新・人間革命 第6巻

小説「新・人間革命」に学ぶ

今回の「世界広布の大動 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第6巻の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を紹介する。次回の「名場面編」は13日付、「御書編」は20日付、「解説編」は27日付の予定。

第6巻基礎資料

物語の時期
1962年(昭和37年)1月27日~8月31日

「加速」の章

福岡・博多港の埋め立て地に掘っ立て小屋が立ち並ぶ”ドカン”地域は、治安も悪く、不幸に苦しむ人びとが多かった。学会の布教の勢いは、300万世帯達成に向けて「加速」。ここでも、次々と学会員が誕生し、庶民の蘇生の劇が生まれた。彼らの生きる力となったのが、山本伸一の指導であり、同志の励ましであった。学会は、全国各地で民衆を蘇らせ、現代社会を、根底から変えようとしていた。2月の本部幹部会では、この月、学会始まって以来、空前の弘教を成し遂げたことが発表される。伸一は、新会員の育成のため、徹底して教学運動に力を入れていく。彼は、中国、四国と同志の激励に奔走し、4月2日、戸田城聖の五回忌法要を迎える。席上、「大悪おこれは大善きたる」(御書1300ページ)の御文を拝して、広布への覚悟を披瀝する。5月3日、広宣流布の新しい扉を開き続けてきた伸一の、会長就任2周年の歩みを刻む第24回総会が開催された。彼は、”創価学会は日本の柱となって、個人の幸福のため,社会の繁栄のために、鉄の団結をもって、前進”と訴える。

社会建設は仏法者の使命

〈4月15日、北海道総支部の幹部会で、伸一は、仏法者の使命についてい訴えた〉

後に伸一は、なぜ、学会が公明政治連盟を結成して、同志を政界に送り出すのかに言及していった。「私どもに対して、宗教団体であるのに、なぜ選挙の支援をするのかとの批判の声がありますので、それについて、一言しておきたいと思います。私たちは、仏法を奉ずる信仰者でありますが、同時に社会人であり、国民として政治に参画し、一国の行方を担う責任があります。もし、自分だけの功徳を受け、幸せになればよいと考え、政治にも無関心であるならば、それは利己主義であり、社会人としての責任を放棄した姿であります。現在の政治を見ると、社会的な弱者を切り捨て、民衆に本当の意味での救済の手を差し伸べようとはしていないのが現状です。そこで、私どもは、仏法の慈悲の哲理を根底に、民衆の幸福のために働く同志を支援し、政界に送ろうとしているのです。それは、決して、宗教を直接、政治に持ち込むことでもなければ、学会のための政治を行うことでもありません。仏法者の使命として、全民衆が幸福になる社会を建設するために、あらゆる問題に取り組んでいこうとしてるのです」(中略)伸一は、学会に浴びせられる集中砲火のような批判を一身に受け、自らそれを論破しながら、悠々と前進していった。どうすれば会員が勇気を奮い起こせるかーーその一点に彼は心を砕き、猛然と戦い続けていたのである。(「加速」の章、210~212ページ)

「波浪」の章

6月2日、伸一は香川県での四国本部幹部会に出席。前日、伸一の出席を妨害する脅迫電話が学会本部に入る。彼は、自分が盾となって、仏子を守る決意で幹部会に参加する。3日には岡山県で行われた地区部長会で「一昨日御書」を講義。世間の讒言に対して、師子となって、学会の正義と真実を語り抜こうと指導した。7月、第6回参議院議員選挙の投票が行われ、公明政治連盟は大躍進し、参議院で第3の勢力となる。この頃、各地で公政連の支援団体である学会への悪質な嫌がらせが頻発。なかでも秋田県の尾去沢鉱山と長崎県佐世保の中里炭鉱の労働組合では、組合員である学会員が、組合推薦の候補よりも、公政連推薦の候補を応援したことが原因であった。同志は組合の不当な除名、そして解雇に追い込まれながらも、「信教の自由」を訴えて戦い抜く。尾去沢鉱山では、組合と和解。中里炭鉱では、炭鉱閉山後も法廷闘争が続くが、最高裁で全面勝訴を勝ち取る。この事件は、いよいよ学会が、時代の建設という、「波浪」が猛る大海に乗り出したことを意味していた。

