬉しいんだ」

(「母の詩」の章、58~60ページ)

御文

日蓮一人いちにんはじめは南無妙法蓮華経ととなへしが、二人ににんく・三人・百人と 次第しだいに唱えへつたふるなり・・・(御書1360ページ、諸法実相抄しょほうじそうしょう

通解

はじめは日蓮一人が南無妙法蓮華経と唱えたが、二人・三人・百人と次第しだいとなえ伝えてきたのである・・・

小説の場面から

<1977年(昭和52年)1月5日、聖教新聞紙上に山本伸一の「諸法実相抄」講義の第3回が掲載された>

「いつの時代にあっても、絶対に変わらない広宣流布の根本原理が、『一人立つ』ということです。大聖人も、そして牧口先生も、戸田先生も、決然と一人立たれた。(中略)『一人立つ』とは、具体的に言えば、自分の家庭や地域など、自身が関わっている一切の世界で、妙法の広宣流布の全責任をもっていくことです。私たちは、一人ひとりが、家族、親戚、友人等々、他の誰とも代わることのできない自分だけの人間関係をもっています。妙法のうえから見れば、そこが使命の本国土であり、その人たちこそが、自身の眷属となります。(中略)ゆえに、『一人立つ』という原理が大事になります。御本仏・日蓮大聖人の御使いとして、自分は今、ここにいるのだと自覚することです。

広布の原理は「一人立つ」

そして、おのおのの世界にあって、立ち上がっていくのが、地涌の菩薩です。そのなかにのみ、広宣流布があることを忘れないでください」最も身近なところで、仏法を弘めていくというのは、地味で、それでいて最も厳しい戦いといえる。自分のすべてを見られているだけに、見栄も、はったりも、通用しない。誠実に、真面目に、粘り強く、大情熱をもって行動し、実証を示しながら、精進を重ねていく以外にない。しかし、そこにこそ、真の仏道修行があるのだ。

(「厳護」の章、177~178ページ)

ここにフォーカス 人間のネットワーク

ここにフォーカス「母の詩」の章が、聖教新聞紙上で連載された2010年(平成22年)は、新語・流行語大賞のトップ10に「イクメン」が選ばれた年です。一方で、胸を締め付けられるような児童虐待のニュースも相次ぎ、子育てを支える社会の構築へ、関心が高まっていました。同章では、「子育て支援や虐待の防止のためには、行政などの取り組みも必要不可欠である。しかし、より重要なことは、地域社会の中に、共に子どもを守り、若い母親を励まそうとする、人間のネットワークがあるかどうかではないだろうか」との指摘がなされています。“縁する全ての人を幸福に”との「太陽の心」で、創価の母たちは、あの友、この友に励ましを送ってきました。その温かな声掛けが、子育てや仕事などで悩むヤング白ゆり世代を、どれほど勇気づけてきたことでしょう。婦人部指導集『幸福の花束Ⅲ』の「発刊に寄せて」で、池田先生は、「幸福の春を創り広げ」ゆく創価の女性をたたえ、ヤング白ゆりの年代を、「『青春』に続く『創春』の時代」と意義づけています。ライフスタイルや価値観が多様化する現代社会。その中で、地域に幸福の種をまく創価の女性の連帯は、「社会の希望」と光り輝いています。

第22巻

<解説編>

紙面講座池田主任副会長

現在、女子部・白蓮グループが、「セレブレイト(祝賀)期間」(11月18日まで)として、励ましの輪を拡大しています。池田先生は各地で開催されているオンラインの集いにメッセージを寄せられ、 「最高に福運あふれる白蓮のいのちで、何があっても朗らかに前へ前へと進み、友情を広げ、『新・人間革命の世紀』を照らしていってください」(261ページ)を作ろうと決意していたのです。「人間革命の歌」の制作過程の中で、伸一は 「戸田城聖が獄中で悟達した、『われ地涌の菩薩なり』との魂の叫び」と万感の思いを述べられました。「厳護」の章は、「白蓮グループ」をはじめ、男子部人材グループ「創価班」「牙城会」のメンバーにとって、任務の意義やグループの精神を深めるための重要な章です。各グループの結成の歴史は異なります。しかし、根本精神は共通しています。「『冥の照覧』を確信して、仏道修行に励むこと」(146ページ)です。そのことは、清掃に励む白蓮グループの姿を見て、山本伸一が詠んだ 「かみくずを ひろいし姿に 仏あり」(142ページ)との句にも端的に示されています。誰が見ていなくとも、広布への無私の献身を貫く――その心に、功徳・福運が積まれていきます。今月1日、日本の白蓮グループとブラジルの「セレジェイラ(桜)グループ」のオンライン懇談会が開催され、「厳護」の章に記された「冥の照覧」の精神、「自発の心」を学び合いました。「冥の照覧」の精神は、世界の青年部にも受け継がれています。三つの部は、1973年(昭和48年)10月に誕生しています。この時、学会は翌74年(同49年)の年間テーマを「社会の年」と掲げました。当時、中東戦争によって石油価格が急上昇し、世界は不況に覆われつつありました。また、異常気象による、深刻な食糧不足にも脅かされていました。こうした状況の中で、創価の同志は、 「社会のテーマに、真っ向から挑み、活路を開き、人びとを勇気づけていくことこそ、仏法者の使命」(291ページ)との誇りを胸に、職場や地域で信頼の輪を大きく広げていきました。仏法を社会に開いていくことは、私たちの使命です。その根本こそ、一人一人の「人間革命」なのです。

