新・人間革命 第21巻

小説「新・人間革命」に学ぶ

今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第21巻の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を紹介する。次回の「名場面編」は8日付、「御書編」は15日付、「解説編」は9日付の予定。

第21巻基礎資料

物語の時期
1975年(昭和50年)1月26日~5月29日

「SGI」の章

 1975年(昭和50年)1月26日、世界51カ国・地域のメンバーの代表158人がグアムに集い、第1回「世界平和会議」が開催された。グアムは第2次世界大戦で日米の攻防戦の舞台となった島である。山本伸一は、恩師・戸田城聖の「地球民族主義」の言葉を胸に、会場にあった参加者署名簿の国籍欄に「世界」と記す。会議では、国際平和団体「IBL」(国際仏教者連盟)が誕生。そして、創価の精神を根幹とした国際的機構としてSGI(創価学会インタナショナル)が結成され、全参加者の総意で、伸一がSGI会長に就任する。また、生命の尊厳に目覚めた民衆の連帯を築き、恒久平和の創出を誓った「平和宣言」が採択される。スピーチに立った伸一は、「全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」と呼びかける。会場には、伸一が育んできた各国のリーダーが集っていたが、韓国は、一つにまとまることができずに、代表の姿はなかった。しかし、韓国の同志は、幾多の試練を乗り越え、後に大発展を遂げることになる。

〈1975年(昭和50年)1月26日、グアムに世界51カ国・地域の代表が集い、第1回「世界平和会議」が開催された。席上、SGI(創価学会インタナショナル)が結成。山本伸一がSGI会長に就任した〉

全世界に妙法の平和の種を

会者の弾むような声が響いた。SGI会長となった伸一の初めてのスピーチである。大拍手と歓声が場内をつつんだ。「おめでとう。ありがとう!(中略)ある面から見れば、この会議は小さな会議であるかもしれない。また、各国の名もない代表の集まりかもしれません。しかし、幾百年後には今日続いて彼は、現在、世界は軍事、政治、経済という力の論理、利害の論理が優先されることによって平和が阻害され、常に緊張状態に置かれているのが実態であると指摘した。そして、こうした平和阻害の状況を打破し、人類を統合し、平和への千里の道を開く力こそ、高等宗教であると訴えた。伸一は、ここで「異体同心なれば万事を成じ」(御書1463ページ)の御文を拝し、生命尊厳の哲理を根本に、各国の民衆が団結して進んでいった時に、必ず永遠の平和が達成されると強調。(中略)伸一の言葉に熱がこもった。「ともかく地平線の彼方に、大聖人の仏法の太陽が、昇り始めました。皆さん方は、どうか、自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします。私は、ある時は同志の諸君の先頭にも立ち、ある時は側面から、ある時は陰で見守りながら、全精魂を込めて応援していくでありましょう」最後に、彼は力強く呼びかけた。「どうか勇気ある大聖人の弟子として、また、慈悲ある大聖人の弟子として、また、正義に燃えた情熱の大聖人の弟子として、それぞれの国のために、尊き人間のために、民衆のために、この一生を晴れ晴れと送ってください!」伸一の言葉が各国語に訳されると、場内に雷鳴のような拍手が起こった。(「SGI」の章、40~44ページ)

「人間外交」の章

1月28日に帰国した山本伸一は、ノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作元総理をはじめ、国内外の各界のリーダーや識者らと精力的に対話していく。また、執筆活動にも力を注ぎ、一般紙に「私の履歴書」の連載を開始し、訪ソの印象をまとめた『私のソビエト紀行』も発刊する。さらに、作家の井上靖や福田赳夫副総理とも会談を重ねる。3月16日には、中国青年代表団を聖教新聞社で歓迎。また、日中国交正常化後、初の正式な中国からの留学生を迎える創価大学の入寮式に駆けつける。4月14日、3度目の訪中へ。北京大学などを訪れ、鄧小平副総理と会談。難局を迎えていた日中平和友好条約の締結への見解をあらためて確認する。17日、カンボジアの首都プノンペンが民族統一戦線によって陥落する。翌18日、北京で、カンボジアのシアヌーク殿下と会見。平和への全精魂を注ぐ「人間外交」が展開されていく。19日には、創大1期生との出会いが縁となり交流する、呉月娥が教壇に立つ武漢大学での図書贈呈式に出席。21日、上海の復旦大学を訪問。誠意と信義の行動をもって、日中友好に尽力することを誓う。

