新・人間革命 第23巻

小説「新・人間革命」に学ぶ

今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第22巻の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を紹介する。次回の「名場面編」は8日(火)付、「御書編」は16日付、「解説編」は23日付の予定。

第23巻

<基礎資料編>

【物語の時期】1976年(昭和51年)1月~8月30日

「未来」の章

1976年(昭和51年)4月16日、札幌創価幼稚園が開園。創立者の山本伸一は、入園式に出席し、自ら園児たちを出迎える。式の前日にも幼稚園の教職員と懇談し、「仲良く、団結して、最高の人間教育の城をつくってください」などと励ます。式典で伸一は、園児たちを生涯、見守り続けていこうとの思いから、最後列に座る。引き続いて、記念撮影と記念植樹に参加。さらに、園児をバスで送り、通園状況を確認する。翌17日も、幼稚園の各保育室を回り、園児たちと心の絆を結ぶ。その後も伸一は、多忙なスケジュールの中、折にふれて幼稚園を訪問。入園式や卒園式には、園児たちに思いを馳せながら、メッセージを書き贈った。教員たちも幼稚園のモットー「つよく ただしく のびのびと」を実現するために懸命に奮闘する。伸一と教職員の情熱に育まれ、園児たちは伸び伸びと成長し、「未来」へ羽ばたいていく。札幌創価幼稚園に続いて、香港、シンガポール、マレーシア、ブラジル、韓国にも幼稚園が開園する。各国・各地域で創価の人間教育は、高い評価を得ていくことになる。

<名場面編>

〈1992年(平成4年)、香港創価幼稚園が開園した。園長の黄瑞玉は、毎日、玄関で子どもたちを、笑顔で迎え、見送ってきた〉

創立者の思い胸に病を克服

開園から六年ほどしたころ、その黄園長の姿が消えた。癌が発見されたのである。彼女には、深く胸に刻まれた、魂ともいうべき言葉があった。それは、職員室の壁に掲げられた「香港幼稚園は 私の生命也」という、山本伸一が認めた、あの言葉であった。黄園長は、癌の摘出手術を受けるために入院した。創立者の生命である幼稚園と園児たちから離れることが、辛くて、悔しくて仕方なかった。病魔に蝕まれた自分が、情けなく、不甲斐なかった。(中略)――彼女は、健康を回復し、微笑みながら、登園してくる子どもたちを迎える、自分の姿を思い浮かべた。すると、それだけで、幸せな気分になれた。さらに、創立者の山本伸一と一緒に、幼稚園の玄関に立つ自分を想像した。希望の光が、全身に降り注ぐ思いがした。“園児たちが、山本先生が、私を、待っていてくれる。私は、山本先生に代わって、園児たちに生涯を捧げるのだ。絶対に負けるものか! 病を克服して、また、幼稚園の玄関で、子どもたちを出迎え、見送ろう!”(中略)やがて、黄園長は病を乗り越え、再び、幼稚園の玄関に立った。彼女は、毎日、伸一と一緒に出迎え、見送っているつもりで、園児たちに向かって、笑みの花を贈る。二〇〇〇年(平成十二年)十二月、香港を訪問した伸一は、卒園生の第一期から第三期の代表と再会し、記念のカメラに納まった。「お会いできて嬉しい。皆さんは、私の誇りです。宝です」第一期生は、既に中学二年生になっていた。伸一は、成長した皆の姿に目を見張った。未来へ伸びゆく姿に、深い感慨を覚えた。代表が、伸一に花束を贈った。「ありがとう。大きくなったね。立派に成長したね……」創立者と卒園生の語らいを見る黄園長の頰に、涙が光っていた。それは、子どもたちへの情愛と、生きる喜びの結晶でもあった。(「未来」の章、82~84ページ)

<基礎資料編>

「学光」の章

創価大学に通信教育部が開設され、5月16日に開学式が行われる。山本伸一はメッセージを贈り、通信教育とは“信”を“通”わせ合う教育であり、「第一期生の皆さんこそ、通信教育部の創立者」と訴える。通信教育部は、伸一が、創価大学の設立を構想した当初からの念願であり、民衆教育の眼目であった。開設準備に当たる教職員は意見交換を重ね、各都道府県に通教生の相談にのり、アドバイスする「指導員」を置くことを決定。また、伸一は、通信教育部の機関誌を「学光」と命名。それは“学の光で人生、社会を照らしゆく”との指針となった。8月15日からは創大通教初の夏期スクーリングが開始となり、伸一も大学を訪れ、通教生を激励。秋期スクーリングでも、懇談や記念撮影を行う。また、11月の「創大祭」では通教生の展示が好評を博す。通教生たちは伸一の心に応えようと、苦闘を重ねながら勉学に励み、1980年(昭和55年)3月、通教から初の卒業生が巣立つ。その後、医学・工学の博士、公認会計士、教員をはじめ、社会に貢献する人材が数多く育っていく。