〈6月、伸一は日本全国を東奔西走し、同志の激励に全力を尽くす〉

慈悲の行動が自分を強く

日は名古屋にいたかと思えば、今日は大阪に姿を見せ、東京に戻ったかと思うと北海道に飛んでいるといった伸一の素早い行動に、幹部たちは「まるで、山本先生が四人も五人もいるようだ」と、感嘆しながら語り合った。さらに、周囲の幹部が驚いたことは、もともと病弱で疲れやすい体質の山本会長が、激闘が続けば続くほど、元気なっていくことであった。ある時、同行の幹部が尋ねた。「先生は、こんなに動いておられるのに、どうしてお元気なのでしょうか」伸一は、ニッコリと微笑んだ。「それが学会活動の不思議さなんだよ。”私には、励まさなければならない人がたくさんいる。みんなが私をまっている”と思うと、じっとしてはいられないし、勇気が湧く。(中略)そえは、菩薩の、また仏の、強い生命が全身にあふれてくるからだよ。だから、学会活動をすればするほど、ますます元気になる。戦うことが、私の健康法でもある。もちろん、人間だから疲れもする。仏法は道理だから、休養も大切だ。(中略)元気になるには、自ら勇んで活動していくことが大事だ。そして、自分の具体的な目標を決めて挑戦していくこどだ。目標をもって力を尽くし、それが達成できれば喜びも大きい。また、学会活動のすばらしさは、同志のため、人びとのためという、慈悲の行動であることだ。それが、自分を強くしていく」(「波浪」の章、264~265ページ)

「宝土」の章

1962年(昭和37年)1月29日、山本伸一は、仏法のヒューマニズムをもって、世界を永遠の平和の「宝土」に変えようとの誓いを胸に、初の中東訪問へ。出発の前々日、彼は、学会員でアラブ研究の第一人者である河原崎寅造と懇談し、ともに未来のために平和・文化の橋を架けようと励ます。一行は30日、最初の訪問国であるイランに到着。首都テヘラン市内を視察する。夜、イスラム教の開祖であるマホメットの生涯や、他宗教との対話の重要性について話し会う。伸一は「対話の目的は、どうすればみんなが幸福になり、平和世界を築いていけるのかということだ」と述べる。そして、世界宗教の創始者は皆、迫害のなかで、民衆の幸福のために戦ってきており、現在に生きる人びとが、その創始者の心に立ち返り、対話を重ねていくことが世界平和のために必要だと訴える。イラクを訪れた一行は、クテシフォンの遺跡で、現在の青年や子供たちと語り合う。また、バビロンの遺跡では、古代の王朝の繁栄に思いをはせ、広布とは、新しい未来の文明をつくる壮大なロマンだと語る。

〈1962年(昭和37年)2月1日、イランの首都バクダッドの南東にあるクテシフォンの遺跡を訪れた山本伸一は、飲料水などを売り、生計を立てている若者たちを励ます〉

幸福のダイヤは心の中に

一は言った。(中略)「世界のどの国を見ても、人生で成功を収めたひとは、みんな必死になって勉強し、努力し、苦労をいとわずに働いています。イラクの大地には石油が眠っている。しかし、採掘しなければ使うことはできない。同じように、人間の心の中にも、幸福の大地モンドがある。そのダイヤを採択するには、あきらめたり、落胆したりせずに、懸命に努力し続けることです。そこに、知恵がわき、工夫が生まれ、困難の壁を破る道が開かれる。要は、真剣な一念です。苦労した分だけ、成功という実りが約束される。だから私は、あえて皆さんに、『努力せよ、苦労せよと』言いたいのです」(中略)最後に、彼は言った。 「皆さんとお話しできてよかった。皆さんの将来には、いろんな出来事があるかもしれない。しかし、『何があっても、希望を捨てるな、自己自身に負けるな』との言葉を贈りたい。あなたたちのことは、生涯、忘れません。今日はありがとう。お元気で」傍らで、伸一と若者たちとの話を聞いていた、老楽士が語りかけてきた。「あなたは、よい話をしてくださった。一曲、あなたのために奏でよう」老楽士の奏でる軽やかな調べが流れた。(「宝土」の章。70~72ページ)

