新・人間革命 第16巻

小説「新・人間革命」に学ぶ

今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第16巻の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を紹介する。次回の「名場面編」は12日付、「御書編」は19日付、「解説編」は26日付の予定。

第16巻基礎資料

物語の時期
1972年(昭和47年)1月1日~10月

「友よ強く」

友よ強く雄々しく立てよ
僕が信ずる君が心を
苦しき仕事  深夜の勉強
これも修行ぞ  苦は楽し
君が信念  情熱を
仏は  じっとみていうるぞ

友よ負けるな希望を高く
僕が信ずる君が心を
努力  努力  また努力
あの日の誓い忘れるな
君の意気と若さとで
断じて進め  あくまでも

友よ負けるな希望を高く
僕が信ずる君が心を
努力  努力  また努力
あの日の誓い忘れるな
君の意気と若さとで
断じて進め  あくまでも

友よ忘るな微笑を
僕が信ずる君が心を
清らかに  夢みつつ
進みゆく君が心の美しさ
ああ  わが友よ強く
君が友よ

「入魂」の章

創価学会は、1972年(昭和47年)を「地域の年」と定め、立正安国を実現する基盤づくりに力を注いでいった。山本伸一は、今こそ、全同志の胸に、永遠に崩れぬ信心の柱を打ち立てねばならないと決意し、元日の新年勤行会、2日の全国大学総会に出席。また、最前線組織のを強化し、信心の歓喜をみなぎらせていこうと、ブロック長、ブロック担当員(現在の白ゆり長)との記念撮影等に全力を傾けていく。1月15日、東京・新宿区の記念撮影では、学会本部を擁する”本陣”の使命を語る。さらに、一緒に記念撮影した青年部を「一・一五グループ」とし、新成人のメンバーで「新宿成人会」を結成する。29日、祖国復帰を5月に控えたへ。3泊4日の訪問であったが、第一線で戦う友を励まし抜く。さらに彼は、東京の、荒川の友を激励し、の千代田の記念撮影では、集ったメンバーで「千代田七百五十人会」を結成。また、関東、関西などでも「入魂」を続ける。伸一の心に応えようと、各地で庶民の英雄が立ち上がっていく。

〈「地域の年」と定めた1972年(昭和47年)、山本伸一は、最前線のとの記念撮影会を各地で開催。1月、東京・新宿区の友との撮影会では、男子部に対し、青年の行き方を語った。〉

青春の苦闘こそ生涯の財産

(山本伸一=編集部注)は語った。「私が青年時代に決意したことのは、”広宣流布に生きようと決めた限りは、何があっても文句など言うまい”ということでした。建設的な意見は大事だが、文句や愚痴は、いくら言っても前進はありません。(中略)また、それは、自分の情けさな、卑屈さ、無力さを吹聴しているようなものであり、自らの価値を、人格を、下落させることになる。しかも、文句や愚痴は周囲を暗くさせ、皆のやる気までも奪い、前進の活力を奪ってしまう。だから、福運も、功徳消すことになる。『賢者はよろこび愚者は退く』(御書一○九一ページ)です。私たちは、何事も莞爾として受け止め、さわやかに、勇んで行動していこうではありませんか」皆が笑顔で頷いた。(中略)「君たちのなかには、日の当たらないアパートの、小さいな部屋に住んでいる人もいるでしょう。私も、青年時代は、同じような暮らしでした。戸田先生の事業は行き詰まり、学会は存亡の危機に瀕していた時代でした。へとへとになって部屋に帰っても、寒くて寒くて、しかも、食べる物も何もない。一杯のお茶さえない。しかし、私は、毅然として、阿修羅のごとく、戸田先生のもとで戦いました。日々、血を吐くような思いで、また、泣くような思いで、働きに働き、戦いに戦い、自分の限界に挑んだんです。”今日も必ず勝!””明日も断じて勝ってみせる!”と、一日一日、確実に勝利を打ち立てていきました。それが私の、生涯にわたる財産となりました」(中略)「青年時代は短い。一瞬です。逃げているうちに終わってしまう。勇気をもって、広宣流布に、学会活動に、自分を投じ切ることです!」「はい!」凛とした、決意のこもった返事がこだました。(「入魂」の章、42~45ページ)