創価の教学運動

「厳護」の章に、教学は「民衆の日々の生活に根差し、行動の規範」(164ページ)となるものであり、「人生の確信、信念となり、困難や試練を克服する力」(同)とあります。伸一は、教学運動の潮流をさらに広げようと、77年(同52年)を「教学の年」とすることを提案します。仏法の法理を世界に展開するためには、“人間のための宗教”という視座に立ち、教学上の一つ一つの事柄を捉え直す必要性を感じていたのです。同年1月15日、伸一は大阪で開催された教学部大会で、「仏教史観を語る」と題して記念講演を行います。この中で、「現代において創価学会は、在家、出家の両方に通ずる役割を果たしている」(188ページ)、「寺院の本義からするならば、学会の会館、研修所もまた、『現代における寺院』というべき」(191ページ)と語ります。ところが、宗門の僧たちは、この講演を宗門批判と捉え、あろうことか、学会攻撃の材料としました。(第27巻「正義」の章参照)この背景について、佐藤優氏は、週刊誌「AERA」(10月12日号)の「池田大作研究」で論じています。「1977年に入ると日蓮正宗の宗門僧が創価学会に対する攻撃を始めた。多くの諍いが生じたが、その背景には、僧侶が『上』、一般信徒は『下』とする宗門の宗教観と、そのようなヒエラルキーを認めない民衆宗教である創価学会の基本的価値観の対立があった」。そして、「創価学会が世界宗教として展開するために宗門との訣別は不可欠だった」と結論付けています。学会が世界宗教として飛翔できたのは、「人間のための宗教」という視座に立ち返り、“生きた教学”を現代に蘇らせたからにほかなりません。今、世界の教学運動は同時進行です。「大白蓮華」に連載されている池田先生の御書講義「世界を照らす太陽の仏法」は、世界中で学習され、SGIの前進の原動力となっています。仏法の哲理が、「創価学会員という市井の人びとのなかに、確固たる哲学、思想として、生き生きと脈打っている」(164ページ)のです。その源流には、「仏法を、時代の要請に応えた『希望の哲学』として、現代社会に復権させなくてはならない」(205ページ)との、師匠の並々ならぬ闘争があったことを、決して忘れてはなりません。

幹部同士の団結

今月18日、香川・小豆島のサンフラワー地区(小豆島圏)のオンライン座談会に参加しました。初のオンラインでの開催でしたが、これまで参加できなかった方も集うことができ、歓喜あふれる座談会となりました。この大成功の陰には、地区部長・地区婦人部長が、担当幹部と連携を取り合い、感染防止に留意しながら、地区内をくまなく訪問激励に回った奮闘がありました。「人間教育」の章では、77年(同52年)の活動方針の一つが「大ブロック(現在の地区)」の強化であり、伸一自らが大ブロックに光を当て、リーダーを激励していく場面が描かれています。伸一は、大ブロック強化の最も重要な点として、「(担当で入る)幹部同士の団結」(211ページ)を挙げます。さらに、「幹部が力を合わせて、一人ひとりを徹底して励ますんです」(同)、「皆さんに声をかけ、悩みに耳を傾け、勇気づけ、元気づけ、抱きかかえるようにして励ましていただきたい」(212ページ)、「“会長だったら、どうするか。どういう思いで、どう励ますか”を考え、私をしのぐような激励をしてください」(同)と、何度も「励まし」を強調しています。ここに示されているように、「地区の強化」といっても、どこまでも「一人への励まし」に尽きます。「人間の心こそが、すべての原動力」(213ページ)だからです。「大白蓮華」10月号の巻頭言で、池田先生は「一隅を 照らす宝光の 励ましは 地涌のいのちを 未来の果てまで」と詠まれました。今月から、「励まし週間」も再開しました。一人一人が真心の励ましに徹し、わが「誓願の地区」から希望の光を放ってまいりましょう。

名言集

平和の原点

わが子を愛し、慈しむ母の心には、敵も味方もない。それは、人間愛と平和の原点である。(「母の詩」の章、47ページ)

訓練の大切さ

頭で理解し、わかっていることと、実際にできることとは違う。災害の時なども、知識はあっても、いざとなると、体がすくんで動けなくなるケースが少なくない。訓練を繰り返し、習熟していってこそ、教えられたことが、実際に行えるようになるのだ。訓練とは、体で、生命で習得していくことである。(「厳護」の章、157ページ)

座談会

座談会は、創価学会の大地である。この大地がよく耕され、肥沃になってこそ、木々も生い茂り、花も咲き、果実も実るのだ。(「人間教育」の章、202ページ)

人間教育の場

創価学会は、自分を磨き高め、真の人間の生き方と、社会建設の道を教える、人間教育の場である。(「人間教育」の章、210ページ)

創価の使命

あきらめと無気力の闇に包まれた時代の閉塞を破るのは、人間の英知と信念の光彩だ。一人ひとりが、あの地、この地で、蘇生の光を送る灯台となって、社会の航路を照らし出すのだ。そこに、創価学会の使命がある。(「灯台」の章、374ページ)