「遠路」の章

伸一の一行は、2月2日、トルコへ。彼は、日本との友好の歴史を振り返りながら、”国家次元”の交流も大事だが、”民衆次元”の交流こそ根本であると述べる。翌日、ドルマバフチェ宮殿などを見学する。4日には、ギリシャに。アクロポリスを視察し、ソクラテスが投獄されたとされる牢を見学。伸一は、「民主制」について思索を巡らせ、民衆を聡明にすることが、民主主義の画竜点睛であり、それを行っているのが学会であると語る。次の訪問国エジプトでは、ギザのピラミッドなどを巡り、ホテルに戻ると、電報が届いていた。大阪事件の第一審判決に対し、検察の「控訴なし」とあった。ついに彼の無罪が確定したのである。2月11日、伸一は、恩師・戸田城聖の誕生日をパキスタンで迎えた。かつて同地に至ったアレキサンダー大王の遠征に言及し、偉大な指導者の心を知り、同じ”志”を生涯持ち続けることの大切さを強調。恩師から託された、広布の「遠路」を進む決意を新たにする。帰途、訪問したタイと、経由地の香港で、支部の結成を発表する。

〈2月7日、エジプトで、クフ王のピラミッドを視察した伸一は、同行の青年に、ピラミッド建設について、自らの考えを語る〉

民衆の大情熱が偉業の力

ロドトスの記述によって、長い間、ピラミッドは、国民を奴隷のように酷使して建設されたという見方が”常識”となっていたのである。伸一は言った。「なぜ、私がそのヘロドトスの記述に疑問を感じるかというと、民衆が強制的に働かされ、いやいやながらつくったものが、何千年も崩れることなく残るとは思えないからだ。(中略)クフ王の大ピラミッドが残っているということは、作業にあたった一人ひとりが、強い責任感をもって、自分の仕事を完璧に仕上げていったからだ。さらに、皆が互いに補い合おうとする、団結の心がなければ不可能といえる。その真剣さ、建設への大情熱がどこから生まれたのか。少なくとも強制労働では、そんな人間の心は育たない。私は、この建設には民衆自身の意志が、強く反映されているように思う」(中略)一九八三年(昭和五十八年)、フランスのエジプト学の権威であるジャン・ルクランと対談した折、伸一は、自分の考えが間違いではなかったことを確認したのである。今日の研究では、大ピラミッドは、奴隷ではなく、自由民の手によってつくられたことが明らかになっている。(「遠路」の章、124~127ページ)

「若鷲」の章

伸一は、学生部に対する本格的な薫陶を開始した。『大白蓮華』4月号の巻頭言に「学生部に与う」を執筆。学生部の使命は広宣流布の「先駆」にあることを明確にする。また、新たな未来への陣列を築くため、学生部代表への御書講義を決める。7月の、第5回学生部総会で伸一は、日蓮仏法とその他の思想・哲学を徹底して比較研究し、「”人類を救い得る世界最高の哲学は、確かにこれしかない”と確信したならば、その信念にしたがって、仏法の対哲理を胸に、民衆の味方となり、不幸な人びとを救うために、生涯、生き抜いていただきたい」と訴えた。8月31日、学生部の代表に対する第1回「御義口伝」講義が開始された。伸一は、講義を通して、恩師・戸田城聖に代わって、次代の指導者たる学生部に、大聖人の仏法の大哲理を示そうと全力を注いだ。講義は、伸一の魂と、受講生の心がとけ合う”生命の溶鉱炉”ともいうべきものとなった。彼は、この受講生たちが、世界広宣流布の新しい夜明けを開いてくれることを確信していた。事実、「若鷲」たちは、使命の空へ大きく羽ばたいていく。

〈8月31日、伸一の学生部代表への「御義口伝」講義が開始される〉

師匠は原理、弟子は応用

は、よくメンバーにこう語った。「私は、戸田先生から、十年間、徹底して、広宣流布の原理を教わった。師匠は原理、弟子は応用だ。今度は、将来、君たちが私の成したことを土台にして、何十倍も、何百倍も展開し、広宣流布の大道を開いていってほしい。私は、そのための踏み台です。目的は、人類の幸福であり、世界の平和にある」伸一は、毎回、講義のたびごとに、菓子や食事を用意し、一人ひとりを温かく包み込み、励ますことを忘れなかった。時に放たれる厳しい叱責も、深い慈愛からの指導であった。会場の下足箱の前に立って、底のすり減った靴を見つけると、あとから、その持ち主に、新しい靴をかいあたえることもあった。メンバーは、講義を通して、山本伸一という人間に触れていったといってよい。そして、そのなかで、仏法の法理を体現した人格の輝を知ったのである。受講生にとって、伸一は生き方の手本となり、人生の師として、心のななで次第に鮮明な像を結びはじめたのである。そこには、広宣流布という最高、最大の目的に向かう師弟の、温かい交流があり、触発があった。(中略)伸一が多忙を極めたこの時期に、学生部への講義をいっさいの行事に最優先させてきたのは、広宣流布の壮大な未来図を実現するためには、新しい人材の育成が、最重要の課題であると考えていたからだ。(「若鷲」の章、366~368ページ)

