新・人間革命 第22巻

小説「新・人間革命」に学ぶ

今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第22巻の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を紹介する。次回の「名場面編」は12日付、「御書編」は19日付、「解説編」は9日付の予定。

第22巻基礎資料

物語の時期
1975年(昭和50年)5月30日~12月29日

「新世紀」の章

1975年(昭和50年)6月、山本伸一は「新世紀」への飛翔のために、東京各区をはじめ、各地の首脳幹部との協議会に力を注ぐ。新会館の建設や記念行事の開催の決定など、新しい前進の目標が打ち出される。7月3日、戸田第2代会長の出獄30周年記念集会で伸一は、恩師が提唱した「地球民族主義」の大構想を実現するため、命の限り走り抜くとあいさつする。青年部は、7月に男子部、女子部の結成記念日を迎えることから、「聖教新聞」で、座談会「青年が語る戸田城聖観」を連載開始。師と共に新しい時代を開く青年の熱意があふれる紙面となった。また、伸一と文学界の巨匠・井上靖との手紙による語らいが、「四季の雁書」として月刊誌「潮」7月号から連載を開始。生死の問題をはじめ、幅広い対談は12回にわたり、77年(同52年)に単行本として結実する。さらに、伸一は、“経営の神様”といわれる松下幸之助とも、出会いを重ね、書面を通しての語らいを進めてきた。人間の生き方から、日本、世界の進路など、テーマは多岐にわたり、75年の10月、往復書簡集『人生問答』が発刊に至る。

〈1975年(昭和50年)ごろから、学会は会館の整備にも力を注いだ。会館というと、山本伸一には、戸田城聖の事業が窮地に陥った時の、忘れられない思い出があった〉

師への誓いが会館建設の礎

る日、戸田と伸一は日比谷方面に出かけた。どしゃ降りの雨になった。傘もなく、タクシーもつかまらなかった。全身、ずぶ濡れになった戸田を見て、伸一は胸が痛んだ。弟子としていたたまれぬ思いがした。目の前に、GHQ(連合国軍総司令部)の高いビルがそびえ立っていた。そのビルを見上げて、伸一は戸田に言った。「先生、申し訳ございません。必ず、将来、先生に乗っていただく車も買います。広宣流布のための立派なビルも建てます。どうか、ご安心ください」弟子の真剣な決意を生命で感じ取った戸田は、嬉しそうにニッコリと頷いた。(中略)戸田は、会員のために、一刻も早く、広い立派な建物をつくりたいと念願していた。皆に申し訳ない気持ちさえ、いだいていた。しかし、そんな戸田の心も知らず、「学会も早く本部をつくらなければ、何をやるにも不便で仕方ありませんな。そろそろ、世間があっと驚くような、建物の一つももちたいものですね」などと言う幹部もいた。すると、戸田は強い口調で語った。「まだよい。かたちばかりに目を奪われるな。私のいるところが本部だ! それで十分じゃないか。今は建物のことより、組織を盤石にすることを考えなさい」山本伸一は、そんな戸田の言葉を聞くたびに、心に誓っていた。“先生、私が頑張ります。一日も早く、気兼ねなく皆が集える、独立した本部をもてるようにいたします”一九五三年(昭和二十八年)十一月、新宿区信濃町に学会本部が誕生した時、戸田はまるで、子どものような喜びようであった。(中略)戸田は伸一に言った。「将来は、日本中に、こんな会館が建つようにしたいな」伸一は、その言葉を生命に刻んだ。そして今、かつての学会本部をはるかにしのぐ、幾つもの大会館を、各県区に、つくれるようになったのである。((「新世紀」の章、11~15ページ)