<名場面編>

〈80年(昭和55年)3月、創価大学の通信教育部は、初めての卒業生を送り出すことに。そのなかに、3人の娘の母である今井翔子という女性がいた。彼女は中学生の時に、事故で耳が不自由になり、大学進学を断念したが、向学の情熱を燃やしてきた〉

学び抜く人生に勝利の輝き

創価大学の通信教育部が開設されることを知った。“通教で学問を身につけよう。娘たちが誇りに思える母親になりたい!”子どもへの最高の教育とは、親が生き方の手本を見せることである。創大通教に入学した彼女は、育児と家事の傍ら、懸命に勉学に励んだ。しかし、あの事故に遭った時から、頭痛や耳鳴りが続いており、三十分も机に向かっていると、吐き気もしてくるのだ。それでも、身を横たえながら勉強を続けた。(中略)自分には無理なのではないかと考えることもあった。そんな時、いつも瞼に浮かぶのは、最初の夏期スクーリングの時に授業を見に来てくれた、創立者の山本伸一の姿であった。“お忙しい先生が、わざわざ私たちの教室に足を運ばれ、額に汗をにじませ、生命を振り絞るようにして激励してくださった!”耳が不自由な彼女は、伸一の話の内容はわからなかった。しかし、懸命に語りかける彼の表情から、深い真心と限りない期待を感じた。魂が震える思いがした。その時、今井は感極まって、泣きだしてしまった。涙でかすむ伸一の顔は、自分をじっと見ているように感じられた。(中略)“この励ましに、なんとしてもお応えしたい。そのために、私は必ず四年間で卒業し、先生に勝利のご報告をしよう!”(中略)スクーリングでも、教師が書く黒板の文字を見て、必死に理解しようと努めた。学友たちも応援し、筆記したノートを見せてくれた。そして、遂に卒業を勝ち取ったのである。伸一は、今井の奮闘の報告を聞き、卒業記念にと、自著の詩集を贈った。その中に、こんな一節があった。

     「他人を教育することは易しい
  自己自身を教育することは難しい
  生涯 確たる軌道に乗りながら
  自己を教育していくところに
  人間革命の道がある」
    
(「学光」の章、180~182ページ)

<基礎資料編>

「勇気」の章

5月16日の夜、大学の2部(夜間部)に学ぶ男子学生部員による「勤労学生主張大会」が開催される。前年(1975年<昭和50年>)に、伸一の提案で2部学生の集い「飛翔会」が結成。メンバーは伸一と同じ青春の道を歩む誇りに燃え、先駆の学生部のなかでも一段と輝きを放っていた。大会の報告を聞いた伸一は、“広布の重要な局面で猛然と先駆し、大勝利の突破口を開くのが「飛翔会」だ”と期待を寄せる。8月29日に開催された第2回総会では、各方面に「飛翔会」を結成することが提案された。その後も伸一の励ましは続いた。伸一は、「7・17」を記念し、全同志の広宣流布への誓いを託した「人間革命の歌」の制作に取り組む。その日は、57年(同32年)に、事実無根の容疑で、大阪府警に不当逮捕された伸一が、釈放され、創価の正義の勝利を誓い合った日である。歌詞は18日午後の本部幹部会で発表。さらに、推敲が重ねられ、同日夜、歌詞・曲ともに完成し、師弟の共戦譜「人間革命の歌」が誕生したのだ。翌日の夜には、全国各地の会合で声高らかに歌われ、世界各地の同志へと広がっていく。