第6巻御書

御文

御文

大将軍だいしょうぐんをくしぬれば歩兵臆病つわものおくびょうなり(御書1219ページ、 乙御前御消息おとごぜんごしょうそく

通解

大将軍だいしょうぐんおくしたならば、部下の兵も臆病おくびょうになってしまう。

小説の場面から

〈山本伸一は、会長就任3周年開幕にあたって、1962年(昭和37年)の5月、6月で、全国を巡り、同志と新出発を決意する〉
人を燃え上がらせるためには、まず、リーダーが自らの生命を完全燃焼させることだ。人を動かすには、自らが動き抜くことだ。御請訓には「大将軍をくしぬれば 歩兵臆病なり」と。組織とっても、リーダーの一念の投影である。ゆえに、指導者は自らに問わなければならない。勝利への決定した心はあるか。強盛なる祈りはあるか。燃え上がる歓喜はあるか。そして、今日もわが行動に悔いはないかーーと。それは、伸一が戸田城聖から教えられた将軍学でもあった。伸一も、同志も、青葉の季節を力の限り走り抜き、五月二十七日には、東京体育館で本部幹部会が開催された。

信心の至誠

席上、発表された五月の弘教は十万八余世帯であり、なんと、この「勝利の年」の年間目標であった二百七十万世帯を、わずか五カ月にして、悠々と突破してしまったのだ。電光石火の快進撃である。
(中略)
今、誰もが、広宣流布の潮がひたひたと満ち、精神の枯渇した日本の国を、潤しつつあつことを実感していた。そして、それぞれが主役となって、社会の建設に携わる喜びと躍動をかみしめていたのである。この日幹部会で、伸一は、最後に「新世紀の歌」の指揮を執った。それは、広宣流布の大空への、勇壮なる飛翔の舞であった。

(「加速」の章、239~240ページ)

御文

法を知り国を思うの志尤こころざしもっともくしょうせらるきのところ邪法邪教じゃほうじゃきょうともがら讒奏讒言ざんそうざんげんするの間久あいだひさしく大忠だいちゅういだいてしかいま微望を達せず(御書183ページ、一昨日御書)

通解

仏法を知り、国を思うここざしは、もっともしょうされるべきところであるのに、邪法じゃほう邪教じゃきょうやから讒奏ざんそう讒言ざんげんするので、ひさしい間、大忠だいちゅういだいていても、いまだ小さのぞみも達することができないのでいるのである。

小説の場面から

〈62年6月、山本伸一は、中国本部の地区部長会で、悪と戦う勇気を促す〉
「私たちは、日本の国をよくし、人びとを幸福にし、懸命に働いてきました。これほど、純粋で、清らかな、誠実な団体は、ほかにはないではありませんか。その誠実な人間の集いである学会を、一部のマスコミなどが、暴力宗教であるとか、政治を牛耳り、日本を支配しようとしているとか、盛んに中傷、デマを流しています。そして、社会は、それを鵜呑みにして学会を排斥しゆとする。讒言による学会への攻撃です。ゆえに、広宣流布の道とは、見方によっては、讒言との戦いであるともいえます。讒言の包囲網を破り、仏法の、また学会の真実を知らしめ、賛同と共感を勝ち取る言論の戦いであり、人間性の戦いです。
(中略)

広宣流布の道は信念の言論戦

どんなに荒唐無稽な嘘であっても、真実を知らなければ、その嘘がわからない。最初は、半信半疑であっても、やがて、そんなこともあるのかもしれないと、思うようになります。そして、何度も嘘を聞くうちには、多分そうなのだろうと考えるようになり、やがて、嘘が真実をであるかのように、皆、思い込んでしまう。『沈黙は金、雄弁は銀』という西洋の諺がありますが、黙っていればいということではありません。(中略)言うべきことも言わず、戦わないのは単なる臆病です」

」(「波浪」の章、256~257ページ)