「潮流」の章

7月22日、山本伸一は、第12回全米総会を中心とした「ブルー・ハワイ・コンベンション(大会)」に出席するため、ホノルルへ。この大会は、アメリカ建国200年の前年祭記念行事として開催されることになり、大統領からもメッセージが寄せられていた。23日、伸一は、大会のコントロールセンターの開所式に臨み、スタッフを激励。その夜には、アルゼンチン、広島などの交流団の代表を、24日にはブラジル、ペルーの代表を宿舎に招いて懇談する。26日の全米総会には州知事も出席。伸一は、異民族同士の共存を可能にしてきたハワイの「アロハの精神」こそ、仏法で説く「慈悲」「寛容」に通じると述べる。その夜の記念パレードには、伸一との約束を果たし、5人が参加したニカラグアのメンバーの姿も。大会の最終日には、アメリカの建国の精神と歴史をうたい上げたミュージカルが披露された。伸一は、行事の合間も来賓との会見を重ね、29日には、大会を陰で支えたメンバーの労をねぎらう。15年前に、世界広布の第一歩をしるしたハワイから、再び平和の新しい「潮流」が起ころうとしていた。

〈7月、ハワイで行われたパレードに、支部結成間もない、ニカラグアのメンバーが参加し、喝采を浴びた。支部婦人部長の山西清子は、帰国後、山本伸一に感謝の手紙を送る〉

真心の手紙は友の魂を触発

ると、多忙を極める伸一に代わって、峯子から長文の返事が届いた。「お便り嬉しく拝見いたしました。ハワイでお元気な姿に接し、また、五人もの同志が参加なさいましたことは、条件の違いを考えますと、日本ならば五百人にも相当するものであったと思います。ニカラグアの初のパレードに対し、私どもも目頭を熱くしながら、拍手を送らせていただきました」山西の手紙に対して、伸一は峯子に、自分の真情を語り、返書を認めるように頼んだのである。峯子からの手紙は、伸一の心でもあった。彼らは常に、こうした二人三脚ともいうべき呼吸で、広宣流布の仕事を成し遂げてきた。(中略)山西への手紙に、峯子は記した。「ニカラグアは、今、最も重要な、そして、大変な、土台づくりの時を迎えていると思います。どうか、焦らず、着実に、堅固な土台をつくっていってください。(中略)メンバーの要となり、懸命に奔走される姿に、本当によくなさっていると、敬服しております」(中略)さらに、手紙には、伸一の激闘の模様をはじめ、日本の同志が、どういう思いで活動に取り組んでいるのかも、綴られていた。「世間では、不況がますます深刻になりつつあります。学会員の皆さんは『こういう時こそ、信心している人は違うという事実が、はっきりする時だ!』と、一段と元気に、仏法対話に励んでおります」そして、「末筆ながら、ご主人様に、よろしくお伝えくださいませ。また、皆様にも、よろしくお伝えくださいませ。御一家の御健康、御繁栄を心よりお祈りいたします。会長から、くれぐれも皆様によろしくとのことでございました」と結ばれていた。山西は、この手紙を涙で読んだ。“先生と奥様は、私たちのことも、みんな知ってくださっている。日本から遠く離れたニカラグアも、先生のお心のなかにある。先生も、奥様も、いつも、見守ってくださっている。頑張ろう。頑張り抜こう”(中略)生命の言葉は、人の魂を触発する。(「潮流」の章、186~188ページ)(「人間外交」の章、116~118ページ)

「波濤」の章

山本伸一は、ハワイから帰国すると、創価大学での夏季講習会で陣頭指揮を執る。8月3日の「五年会」の総会、4日の高等部総会での渾身の指導をはじめ、5日には総会に集った中等部員を、6日には少年・少女部員を見送るなど、激励を続ける。東京男子部の講習会では、外国航路で働く船員の集いである「波濤会」のメンバーと記念撮影。「波濤会」は、1971年(昭和46年)に結成された。大しけで遭難した貨物船の乗組員全員を救助し、総理大臣表彰を受けた「だんぴあ丸」の船長など、多くの人材が育つ。また、不況にあえぐ海運業界を勇気づけようと企画した「波濤会」の写真展は海外でも開催され、共感の波を広げる。9月9日、女子部学生局の幹部会に出席した伸一は、夜の会合の終了時間を午後8時30分とする「8・30運動」を提案。28日には、女子部の人材育成グループ「青春会」結成式へ。新時代の女性リーダーを育成するこの会は、その後、各方面でも結成される。伸一は21世紀を託す思いで魂を打ち込む。やがて広布の枢要な立場で活躍するメンバーや社会で重責を担う人材が育っていく。