<名場面編>

〈76年(昭和51年)7月、「人間革命の歌」が完成。“同志の心を奮い立たせる生命の讃歌を”と、山本伸一が作詞・作曲したものであった〉

地涌の使命に生きる共戦譜

山本伸一は、「人間革命の歌」で、戸田城聖が獄中で悟達した、「われ地涌の菩薩なり」との魂の叫びを、いかに表現し、伝えるかに、最も心を砕いた。戸田は、この獄中の悟達によって、生涯を広宣流布に捧げんと決意し、一人立った。大聖人は「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(御書1360ページ)と仰せである。この悟達にこそ、日蓮大聖人に直結し、広宣流布に生きる、仏意仏勅の団体である創価学会の「確信」の原点がある。「地涌の菩薩」の使命の自覚とは、自分は、人びとの幸福に寄与する使命をもって生まれてきたという、人生の根源的な意味を知り、実践していくことである。それは、人生の最高の価値創造をもたらす源泉となる。また、利己のみにとらわれた「小我」の生命を利他へと転じ、全民衆、全人類をも包み込む、「大我」の生命を確立する原動力である。いわば、この「地涌の菩薩」の使命に生き抜くなかに、人間革命の大道があるのだ。伸一は、若者たちが、人生の意味を見いだせず、閉塞化した精神の状況を呈している時代であるだけに、なんのための人生かを、訴え抜いていきたかった。そして、彼は、その思想を、「人間革命の歌」の二番にある、「地よりか涌きたる 我なれば 我なれば この世で果たさん 使命あり」との歌詞で表現したのである。この年の暮れには、伸一の四十九歳の誕生日にあたる、翌一九七七年(昭和五十二年)一月二日を記念し、学会本部の前庭に「人間革命の歌」の碑が建立され、その除幕式が行われた。山本門下生として、地涌の使命を果たし抜かんとの、弟子一同の誓願によって建てられたものだ。「人間革命の歌」は、師弟の共戦譜である。そして、生命の讃歌である。碑の歌詞の最後に、伸一は刻んだ。「恩師戸田城聖先生に捧ぐ 弟子 山本伸一」(「勇気」の章、285~286ページ)

<基礎資料編>

「敢闘」の章

7月23日、伸一は名古屋で女子部の人材育成グループ「青春会」を激励。夕刻、三重県の中部第一総合研修所へ。歴代会長の精神を学び、継承するための遺品などが展示された記念館をはじめ、研修所内を視察。26日は中部学生部の代表と懇談し、「学生部厚田会」を結成した。一人ひとりの励ましに徹する地道な「敢闘」の日々は続く。8月6日には鹿児島県の九州総合研修所を訪問。12日には東京に戻り、3日間にわたる茨城指導へ。19日から再び九州総合研修所に向かい、20日、人材育成グループ「鳳雛会」の結成10周年記念大会に出席する。席上、伸一は、皆が山本伸一の分身として、師と共に広布に生きることを願い、和歌を贈る。また、22日には本部幹部会や女子「鳳雛グループ」の大会に出席。23日は、喜界島の草創期を築いた婦人に最大の励ましを送る。伸一の入信記念日であり、恩師との思い出深き24日には、清水、国分の両総ブロック合同の代表者勤行会へ。翌日は「伸一会」の集い、さらに神奈川、埼玉の文化祭に出席するなど、同志の激励に力を尽くす。

<名場面編>

〈創価学会の創立の日となった、30年(同5年)11月18日は、『創価教育学体系』の発行日である。その不朽の大著は、師と弟子の語らいから生まれた〉

師弟が紡いだ「創価」の二字

冬のある夜、牧口と戸田は、戸田の家で火鉢を挟み、深夜まで語らいを続けていた。(中略)牧口は、自分の教育学説出版の意向を戸田に語ったあと、すぐに、それを打ち消すように言った。「しかし、売れずに損をする本を、出版するところはないだろう……」(中略)「先生、私がやります!」「しかし、戸田君、金がかかるよ」「かまいません。私には、たくさんの財産はありませんが、一万九千円はあります。それを、全部、投げ出しましょう」小学校教員の初任給が五十円前後であったころである。師の教育学説を実証しようと、私塾・時習学館を営んでいた戸田は、牧口の教育思想を世に残すために、全財産をなげうつ覚悟を定めたのである。(中略)牧口は、じっと戸田を見て頷いた。「よし、君が、そこまで決心してくれるのなら、ひとつやろうじゃないか!」牧口の目は、生き生きと輝いていた。そして、つぶやくように言葉をついだ。「さて、私の教育学説に、どんな名前をつけるべきか……」  すると、戸田が尋ねた。「先生の教育学は、何が目的ですか」「一言すれば、価値を創造することだ」「そうですよね。……でも、価値創造哲学や、価値創造教育学というのも変だな」「確かに、それでは、すっきりしない。創造教育学というのも、おかしいしな……」戸田は、頰を紅潮させて言った。「先生、いっそのこと、創造の『創』と、価値の『価』をとって、『創価教育学』としたらどうでしょうか」「うん、いい名前じゃないか!」「では、『創価教育学』に決めましょう」時計の針は、既に午前零時を回っていた。師弟の語らいのなかから、「創価」の言葉は紡ぎ出されたのである。(「敢闘」の章、297~300ページ)