〈1月末、山本伸一は沖縄を訪問。名護会館の建設用地で記念撮影が行われた折、名嘉勝代という目の不自由な女子部員が琴を演奏。彼女は3年前に、名護の浜辺で、伸一に激励されたメンバーであった〉

最高の幸福を心から確信

女は、その時伸一の指導を、片時も忘れることはなかった。「私は断言しておきます。信心を貫いていくならば、絶対に幸せになれます。悲しいことが続くと、”自分は不幸なんだ””自分は弱いんだ”と決め、自ら希望の光を消してしまう人もいる。しかし、その心こそが自分を不幸にしてしまうんです。(中略)”信心の眼”を、”心の眼”を開いて、強く生き抜いていくんです。あなたかそうなれば、みんなが希望を、勇気を感じます。あなたは、必ず多くの人の、人生の灯台になっていくんですよ」彼女の胸に、この時、希望の太陽が昇った。(中略)人間は、広宣流布の使命を自覚することによって、自らが「地涌の菩薩」であるとができる。また、自身の絶対的幸福を約束する「仏」の生命が具わっていると確信することができるのだ。それは、自分のもっている最高の幸福に気づくことといってよい。彼女は、この日、家に帰って唱題しながら、しみじみと自分の幸せをかみしていた。”私は、目は見えない。しかし、それによって、御本尊に巡り合うことができた。また、私には、広宣流布のために仏法を語り、唱題する口がある。歩き回ることのできる足がある・・・。なんと幸せなのだろう”(中略)名嘉は、感謝の思いで唱題しながら、”広宣流布の役に立てる自分になろう”と、固く心に誓った。(中略)名護会館の建設用地で、名嘉は今、無我夢中で琴をつま弾いていた。演奏が終わった時、真っ先に拍手を送ったのは山本伸一であった。彼女の耳には、伸一の叩く手の音が、強く、強く、響いた。”先生ありがとうございます!”名嘉は心で叫んだ。(中略)後年(一九九九年)、彼女は、沖縄県指定の無形文化財「沖縄伝統音楽箏曲」の保持者に認定されることになる。名嘉は、誓いを果たした。彼女は勝ったのだ。(「入魂」の章、95~98ページ)

「対話」の章

1972年(昭和47年)4月、山本伸一は欧米訪問へ旅立つ。この旅の最大の目的は、20世紀を代表するイギリスの歴史学者トインビー博士との対談であった。69年(同44年)秋、博士から伸一に対談を要請する手紙が届く。人類が直面している諸問題を解決する方途を求め、博士は創価学会に注目。伸一をロンドンへと招待したのだ。72年5月、伸一はパリ本部の開館式等に臨み、5日、トインビー博士の自宅を訪ねる。偉大な碩学と、若き仏法指導者の対談が始まった。世代も文化的な背景も異なるが、人類の未来を憂える二人の心は共鳴した。生命論、歴史論、芸術論等々、談論は尽きず、博士の強い希望で、翌年5月、伸一は再びロンドンへ。2年越し40時間に及ぶ、この語らいは、その後、対談集『二十一世紀への対話』(邦題)として結実する。博士は伸一に、対話こそ人類を結ぶものであり、”世界に対話の旋風を”と望んだ。以来、伸一は、世界の知性や指導者をはじめ、「世界との対話」を広げていく。を隔てるあらゆる障壁を超え、心を結び、世界を結んでいくのであった。

〈1972年5月、山本伸一は歴史学者トインビー博士の強い要請を受け、博士の自宅で、多義にわたるを行った。翌年5月にも再び博士宅を訪問。最終日、伸一は博士に、自身へのアドバイスを求めた。〉