 〈9月、女子部の人材育成グループ「青春会」の結成式が行われた。山本伸一は、参加者の質問に答え、未来を託す思いで、渾身の力をふりしぼるように指導する〉

信頼の絆でつくる人間組織

問は、さらに何問か続いた。いずれも、組織をどう発展させるかなど、広宣流布への一途な思いを感じさせる質問であった。伸一は、未来への希望と力を感じた。彼は、皆の質問に答えて、組織としての運動の進め方などについて述べたあと、最後に、魂を打ち込むように訴えた。「組織といっても、人間関係です。あなたたちが、自分の組織で、一人ひとりと、つながっていくんです。単に組織のリーダーと部員というだけの関係では弱い。周りの人たちが、姉のように慕ってくるようになってこそ、本当の人間組織です。組織を強くするということは、一人ひとりとの、信頼の絆をつくっていく戦いです。あなたたちが皆から、“あの人に励まされ、私は困難を克服した”“あの人に勇気をもらった”と言われる存在になることです。私も、そうしてきました。全学会員とつながるために、常に必死に努力しています。なんらかのかたちで、激励する同志は、毎日、何百人、何千人です。この絆があるから、学会は強いんです。その人間と人間の結合がなくなれば、烏合の衆になる。学会は、滅びていきます。この点だけは、絶対に忘れないでほしい」皆、真剣な顔で、瞳を輝かせていた。伸一は、笑みを浮かべた。「では、みんなで写真を撮ろう。これは、大事な、誓いの証明写真だ」伸一は、メンバーを前に並ばせ、自分は、後列に立った。フラッシュが光り、シャッター音が響いた。写真撮影が終わると、彼は、皆に視線を注ぎながら言った。「もし、ほかの人が誰もいなくなっても、このメンバーが残ればいいよ。私がまた、一千万にするから。一緒にやろう。みんな、何があっても、退転だけはしてはいけないよ」(「波濤」の章、299~300ページ)

「命宝」の章

この世で最も尊厳な宝は、生命である。山本伸一は、9月15日、ドクター部の総会に初めて出席。この日は、「ドクター部の日」となる。11月7日夕刻、広島入りした伸一は、落成間もない広島文化会館を視察。夜には開館式に出席する。8日には、平和記念公園の原爆死没者慰霊碑に献花し、祈りを捧げる。9日、被爆30年を迎えた広島で本部総会を開催。伸一は、この地上から一切の核兵器が絶滅する日まで、最大の努力を傾けることを宣言し、広島での国際平和会議の開催など、具体的な取り組みを提案する。さらに、創価学会の社会的役割などに言及し、講演は1時間20分にも及んだ。終了後、来賓のレセプションを終えた伸一は、広島未来会第2期の結成式へ。少年少女合唱団も招き、交流のひとときをもつ。10日には、海外メンバーの歓迎フェスティバル、原爆犠牲者の追善勤行会などが続くなか、広島会館へ。会館前の民家の主人とも対話を交わす。11日、予定を変更し、呉会館を初訪問。駆け付けたメンバーと勤行する。また、広島文化会館に戻る途次にも、学会員を見つけては、励ましを送る。

〈11月、山本伸一は広島を訪問。当初予定のなかった呉を訪れ、勤行会を行う。広島市への帰途も、車中から激励が続く〉

「励まし」は創価の生命線

途中、生花店の前に、十人ほどの人たちが、人待ち顔で道路の方を見て立っていた。婦人や壮年に交じって、女子中学生や女子高校生もいた。伸一は、運転手に言った。「“うちの人”たちだよ。ちょっと、車を止めてくれないか」呉会館の勤行会に、間に合わなかったために、「せめて、ここで、山本会長をお見送りしよう」と、待っていた人たちであった。そこに黒塗りの乗用車が止まった。窓が開き、伸一の笑顔がのぞいた。歓声があがった。女子中学生の一人が、抱えていたユリやバラなどの花束を差し出した。伸一に渡そうと、用意していたのだ。「ありがとう! 皆さんの真心は忘れません。また、お会いしましょう」伸一は、こう言って、花束を受け取った。――それから間もなく、そこにいた人たちに、伸一から菓子が届いた。また、しばらく行くと、バスの停留所に、何人かの婦人たちがいた。はた目には、ただ、バスを待っている人にしか見えなかった。「今、バス停に、“うちの人”が五人いたね。念珠と袱紗を贈ってあげて」伸一の指示を無線で聞いた後続車両の同行幹部が、念珠などを持って停留所に駆けつけると、確かに五人の婦人たちは、皆、学会員であった。同行幹部の驚きは大きかった。学会員は、皆が尊き仏子である。皆が地涌の菩薩である。その人を、讃え、守り、励ますなかに、広宣流布の聖業の成就がある。ゆえに、伸一は、大切な会員を一人として見過ごすことなく、「励まし」の光を注ごうと、全生命を燃やし尽くした。だから、彼には、瞬時に、学会員がわかったのである。「励まし」は、創価の生命線である。彼は、その会員厳護の精神を、断じて全幹部に伝え抜こうと、決意していたのである。(「命宝」の章、401~402ページ)(「宝冠」の章、367~371ページ)