「学会は大変なことを始めた」

ここにフォーカス小説『新・人間革命』第6巻「加速」の章で触れられている、作家の故・杉浦明平氏は、『小説 渡辺崋山』や『ルネサンス文学の研究』などの著者としてしられていますが、貧困や差別から人々を解放しようと、さまざまな社会運動にも力を注ぎました。氏は、戦国、郷里の愛知県渥美町(現・田原市)で、生活が困窮している人に援助の手を差し伸べるなど、努力を重ねます。しかし、それだけでは限界がありました。「まわりでいくら膳立てし、金を与えても、結局、本人が自立できない」と、振り返っています。どうすれば、民衆を苦悩から解放し、自立させることができるのかーー模索していたとき、経済苦や病苦の中から漠然と立ち上がっていく学会員の姿を目の当たりにします。そして、庶民が社会変革の主体者として目覚めていく学会の運動に着目します。氏は創価学会について、驚きと称賛をもって、こう語っています。「学会の最大の業績は、社会の底辺にいる人達というか、庶民の力を引き出し、蘇生させたということです。じつは、それは私の大きな課題でもあったんです」「学会は大変はことを始めたもんだ、学会にしてやられたっていう感じもしましたね」

第6巻解説

紙面講座池田主任副会長


第6巻「宝土」「遠路」の章では、山本伸一が1962年(昭和37年)1月から2月にかけて、イラン、イラクなど、海外7カ国を訪問した様子が描かれています。訪問の目的の一つは、宗教事情の視察でした。中東はイスラム教発祥の地です。伸一にとて、イスラムの文化や歴史を肌で感じることは、世界広布を展望する上で、極めて大切なことだったのではないでしょうか。同年1月30日、伸一は「人間の精神の力によって、人類の融合と永遠の平和を開こうと」(29ページ)と、イラン・テヘランに中東訪問の第一歩をしるします。その道は、「遠く、はるかな道程ではあるが、断じて進まねばならぬ、彼の使命の道」(同)でした。「遠路」の章の最後には、「広宣流布の道は、遠路である。遠路なればこそ、一歩一歩の地道な歩みが大事だ。遠路なればこそ、何ものにも挫けぬ、信念と勇気の火を燃やし続けることだ」(163ページ)と記されています。この一節を、私たちは心に刻みたいと思います。中東訪問の場面では、異文化理解と文明間対話という重要なテーマについてつづられています。神の唯一絶対性を説くイスラム教との対話は難しいのではないかとの同行した青年部の質問に対し、伸一は「同じ人間として、まず語り合える問題から、語り合っていけばよい(59ページ)と答えます。さらに、「大聖人をはじめ、釈尊、イエス・キリスト、マホメットといった、各宗教の創始者が一堂に会して、『会議』を開けば、話は早いのだ」(60ページ)との戸田先生の言葉を引用し、「現在の人びとが、民衆の救済に生きた創始者の心に立ち返って、対話を重ねていく以外にない」(61ページ)と語っています。人間として互いを認め合い、語り合っていく対話こそ、異文化理解を深める上で最も大切な心構えなのです。また、エジプト訪問の折には、ある学者と文明についての対話が繰り広げられます。学者から「高度に発達した文明をもった国々が滅び去った共通の原因」(129ページ)を問われ、伸一はこう答えます。「一国の滅亡の要因は、国のなかに、さらいえいば常に人間の心のなかにあるととらえています」

底流で歴史をつくり、歴史を動かすのは、人間の強靭は意志の力です。この視点で歴史を見るならは、「歴史は単に過去の出来事ではなく、人間の生き方の、現在と未来を照らして出す道標として、光を放つ」(同)のです。
民衆蘇生のドラマ

さて62年は、学会員による布教の波が一段と加速していた時代でした。「加速」の章では、社会の日陰ともいえる福岡市の”ドカン”地域でのメンバーの蘇生のドラマが描かれています。経済苦や病気など、多くの苦悩を抱えた”ドカン”地域の人びとにとって、信仰は希望の光となり、生きる勇気をもたらす力となりました。各人が信仰で得た智慧と勇気で努力を重ね、数々の功徳の体験が生まれました。彼らの生きる力となったのが、山本伸一の指導でした。「メンバーは、聖教新聞に掲載された、伸一の会合での指導や御書講義を、貪るように読み、信心を学んでいった」(185ページ)のです。伸一の心は常に、最も大きな苦悩を抱えた人々に向けられていました。幹部た対して「苦労している同志のことを、いつも気遣い、励まし、勇気づけ、身を粉にして、奉仕していくことです」(199ページ)と指導します。さらに「私とも呼吸を合わせていただきた。私と呼吸を合わせていくには、広宣流布の全責任を担おうとする、強い一念をもつことです」(同)と語っています。この「会員奉仕の精神」こそ、学会の根本です。同志に尽くし抜く「心」が、皆を鼓舞していくのです。