<基礎資料編>

【「人間革命の歌」の書】

池田先生が「人間革命の歌」の歌詞をしたためた書の一部。3番の歌詞の最後に、「人間革命 光あれ 合掌」と記されている。書全体は幅3メートル30センチに及ぶ池田先生は「人間革命の歌」の完成を記念し、1番から3番の歌詞を一幅の書にしたためた。冒頭には、「わが広宣流布に勇敢に向いゆく わが同志乃益々御健斗と無事とを祈りつつ 此の一詩を全学会乃諸兄諸姉に贈る」との言葉とともに、歌が完成した「昭和五十一年七月十八日」の日付が揮毫されている。  また、結びには「一千万地涌の同志乃永遠なる栄光の旅路を祈る 初代 牧口常三郎先生 二代 戸田城聖先生 三代 池田大作 記す 創価学会本部 会長室にて」と書きとどめられている。こちらのURLから、「人間革命の歌」の動画を視聴できます。

第23先臨終巻

<御書編>

御文

先臨終まずせんじゅうことならうてのち他事たじを習うべし(御書1404ページ、妙法尼御前御返事みょうほうあまごへんじ

通解

日蓮と同意であるならば、地涌じゆ菩薩ぼさつであることは間違いないであろう。

小説の場面から

<1976年(昭和51年)7月、山本伸一は、女子部の代表に、「生老病死」の問題について語る>

「いかなる人間も、死を回避することはできない。(中略)トインビー博士も、対談した折に、しみじみと、こう語っていました。――人間は、皆、死んでいく。生死という冷厳な事実を突き付けられる。しかし、社交界で遊んだり、それ以外のことを考えたりして、その事実を直視せずに、ごまかそうとしている。だから、私は、日本の仏法指導者であるあなたと、仏法を語り合いたかった。教えてもらいたかった。死という問題の根本的な解決がなければ、正しい人生観、価値観の確立もないし、本当の意味の、人生の幸福もありません」(中略)「その死の問題を、根本的に解決したのが、日蓮大聖人の仏法です。広宣流布に生き抜くならば、この世で崩れざる幸福境涯を開くだけでなく、三世永遠に、歓喜の生命の大道を歩み抜いていくことができるんです。(中略)

三世永遠の幸福境涯開く

広宣流布のための人生であると心を定め、強盛に信心に励んでいくならば、わが生命が大宇宙の根本法たる妙法と合致し、あらゆる苦悩を悠々と乗り越えていくことができるんです。信心に励んでいる生命の大地には、福運の地下水が流れていく。大風や日照りの日があっても、やがては、その生命の大地は豊かに潤い、幸の実りをもたらします」

(「敢闘」の章、291~292ページ)

御文

南無妙法蓮華経ととなうるよりほか遊楽ゆうらくなきなり(御書1143ページ、 四条金吾殿御返事しじょうきんごどのごへんじ

通解

南無妙法蓮華経と唱える以外に 遊楽ゆうらくはない。

小説の場面から

<76年(同51年)8月24日、山本伸一は、九州総合研修所近くの二総ブロック合同の代表者勤行会へ。信心根本に歩む大切さを訴える>

「法華経には、『現世安穏、後生善処』(現世安穏にして、後に善処に生ず)とあります。しかし、広宣流布の道には、さまざまな難が競い起こってきます。また、人生は、宿命との戦いともいえます。現世安穏というのは、なんの波風もない、順風満帆の人生を生きるということではありません。怒濤のように諸難や試練があっても、勇敢に、一歩も引かずに戦い、悠々とそれを乗り越えていける境涯をいいます。何があろうが、堂々と、人生に勝利していける姿が、現世安穏ということなんです。途中は、いかに波瀾万丈でも、それを勝ち越え、晩年に、しみじみと、わが人生は現世安穏なりと、実感していくことが大事です。そのためには、どんなことがあっても、一生涯、学会から、御本尊から離れず、題目を唱え抜いて、勇んで、広宣流布に生き抜いていくことです。(中略)

題目は苦難克服の原動力

たとえ、どんなに苦しい時も、御本尊への信を奮い起こし、“絶対に負けるものか!”と、唱題し抜いていくんです。そうすれば、苦難に立ち向かう勇気が湧きます。生命が躍動し、歓喜が込み上げてきます。そこから、すべての状況が開かれていくんです。題目、題目、題目です。誰も見ていなくとも、日々、懸命に祈り抜いていく――それが、一切の原動力です」