〈連日、各界のリーダーや識者らと精力的に対話を重ね、深い友情を結んでいく山本伸一。彼の「人間外交」を目にした青年部の首脳幹部たちは、懇談の折、伸一に質問する〉

人間という共通項に立て

メンバーの一人が尋ねた。「近年、先生が会談されている要人の方は、さまざまな分野に及び、さらに、全世界に広がっております。また、イデオロギー的に見れば、社会主義の人も、自由主義の人もおりますし、宗教も全く異なっています。しかも、そういう方々が、先生とお会いになったあとは、先生を尊敬され、深い信頼を寄せられています。主義主張も、価値観も違う人びとと、共感し合い、友情で結ばれていくには、どういう心構えが必要でしょうか」伸一は、微笑みを浮かべて語り始めた。「いろいろ違いがあるというのは、当然のことじゃないか。違いというのは個性でもある。(中略)だから、差異は本来、認めることはもとより、尊敬し、学び合うべきものだ。まず、その視点をもつことだ。したがって、いかなる宗教の人であろうが、人間として尊重することが大前提だよ」(中略)青年と話す時、伸一の胸には、情熱が燃え盛った。(中略)「人には、さまざまな違いがある。多様である。しかし、その差異を超えた共通項がある。それは、皆がこの地球に住む、同じ人間であるということだ。そして、生老病死を見つめながら、誰もが幸福であることを願い、平和を望んで、懸命に生きているということだよ。その共通項に立てば、共有すべき“思想”に行き着くはずだ。それは、生命は尊厳なるものであり、誰にも生存の権利があるということだ。幸福になる権利があるということだ。だから、絶対に戦争を許してはならない。その生命の尊厳を裏付けているのが、一切衆生が、本来、仏であるという日蓮仏法の哲理だ」(中略)伸一の対話の目的は、この人間としての共通項を確認し合い、平和への共感の調べを奏でることにあった。国家、民族、宗教の違いを超えて、生命の尊厳を守る人間のスクラムを築き上げることにあった。 (「人間外交」の章、116~118ページ)

「共鳴音」の章

5月3日、山本伸一は会長就任15周年の式典に出席。「創価功労賞」等の授賞や会場提供者への表彰が行われる。その後、伸一は、男子部、学生部の代表の集いで、人材育成グループ「伸一会」を結成。5日の本部幹部会でも、参加者の隣で、学会歌を合唱し、渾身の激励を続ける。13日、仏・英・ソ連の訪問に出発。14日には、フランスのパリ大学ソルボンヌ校の総長と語り合う。15日、パリ会館での集いに臨み、16日、ローマクラブの創立者であるアウレリオ・ペッチェイ博士と会談する。伸一は欧州最高会議や友好祭などに出席する一方、陰で活躍する同志のグループを結成し、現地の中心的メンバーの家を訪問する。ロンドンに移動した伸一は、18日、市内で行われた代表者会でイギリスの理事長と再会。19日、トインビー博士に、対談集『21世紀への対話』(日本語版)と創大名誉教授称号の証書を届けるために、王立国際問題研究所を訪ねる。博士は病気療養中のため秘書に託し、再びフランスへ。作家のアンドレ・マルローや、美術史家ルネ・ユイグと会談し、魂の「共鳴音」を響かせる。 