第22巻御書

御文

御文

一閻浮提いちえんぶだいに広宣流布せん事一定こといちじょうなるべし(御書816ページ、御講聞書おうこうききがき

通解

全世界に広宣流布することは、間違まちがいないことである。

小説の場面から

平和の太陽は昇った。世界広宣流布の新しき幕は上がった。一九七五年(昭和五十年)一月二十六日――。(中略)この日、世界五十一カ国・地域のメンバーの代表百五十八人がグアムの国際貿易センタービルに集い、第一回「世界平和会議」を開催。席上、世界各国のメンバーの団体からなる国際的機構として、SGI(創価学会インタナショナル)が結成されたのである。そして、全参加者の総意として懇請され、山本伸一がSGI会長に就任したのだ。「生命の世紀」へ、「平和の世紀」へ、歴史の歯車は、大きく回り始めたのである。世界の恒久平和を実現するには、一切衆生に尊極無上の「仏」の生命を見いだす仏法の生命尊厳の哲理を、万人万物を慈しむ慈悲の精神を、人びとの胸中に打ち立てなければならない。それが広宣流布である。(中略)

一人立つ勇者のスクラム

しかし、それは、ただ待っていればできるということではない。“この御本仏の御言葉を、虚妄にしてなるものか!”という弟子たちの必死の闘争があってこそ、広宣流布の大伸展はあるのだ。(中略)グアムに集った代表は、いずれも各国のリーダーであり、広宣流布をわが使命として立ち上がった闘士たちであった。創価の先駆者であった。その一人立った勇者たちが、スクラムを組み、SGIという世界を結ぶ平和の長城の建設に立ち上がったのである。(「SGI」の章、7~9ページ)

御文

魔競まきそはずは正法しょうほうと知るべからず(御書1087ページ、兄弟抄きょうだいしょう

通解

きそこらなかったならば、その法が正法であると考えてはならない。

小説の場面から

1975年(昭和50年)5月3日、山本伸一は、会長就任15周年を記念する式典でスピーチする〉「長い広宣流布の旅路にあっては、雨の日も、嵐の日もあるでしょう。戦いに勝つこともあれば、負けて悔し涙をのむこともあるでしょう。しかし、勝ったからといって、驕って、虚勢を張るようなことがあってはならないし、負けたからといって、卑屈になる必要もありません。何があろうが、堂々と、また、淡々と、朗らかに、共々に使命の道を進んでまいろうではありませんか!前進が加速すればするほど、風も強くなるのは道理であります。したがって、ますます発展しゆく創価学会に、さまざまな試練が待ち受けているのは当然であります。“まさか!”と思うような、予想外の大難も必ずあるでしょう。だからこそ、日蓮大聖人は『魔競はずは正法と知るべからず』と仰せなんです」

今まで以上に力を尽くす

 未来を予見するかのような言葉であった。「私は、いかなる事態になろうとも、情勢がどう変わろうとも、今までの十倍、二十倍、三十倍、五十倍と力を尽くし、皆さんを、創価学会を守り抜いてまいります。それが会長です。皆さんのために会長がいるのだと、私は心を定めております。何があろうとも、どんな困難に遭遇しようと、私は皆さんを守るために、一歩でも、二歩でも、前進するのだと決めて、力の限り戦います」 (「共鳴音」の章、235~236ページ)