奥底の一念

「若鷲」の章では、伸一が学生部員の要請に応え、「御義口伝」講義を開始した場面が描けれています。伸一が学生部に対して、探求心をもってほしいと念願します。「さまざまな思想・哲学と比較相対すればするほと、その真価が明らかになるのが仏法である」(329ページ)からです。そのことに、誰よりも挑んできたのが、伸一自身でした。第3巻の「仏陀」の章で釈尊を、第5巻の「歓喜」の章でイエス・キリストを、そして第6巻の「宝土」の章でマホメットと、世界三大宗教の創始者の生涯を描いています。インド、ヨーロッパ、中東を巡る中で、いかに世界広布を伸展させていくのかを思索していたのです。また、「若鷲」の章で重要なのは、御書を学ぶ姿勢です。ここでポイントを2点あげたい。第一に、御書は信心で拝することです。学生部員に、伸一は厳しく指導しています。「御書の拝読する場合は、まず”真実、真実、全くその通りでございます”との深い思いで、すなわち、信心で拝し、信心で求め、信心で受けとめていこうとすることが大事です」(338ページ)。さらに、「西洋哲学は”懐疑”から出発するといえるかもしれない。しかし、仏法を学ぶには、”信”をもって入らなければならない」(同)とも語っています。第二は、御書の通り実践していくことです。「御書は、身口意の三業で拝していかなければならない。御書に仰せの通りに生き抜いていくことです」(同)と述べています。伸一は、義務感で御書を学ぶのではなく、地涌の使命を自覚し、能動的に研さんをしていくことを呼び掛けています。そして、「学会の活動をしている時も、御本尊に向かう場合も、大事なのは、この奥底の一念です。惰性に流され、いやいやながらの、中途半場な形式的な信心であれば、本当の歓喜も、幸福も、成仏もまりません」(359ページ)と語っています。「能動」の信心に、自身の成長も、信仰の歓喜もあるのです。第6巻が「聖教新聞」に連載されたのは1996年(平成8年)9月から翌年4月までです。当時、学会には卑劣なデマや中傷の嵐が吹いていました。「波浪」の章に記されています。「讒言を打ち破るものは、真剣さです。全精魂を傾けた生命の叫びです。全員が一人立ち、師子となって、学会の正義と真実を語りに語り、訴えに訴えて抜いていってこそ、勝利を打ち立てることができるのです」(257ページ)と。広布とは、学会の真実を宣揚する言論の戦いです。「師子王の心を取り出だして」(御書1190ページ)、力強く創価の正義を獅子吼していきましょう。

名言集

一瞬一瞬を燃焼

永劫の太陽の輝きも一瞬一瞬の燃焼の連続である。使命に生きるとは、瞬間瞬間、わが命を燃え上がらせ、行動することだ。(「宝土」の章、77ページ)

人間関係を広げる

人間は、ともしれば古い友人とは疎遠になりがちである。また、古い友人との交流があれば、新しい友人をつくろうとはしないものだ。しかし、人間を大切にし、人間関係を広げていくなかで、新たな世界が開かれていく。(「遠路」の章、90ページ)

真実の仏法の道

幹部は、自己中心的な考えや虚栄心を捨てて、徹して会員に尽くし抜こうとの一念を定めることです。そこにこそ、真実の仏法の道がある。(「加速」の章、200ページ)

幸福の根本条件

真の信仰とは、”おすがり信仰”ではない。自分の幸福をつくるのは自分自身である。ゆえに、どんな苦境にあっても、自分で立ち上がってみせるという”負けじ魂”こそ、幸福の根本条件である。(「波浪」の章、300ペー ジ)

広布は永遠の流れ

広宣流布は、大河に似た、永遠の流れである。幾十、幾百の支流が合流し、大河となるように、多様多彩な人材を必要とする。そして、いかに川幅を広げ、穏やかな流れの時代を迎えようとも、濁流と化すことなく、澄みきった清流でなければならない。(「若鷲」の章、368ページ)