(「敢闘」の章、365~366ページ)

ここにフォーカス 「いよいよ」の心意気

ここにフォーカス20世紀を代表する歴史学者トインビー博士は、1967年(昭和42年)11月、実業家の松下幸之助氏と対談した折、「これからの日本にとって一番大切な人は誰か」と尋ねます。この問いに、松下氏は池田先生の名を挙げました。氏が先生と初めて会ったのは、その1カ月前の67年10月に行われた東京文化祭。役員の対応、一糸乱れぬ演技とともに、氏の胸を打ったのは、先生の心遣いでした。多くの来賓の対応で多忙な中、先生は担当者を氏のもとに向かわせ、「なにか不都合はありませんか」等と伺います。この対応に、氏は「なんでもないことのようだが、(中略)そこまで心をくばっておられることに私は驚いた」と振り返っています。「新世紀」の章に、「人との出会いは『一期一会』」「渉外は、誠実をもってする真剣勝負」とあります。この伸一の信念が、氏の心に感動を呼び起こしたのです。88年(同63年)1月、還暦(60歳)を迎えた伸一に、氏は「本日を機に、いよいよ真のご活躍をお始めになられる時機到来とお考えになって頂き、もうひとつ『創価学会』をお作りになられる位の心意気で」と祝詞を贈りました。今年の10月2日は、池田先生の海外初訪問から60周年の佳節。私たちも「いよいよ」との決意で世界平和を誓い、祈り、わが地域から新たな歴史の一歩を刻みましょう。

第22巻

<解説編>

紙面講座池田主任副会長

草創期以来、広布の歩みは、学会歌の調べとともにありました。「勇気」の章では、「人間革命の歌」の誕生の経緯が詳細につづられています。1976年(昭和51年)、「7・17」の正義の人権闘争から20年目を迎えるに当たり、山本伸一は、学会歌の制作に取り組みました。 「学会の精神と思想を端的に表現」(259ページ)し、「愛する同志が、何ものにも負けぬ闘魂を燃え上がらせる、勇気の歌」(261ページ)を作ろうと決意していたのです。「人間革命の歌」の制作過程の中で、伸一は 「戸田城聖が獄中で悟達した、『われ地涌の菩薩なり』との魂の叫び」(285ページ)をいかに伝えるかに最も心を砕きました。この戸田先生の「獄中の悟達」にこそ、 「仏意仏勅の団体である創価学会の『確信』の原点がある」(同)からです。伸一は推敲を重ね、恩師の悟達を、2番の 「地よりか涌きたる 我なれば 我なれば この世で果たさん 使命あり」との歌詞で表現したのです。先月26日、約半年ぶりに、「世界広布新時代第46回本部幹部会」が広宣流布大誓堂(東京・信濃町)で開催されました。池田先生は、メッセージの中で、今再び、命に刻みたい師弟の原点として、戸田先生の「獄中の悟達」に言及され、 「師弟の一念によって呼び出された地涌の菩薩の陣列こそ、創価学会」と述べられました。そして、学会創立100周年となる2030年までの10年は、 「人類の『宿命転換』を、断固として成し遂げていくべき勝負の時」であり、今月27日に開催される「世界青年部総会」は、 「遠大な師弟旅の希望の出発」と強調されたのです。席上、世界青年部歌「Eternal Journey with Sensei!~永遠の師弟旅~」が発表されました。同歌は、小説『新・人間革命』から着想された、「人間革命」の精神を表現する“弟子の誓いの歌”です。「人間革命の歌」が 「人間革命運動の推進力」(285ページ)となったように、世界青年部歌は世界広布の推進力となり、青年部の前進の原動力となるに違いありません。