〈山本伸一の会長就任15周年となる5月3日、記念の式典が開催。伸一の提案により、功績のある同志をたたえる「創価功労賞」などの授賞が行われた〉

一輪の花への感謝と誓い

伸一は、共に学会のため、広宣流布のために奮闘してくれた同志を賞讃し、顕彰していく流れを厳然とつくっておきたかったのである。(中略)  陰で黙々と広宣流布のために献身してきた苦労は、いつか必ず、大功徳となって花開く。仏法は生命の厳たる因果の法則であるからだ。伸一は「冥の照覧」という法理に則り、広宣流布に尽くし抜いてくれた同志を表彰することで、その敢闘を讃え、労をねぎらい、深い感謝の心を伝えたかったのである。(中略)第二代会長の戸田城聖も、広宣流布のために奮闘した弟子たちをいかに賞讃し、励ますか、常に心を砕いていた。(中略)折々に、句や和歌を作って、功績のあった弟子たちに贈っては、讃え、励ましてきた。(中略)かつて戸田城聖は、彼の事業が苦境に陥り、その再建のために夜学を断念した伸一に、万般の学問の個人教授を続けた。「戸田大学」である。伸一は懸命に学び、ことごとく吸収していった。ある講義が修了した時、戸田は、机の上にあった一輪の花を取って、伸一の胸に挿した。「この講義を修了した優等生への勲章だ。伸一は、本当によくやってくれているな。金時計でも授けたいが、何もない。すまんな……」広宣流布の大師匠からの真心の賞讃である。伸一は、その花こそ、世界中のいかなるものにも勝る、最高に栄誉ある勲章であると思った。感動を覚えた。自分は最大の幸福者であると感じた。伸一は、後年、世界各国から、多くの国家勲章を受けている。また、大学・学術機関からは、(中略)世界最多の名誉学術称号を受けることになる。彼は、その根本要因こそ、生命の因果の法則のうえから、師匠より賜った一輪の花に対する感謝と、ますますの精進を誓った「心」にこそあったと、深く、強く、確信しているのである。(「共鳴音」の章、229~232ページ)

「宝冠」の章

5月22日、フランスでの予定を終えた山本伸一は第2次訪ソへ。23日、ソ連対文連で、ポポワ議長らと語り合う。さらに、デミチェフ文化相と会談したあと、ショーロホフ生誕記念レセプションに出席。25日、レーニン臨終の地を訪れ、居合わせた子どもたちに声をかけ、交流する。伸一は26日も、連邦会議議長、モスクワ市長、海運相らと会見を続ける。夕方、婦人・女子部の代表とソ連婦人委員会を訪れ、世界初の女性宇宙飛行士である同委員会のテレシコワ議長らと会談を行う。27日、モスクワ大学から、伸一に知性の「宝冠」である「名誉博士号」が贈られる。これが、世界の大学・学術機関からの、最初の名誉学術称号となる。彼は、「東西文化交流の新しい道」と題して記念講演し、“人間の心と心を結ぶ「精神のシルクロード」を”と訴える。  翌28日、コスイギン首相と再会。中国への警戒を強くする首相に、訪中で周恩来総理、鄧小平副総理と会談したことを伝える。伸一は険悪化する中ソ関係を改善するため、自身が両者の懸け橋になろうと覚悟していたのである。

〈5月、モスクワ大学で、山本伸一に対する、名誉博士号の授与式が行われた〉

師に捧げる知性の宝冠

ホフロフ総長が立った。「わがモスクワ大学は、山本先生に対して名誉博士号を贈ることを決定いたしました。ただ今から、その授与式を行います。(中略)この名誉博士号の授与は、山本伸一氏の、教育活動、平和事業への多大な貢献に対するものであります」伸一への名誉博士号の授与は、モスクワ大学教授会の席上、同大学哲学部から提案があり、歴史学部と同大学付属アジア・アフリカ諸国大学の支持を得て、推挙され、教授会の決定をみたものであった。「山本先生は、優れた社会活動家、平和運動家であり、哲学者、そして数多くの著作をもつ作家として、よく知られています。会長は、それらの著作のなかで、現代の最も大事な問題として、人間関係の新しい価値観を提起しております」(中略)そして、総長は伸一に、名誉博士の学位記を手渡した。伸一にとって、世界の大学・学術機関からの第一号となる名誉学術称号が授けられたのである。意義深き「知性の宝冠」であった。(中略)ここで女子学生の代表から花束が贈られ、モスクワ大学卒業生の音楽家による弦楽器の優雅で荘重な調べが流れた。(中略)伸一は、演奏に耳を傾けながら、恩師・戸田城聖をしのび、心で語りかけた。“先生! 伸一は、ただ今、世界屈指の名門である、モスクワ大学の名誉博士号をお受けしました。これも、ひとえに戸田先生の薫陶の賜物でございます。私は、この栄誉を、弟子として先生に捧げさせていただきます。さらに、私の教育と平和の戦いを支えてくださっている、学会の全同志と共に、分かち合いたいと思います”伸一は、ただただ、戸田城聖の指導のままに、師の遺志を果たさんとして、世界の平和のために、全力で走り抜いてきた。その結果が、モスクワ大学からの名誉博士号の授与となったのである。伸一は、「創価の師弟道」のすばらしさを痛感していた。また、自分への授与によって、恩師の偉大さを示せることが何よりも嬉しかった。(「宝冠」の章、367~371ページ)