手遅れにならないうちに

ここにフォーカス「共鳴音」の章に、山本伸一が、ローマクラブの創立者であるアウレリオ・ペッチェイ博士と語らう場面が描かれています。1972年(昭和47年)、ローマクラブは、資源の有限性を警告したリポート『成長の限界』を発表。それにより、ローマクラブの名は世界で知られるようになりました。ペッチェイ博士は、食糧不足や資源の枯渇、環境汚染など、人類が抱える危機を乗り越えるためには、人間自身のエゴの克服が必要と指摘し、「人間性革命」を提唱しました。その博士が、伸一との対談を通して、より根源的な「人間革命」の必要性を主張するようになります。両者の語らいは5度に及び、往復書簡も交えた内容は、対談集『21世紀への警鐘』(邦題)に結実。その最後は、ペッチェイ博士の次の言葉で締めくくられています。「人間革命こそが、新しい進路の選択と、人類の幸運の回復を可能にする積極的な行動の鍵なのであり、したがって、われわれは人間革命を推進すべく、力の及ぶかぎりあらゆる手を尽くさなければなりません――手遅れにならないうちに」社会は感染症の流行や気候変動に伴う大規模災害など、多くの困難に直面しています。自他共の幸福の実現を祈り、自身の人間革命に挑戦するのは、「今」なのです。

第21巻解説

紙面講座池田主任副会長


「SGI」の章では、SGI(創価学会インタナショナル)結成の淵源、その精神について、詳しく記されています。SGIが発足したのは、1975年(昭和50年)1月26日、米グアムでの「世界平和会議」の席上でした。当初、同会議では、国際平和団体である「IBL」(国際仏教者連盟)のみが発足する予定でした。IBLは、創価学会が世界に広がる中で、各国のメンバー同士が連携を取り、支え合うための国際機構で、運営を中心とした法人・団体等の互助組織でした。設立の準備に当たる中で、各国のリーダーたちは、大切なことに気付き始めます。それは、世界広布の伸展の上で、「誤りのない信心の指導が受けられる機構」(22ページ)が必要であり、「運営的な問題は、皆で話し合って進めていけばよいが、信心を学ぶには師匠が必要」(26ページ)ということです。各国のリーダーたちは、“学会精神を学ぶ機構の指揮を、山本会長に執ってほしい”との思いを強く抱くようになっていきます。伸一は熟慮を重ねた上で、SGI会長に就任する意思を固めました。まさに、SGIは、「人類の平和と幸福を担い立つ真の人材を育てようとする伸一の、ほとばしる思い。そして、仏法の師匠を求め抜く、世界の同志の一途な思い――その師弟の心の結合」(31ページ)によって誕生したのです。今、世界には“危機の嵐”が吹いています。困難な状況だからこそ、SGIの原点に立ち返り、師弟の心の結合をますます強める時です。「SGI――それは、世界を結ぶ異体同心の絆である。それは、世界平和の赫々たる光源である」(100ページ)との通り、世界の友とスクラム固く、前進してまいりたいと思います。

連載当時の状況

SGI発足直後の同年2月1日から一般紙で連載され、春に発刊されたのが『私の履歴書』です。池田先生の自伝がつづられ、「体験をもとにした平和への叫び」(121ページ)である同著は、大きな反響を呼びました。先生の歩みは、人類一人一人の人間革命を機軸とした恒久平和建設の歴史でした。SGIの出発となった「世界平和会議」で伸一は語っています。「ともかく地平線の彼方に、大聖人の仏法の太陽が、昇り始めました。皆さん方は、どうか、自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」(43ページ)当時、「世界平和会議」に集ったのは51カ国・地域でした。池田先生は自ら先頭に立ち、一貫して世界に友情を紡いでいかれました。その後、世界広布は大きく伸展し、第21巻の連載がスタートした2008年(平成20年)、一つの節を迎えます。SGIが世界190カ国・地域に広がる中で、池田先生が80歳を迎えられたのです。先生はかつて、「八十歳まで……世界広布の基盤完成なる哉」と随筆に書かれました。その通り、まさに世界広布の基盤完成をもって、80歳の佳節を刻まれました。前年9月から、「広布第2幕」の全国青年部幹部会が開催され、2008年の「3・16」には女子部の「池田華陽会」が結成されました。この時に連載された第21巻は、世界広布の基盤が完成した広布第2幕以降における重要な指針が示されています。それは、「われらの団結とは、縦には広宣流布の師匠と弟子との不二の結合である」(98ページ)、「常に求道心を燃やして、師匠を求めていくことが大事」(246ページ)とあるように、「師弟不二」の道を貫くことにほかなりません。小説『人間革命』第10巻では、「師弟不二」の峻厳なる道について、弟子が師匠の意図を五体に巡らせ、「自発能動の実践の姿をとる時、初めて師弟不二の道を、かろうじて全うすることができる」(130ページ)と記されています。師弟といっても、弟子の姿勢によって全てが決まります。池田門下が自発能動で進んでいく時、師が開かれた世界広布の足跡が光り輝くのです。