新聞連載から10年

「敢闘」の章は、2010年(平成22年)6月から8月にかけて連載されました。この年は、池田先生の第3代会長就任50周年と学会創立80周年を刻む大きな節目の年でした。同年6月3日、「新時代第41回本部幹部会」が行われました。前日、先生は「皆が、創価学会のすべての責任を担って戦う時が来ているのである」「ゆえに、私を頼るのではなく、君たちが全責任をもって、やる時代である」と指導されました。当日には、「君たちに万事を託していく総仕上げの『時』を迎えている」「師匠の薫陶に応えて、弟子が今一重の深い自覚をもって立ち上がる時に、未来を開く新しい前進と勝利の息吹が生まれるのであります」と、メッセージを贈られたのです。「敢闘」の章の連載が開始したのは、この本部幹部会が開催された6月3日でした。同章は「時代も、社会も、時々刻々と変化を遂げていく。創価学会も、新しい人材が陸続と育ち、新しい会館や研修所も次々と誕生し、新時代を迎えようとしていた」(287ページ)との一節で始まります。関西文化祭にどうしても出席できないことを伝える場面では、伸一はこう語ります。「いよいよ、弟子が立ち上がる時代だよ」「みんなの力で、私が出席した以上に、意気軒昂で、大歓喜が爆発する文化祭にしてください。それができてこそ、本当の弟子です。じっと見守っています」(338ページ)池田先生は、同年10月1日から、第24巻「母の詩」の章の連載を開始されました。その後も、執筆闘争を続けられ、18年(同30年)9月8日、『新・人間革命』は全30巻をもって完結を迎えました。先生は「あとがき」に、 「完結を新しい出発として、創価の同志が『山本伸一』として立ち、(中略)自身の輝ける『人間革命』の歴史を綴られんことを、心から念願している」と書きとどめられています。「敢闘」の章の連載から10年。この間は、一人一人が、師匠に“励まされる弟子”から、師の心をわが心として、友を“励ます弟子”へと、挑戦を重ねる10年であったともいえます。社会は今、さまざまな変化に直面しています。困難な時代だからこそ、「山本伸一」として立ち、日々、自らの人間革命に挑戦してまいりたいと思います。

創価教育原点の日

学会創立記念日の「11・18」は、1930年(昭和5年)のこの日に、『創価教育学体系』が発刊されたことが淵源です。「未来」の章では、「創価教育原点の日」(102ページ)とも意義付けられています。創価教育の新たな飛躍の年となった76年(同51年)には、札幌創価幼稚園と創価大学の通信教育部が開設され、創価教育の舞台が、幼児教育と通信教育にも広がりました。「学光」の章では、通信教育事業が、牧口先生と戸田先生の悲願であったことが記されています。両先生とも、通信教育事業を展開しましたが、牧口先生は日露戦争後の不況で、戸田先生は第2次世界大戦後のインフレによって事業の撤退を余儀なくされました。人びとの幸福のための教育を実現しようとした先師の思い、「万人に教育の機会を与えたい」(118ページ)との恩師の教育構想を継ぎ、伸一は創価大学に通信教育部を設置したのです。伸一は青春時代、大世学院(現・東京富士大学)の政経科夜間部に通っていました。その苦学の経験から、通信教育で学ぶ友には、「学の光をもって、わが人生を、そして、社会を照らしゆくのだ」(124ページ)と期待を寄せ、2部学生のメンバーには、 「皆、私の大切な後輩たち」(201ページ)と親しみを込めて呼び掛け、 「私と同じ青春の道を、真の師弟の道を歩む内証の誇りをもって、うんと苦労し、自らが自らを磨いていくんだ」(202ページ)と万感の思いを語りました。今年、創価大学通信教育部の夏期スクーリングは、コロナ禍のため、全ての授業をオンラインで行うという初の試みに挑みました。その中で、日本と海外18カ国・地域の方々が授業に臨みました。通信教育の歴史に、新たな一ページを刻んだのです。『創価教育学体系』の発刊から間もなく90周年。人間教育の大光は、世界を照らし始めています。

名言集

真の経験

人間が直面する課題は、常に新しい。昨日と全く同じことなど、何一つない。ゆえに、大切なのは、挑戦への情熱である。勇気である。行動である。最善の道を究めようと、試行錯誤を重ねていく挑戦の軌跡が、やがて真の経験となって結実するのだ。(「未来」の章、14ページ)

生涯、勉強

生涯が学習である。生涯が勉強である。それが、人間らしく生きるということなのだ。(「学光」の章、108ページ)

人材の要件

二十一世紀に求められる人材の要件とは何か。それは、磨き抜かれた「英知」とともに、苦境のなかで培われた「勇気」と「人間性」を備えているということである。(「勇気」の章、205ページ)

「宿命」は「使命」

最も苦労した人こそ、最も成長を遂げる。過酷な「宿命」を背負った人こそ、最高の「使命」を担っている人である。(「勇気」の章、213ページ)

学会の黄金柱

壮年には、力がある。壮年は、一家の、社会の、学会の黄金柱である。そして、広宣流布の勝敗を決していくのは、壮年が、いかに戦うかにかかっている。(「敢闘」の章、354ページ)