第21巻御書

御文

御文

一閻浮提いちえんぶだいに広宣流布せん事一定こといちじょうなるべし(御書816ページ、御講聞書おうこうききがき

通解

全世界に広宣流布することは、間違まちがいないことである。

小説の場面から

平和の太陽は昇った。世界広宣流布の新しき幕は上がった。一九七五年(昭和五十年)一月二十六日――。(中略)この日、世界五十一カ国・地域のメンバーの代表百五十八人がグアムの国際貿易センタービルに集い、第一回「世界平和会議」を開催。席上、世界各国のメンバーの団体からなる国際的機構として、SGI(創価学会インタナショナル)が結成されたのである。そして、全参加者の総意として懇請され、山本伸一がSGI会長に就任したのだ。「生命の世紀」へ、「平和の世紀」へ、歴史の歯車は、大きく回り始めたのである。世界の恒久平和を実現するには、一切衆生に尊極無上の「仏」の生命を見いだす仏法の生命尊厳の哲理を、万人万物を慈しむ慈悲の精神を、人びとの胸中に打ち立てなければならない。それが広宣流布である。(中略)

一人立つ勇者のスクラム

しかし、それは、ただ待っていればできるということではない。“この御本仏の御言葉を、虚妄にしてなるものか!”という弟子たちの必死の闘争があってこそ、広宣流布の大伸展はあるのだ。(中略)グアムに集った代表は、いずれも各国のリーダーであり、広宣流布をわが使命として立ち上がった闘士たちであった。創価の先駆者であった。その一人立った勇者たちが、スクラムを組み、SGIという世界を結ぶ平和の長城の建設に立ち上がったのである。(「SGI」の章、7~9ページ)

御文

魔競まきそはずは正法しょうほうと知るべからず(御書1087ページ、兄弟抄きょうだいしょう

通解

きそこらなかったならば、その法が正法であると考えてはならない。

小説の場面から

1975年(昭和50年)5月3日、山本伸一は、会長就任15周年を記念する式典でスピーチする〉「長い広宣流布の旅路にあっては、雨の日も、嵐の日もあるでしょう。戦いに勝つこともあれば、負けて悔し涙をのむこともあるでしょう。しかし、勝ったからといって、驕って、虚勢を張るようなことがあってはならないし、負けたからといって、卑屈になる必要もありません。何があろうが、堂々と、また、淡々と、朗らかに、共々に使命の道を進んでまいろうではありませんか!前進が加速すればするほど、風も強くなるのは道理であります。したがって、ますます発展しゆく創価学会に、さまざまな試練が待ち受けているのは当然であります。“まさか!”と思うような、予想外の大難も必ずあるでしょう。だからこそ、日蓮大聖人は『魔競はずは正法と知るべからず』と仰せなんです」

今まで以上に力を尽くす

 未来を予見するかのような言葉であった。「私は、いかなる事態になろうとも、情勢がどう変わろうとも、今までの十倍、二十倍、三十倍、五十倍と力を尽くし、皆さんを、創価学会を守り抜いてまいります。それが会長です。皆さんのために会長がいるのだと、私は心を定めております。何があろうとも、どんな困難に遭遇しようと、私は皆さんを守るために、一歩でも、二歩でも、前進するのだと決めて、力の限り戦います」 (「共鳴音」の章、235~236ページ)