“善の連帯”築く対話

鄧小平副総理、シアヌーク殿下、ペッチェイ博士、世界初の女性宇宙飛行士・テレシコワ氏、コスイギン首相、佐藤栄作元総理――多忙な中にあって、どうして伸一は、世界のリーダーと有意義な語らいを進めることができたのか。その姿勢について、「人間外交」の章で、「対話には勇気と決断が大切である。まず、断じて語り合おうと心を定めて、懸命に時間をつくり出すのである」(136ページ)と強調されています。時間があるから、意義ある対話ができるというわけではありません。対話は自分の決意次第であり、「勇気」と「決断」こそが、その第一歩なのです。印象的なのは、伸一が「一人」と向き合った時の“励まし抜こう”との真心です。同章では、中国人留学生を創価大学に初めて受け入れた際、創立者として、身元保証人となる感動的なシーンが描かれます。“一人たりとも落胆させまい”と、留学生に対し、まるで家族のごとく接していきます。その姿に、教職員や学生は襟を正しました。「共鳴音」の章に、「励ましの対話によって、その心を開き、勇気と希望の光を送り、人間と人間の善の連帯をつくりあげていく」(253ページ)とつづられています。ここに、私たちの対話運動の目的もあります。現在、コロナ禍の「新しい日常」の中で、以前のように、積極的に会って励ましを送ることが難しい局面にあります。「創価学会のめざす広宣流布とは一次元から言えば、“励まし社会”の創出である」(同ページ)とある通り、こうした状況下で大切にしたいのは、直接会うという“方法”“手段”よりも、励まし社会を創り出そうとの一人一人の“強い決意”です。青年部は、オンラインの集いや激励を定着化させています。さらに、多宝会の友をはじめ、多くの同志が、“電話・手紙でも激励できる”と、「新しい激励」に挑戦してくださっております。過日の随筆(本紙7月7日付)で、池田先生は「我らの価値の創造に限界はない」と、励ましに徹する同志を最大にたたえられました。「暗から明へ、絶望から希望へ、敗北から勝利へ、いかにして一念を転換させるか――」(295ページ)。絶望を希望へと変えていくのが、私たちの励ましなのです。

名言集

時をつくる

今はどんなに大変で困難な状況であっても、黙々と広宣流布の種を蒔き続けていくならば、必ずいつか花は開く。いな、必ず、そうしていくのだと決意することだ。祈りに祈り、粘り強く時を待ち、時をつくるのだ。(「SGI」の章、53ページ)

勝利の姿

仲良く団結しているということは、それ自体、一人ひとりが自身に打ち勝った勝利の姿であるといえる。わがままで自分中心であれば、団結などできないからだ。(「SGI」の章、99ページ)

友情の苗

友情の苗は、その場限りの出会いでは育たない。水や肥料をやり、丹精して苗が育つように、誠実を尽くしてこそ、友情は育つのだ。(「人間外交」の章、156ページ)

祈りの根本

祈りの根本は、どこまでも広宣流布であり、広布のためにという一念から発する唱題に、無量無辺の功徳があるんです。(「共鳴音」の章、290ページ)人間主義

人間主義

人間的であることとは、人への感謝の心をもち、率直に、その気持ちを伝えることである。感謝なき人間主義もなければ、自身の思いを表現せぬ無表情の人間主義もない。(「宝冠」の章、372ページ)