手遅れにならないうちに

ここにフォーカス「共鳴音」の章に、山本伸一が、ローマクラブの創立者であるアウレリオ・ペッチェイ博士と語らう場面が描かれています。1972年(昭和47年)、ローマクラブは、資源の有限性を警告したリポート『成長の限界』を発表。それにより、ローマクラブの名は世界で知られるようになりました。ペッチェイ博士は、食糧不足や資源の枯渇、環境汚染など、人類が抱える危機を乗り越えるためには、人間自身のエゴの克服が必要と指摘し、「人間性革命」を提唱しました。その博士が、伸一との対談を通して、より根源的な「人間革命」の必要性を主張するようになります。両者の語らいは5度に及び、往復書簡も交えた内容は、対談集『21世紀への警鐘』(邦題)に結実。その最後は、ペッチェイ博士の次の言葉で締めくくられています。「人間革命こそが、新しい進路の選択と、人類の幸運の回復を可能にする積極的な行動の鍵なのであり、したがって、われわれは人間革命を推進すべく、力の及ぶかぎりあらゆる手を尽くさなければなりません――手遅れにならないうちに」社会は感染症の流行や気候変動に伴う大規模災害など、多くの困難に直面しています。自他共の幸福の実現を祈り、自身の人間革命に挑戦するのは、「今」なのです。

第21巻解説

紙面講座池田主任副会長


「SGI」の章では、SGI(創価学会インタナショナル)結成の淵源、その精神について、詳しく記されています。SGIが発足したのは、1975年(昭和50年)1月26日、米グアムでの「世界平和会議」の席上でした。当初、同会議では、国際平和団体である「IBL」(国際仏教者連盟)のみが発足する予定でした。IBLは、創価学会が世界に広がる中で、各国のメンバー同士が連携を取り、支え合うための国際機構で、運営を中心とした法人・団体等の互助組織でした。設立の準備に当たる中で、各国のリーダーたちは、大切なことに気付き始めます。それは、世界広布の伸展の上で、「誤りのない信心の指導が受けられる機構」(22ページ)が必要であり、「運営的な問題は、皆で話し合って進めていけばよいが、信心を学ぶには師匠が必要」(26ページ)ということです。各国のリーダーたちは、“学会精神を学ぶ機構の指揮を、山本会長に執ってほしい”との思いを強く抱くようになっていきます。伸一は熟慮を重ねた上で、SGI会長に就任する意思を固めました。まさに、SGIは、「人類の平和と幸福を担い立つ真の人材を育てようとする伸一の、ほとばしる思い。そして、仏法の師匠を求め抜く、世界の同志の一途な思い――その師弟の心の結合」(31ページ)によって誕生したのです。今、世界には“危機の嵐”が吹いています。困難な状況だからこそ、SGIの原点に立ち返り、師弟の心の結合をますます強める時です。「SGI――それは、世界を結ぶ異体同心の絆である。それは、世界平和の赫々たる光源である」(100ページ)との通り、世界の友とスクラム固く、前進してまいりたいと思います。

連載当時の状況

SGI発足直後の同年2月1日から一般紙で連載され、春に発刊されたのが『私の履歴書』です。池田先生の自伝がつづられ、「体験をもとにした平和への叫び」(121ページ)である同著は、大きな反響を呼びました。先生の歩みは、人類一人一人の人間革命を機軸とした恒久平和建設の歴史でした。SGIの出発となった「世界平和会議」で伸一は語っています。「ともかく地平線の彼方に、大聖人の仏法の太陽が、昇り始めました。皆さん方は、どうか、自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」(43ページ)当時、「世界平和会議」に集ったのは51カ国・地域でした。池田先生は自ら先頭に立ち、一貫して世界に友情を紡いでいかれました。その後、世界広布は大きく伸展し、第21巻の連載がスタートした2008年(平成20年)、一つの節を迎えます。SGIが世界190カ国・地域に広がる中で、池田先生が80歳を迎えられたのです。先生はかつて、「八十歳まで……世界広布の基盤完成なる哉」と随筆に書かれました。その通り、まさに世界広布の基盤完成をもって、80歳の佳節を刻まれました。前年9月から、「広布第2幕」の全国青年部幹部会が開催され、2008年の「3・16」には女子部の「池田華陽会」が結成されました。この時に連載された第21巻は、世界広布の基盤が完成した広布第2幕以降における重要な指針が示されています。それは、「われらの団結とは、縦には広宣流布の師匠と弟子との不二の結合である」(98ページ)、「常に求道心を燃やして、師匠を求めていくことが大事」(246ページ)とあるように、「師弟不二」の道を貫くことにほかなりません。小説『人間革命』第10巻では、「師弟不二」の峻厳なる道について、弟子が師匠の意図を五体に巡らせ、「自発能動の実践の姿をとる時、初めて師弟不二の道を、かろうじて全うすることができる」(130ページ)と記されています。師弟といっても、弟子の姿勢によって全てが決まります。池田門下が自発能動で進んでいく時、師が開かれた世界広布の足跡が光り輝くのです。

“善の連帯”築く対話

鄧小平副総理、シアヌーク殿下、ペッチェイ博士、世界初の女性宇宙飛行士・テレシコワ氏、コスイギン首相、佐藤栄作元総理――多忙な中にあって、どうして伸一は、世界のリーダーと有意義な語らいを進めることができたのか。その姿勢について、「人間外交」の章で、「対話には勇気と決断が大切である。まず、断じて語り合おうと心を定めて、懸命に時間をつくり出すのである」(136ページ)と強調されています。時間があるから、意義ある対話ができるというわけではありません。対話は自分の決意次第であり、「勇気」と「決断」こそが、その第一歩なのです。印象的なのは、伸一が「一人」と向き合った時の“励まし抜こう”との真心です。同章では、中国人留学生を創価大学に初めて受け入れた際、創立者として、身元保証人となる感動的なシーンが描かれます。“一人たりとも落胆させまい”と、留学生に対し、まるで家族のごとく接していきます。その姿に、教職員や学生は襟を正しました。「共鳴音」の章に、「励ましの対話によって、その心を開き、勇気と希望の光を送り、人間と人間の善の連帯をつくりあげていく」(253ページ)とつづられています。ここに、私たちの対話運動の目的もあります。現在、コロナ禍の「新しい日常」の中で、以前のように、積極的に会って励ましを送ることが難しい局面にあります。「創価学会のめざす広宣流布とは一次元から言えば、“励まし社会”の創出である」(同ページ)とある通り、こうした状況下で大切にしたいのは、直接会うという“方法”“手段”よりも、励まし社会を創り出そうとの一人一人の“強い決意”です。青年部は、オンラインの集いや激励を定着化させています。さらに、多宝会の友をはじめ、多くの同志が、“電話・手紙でも激励できる”と、「新しい激励」に挑戦してくださっております。過日の随筆(本紙7月7日付)で、池田先生は「我らの価値の創造に限界はない」と、励ましに徹する同志を最大にたたえられました。「暗から明へ、絶望から希望へ、敗北から勝利へ、いかにして一念を転換させるか――」(295ページ)。絶望を希望へと変えていくのが、私たちの励ましなのです。

名言集

時をつくる

今はどんなに大変で困難な状況であっても、黙々と広宣流布の種を蒔き続けていくならば、必ずいつか花は開く。いな、必ず、そうしていくのだと決意することだ。祈りに祈り、粘り強く時を待ち、時をつくるのだ。(「SGI」の章、53ページ)

勝利の姿

仲良く団結しているということは、それ自体、一人ひとりが自身に打ち勝った勝利の姿であるといえる。わがままで自分中心であれば、団結などできないからだ。(「SGI」の章、99ページ)

友情の苗

友情の苗は、その場限りの出会いでは育たない。水や肥料をやり、丹精して苗が育つように、誠実を尽くしてこそ、友情は育つのだ。(「人間外交」の章、156ページ)

祈りの根本

祈りの根本は、どこまでも広宣流布であり、広布のためにという一念から発する唱題に、無量無辺の功徳があるんです。(「共鳴音」の章、290ページ)人間主義

人間主義

人間的であることとは、人への感謝の心をもち、率直に、その気持ちを伝えることである。感謝なき人間主義もなければ、自身の思いを表現せぬ無表情の人間主義もない。(「宝冠」の章、372ページ)