「創大祭は私の命なんです」

士は、伸一の顔をじっと見つめ、静かに口を開いた。(中略)「私は学問の世界の人間です。しかし、あなたは極めて重要な組織の責任ある指導者であり、仏法のとして行動されている。”行動の人”に対して、”机上の学者”がアドバイスするなど、おこがましいことです」伸一は恐縮した。その謙虚さに胸を打たれた。博士は、さらに話を続けた。「したがって、私に言えることは、これだけしかありません。ーーミスター・ヤマモトと私とは、人間がいかに生きるべきか、見解が一致した。あとは、あなたが主張された中道こそ、今後、あなたが歩むべき道なのです」(中略)伸一は、博士に言った。(中略)「私は、トインビー先生の生徒として、何点くらいとれたでしょうか」博士は微笑を浮かべ、目を細めて語り始めた。「イギリスの大学では、成績はギリシャ語の『A』、『B』、『Γ』で評価することができます」ここで、咳払いをし、伸一の成績を発表した。「私は、ミスター・ヤマモトに最優等の『A』を差し上げます」(中略)「過分な評価をいただき、大変にありがとうございます。(中略)トインビー先生から、『A』をいただいたかぎりは、人類を不幸にすると、勇敢に戦い抜いてまいrます」博士は、嬉しそうに頷きながら語った。「オー、イエス・・・。人類の未来を開くために戦ってください。あなたの平和への献身を、やがて、世界は最大に評価するでしょう。私は、母校のオックスフォード大学をはじめ、幾つかの大学から、名誉称号を贈られています。トインビー大学の再優等生であるあなたは、必ず将来、私以上に世界中から名誉称号を贈られるでしょう」(「対話」の章、213~215ページ)

「羽ばたき」の章

欧米訪問から帰国した山本伸一は、6月には、関西・四国・北海道へ。7月、豪雨で大きな被害が出ていた東北へ向かう。9日、仙台に到着した伸一は、被害が最も大きい秋田での記念撮影会を中止し、迅速に被災地域への激励の手を打つ。10日には山形を訪問し、記念撮影会に出席。さらに、翌11日には、秋田へ。同志の心に、苦難に負けない勇気の新風を送っていく。また、中国地方をはじめ、各地に救援本部が置かれる。自らも被災しながら、救援に奮闘する学会員の姿に、感謝と信頼が広がっていった。10月、総本山に伸一が、発願主となって建立寄進した、ご遺命の戒壇となる正本堂が。民衆が人類の平和と繁栄を祈る、大殿堂である。世界の同志が集い、盛大な式典が挙行された。しかし、1998年(平成10年)、創価の師弟の分断を企てた”法主”の日顕によって、正本堂は解体。それは、宗門による、800万信徒の赤誠を踏みにじる暴挙であった。学会は、暴虐の嵐を勝ち超え、人間主義の世界宗教として、21世紀の大空へ羽ばたいていく。

〈「昭和四十七年七月豪雨」と呼ばれる大雨が各地で大きな被害を出した。秋田では山本伸一との記念撮影会が中止に。伸一は災害対策の手を打ちながら、7月11日、秋田を訪問し、激励。懇談の場を設けた〉

「今しかない」との思いで

る青年が質問した。「今回、水害で秋田の記念撮影会が中止になりました。これは、やはり、私たちの信心の姿勢に、何か問題があるのでしょうか」秋田の同志は、記念撮影に向けて、皆で真剣に晴天を祈っていた。しかし、大雨になってしまっただけに、何か釈然としないものを感じていたのである。伸一は言下に答えた。「天候は自然現象ですから、大雨が降ることもあります。どんなに信心強盛な人でも、台風にも遭えば、冬の秋田なら、大雪にも遭うでしょう。それを、いちいち信心に結び付け、くよくよ悩む必要はありません」仏法は、希望の哲学である。勇気の源泉であるーー伸一は、まず、そのことを訴えておきたかったのである。「もちろん、『一身一念法界に遍し』(御書二四七ページ)ですから、祈りは大宇宙に通じます。しかし、大雨になったという結果にとらわれ、力が出せないのでは、信心の意味はありません。現当二世の信心です。未来に向かい、わが地域を必ず常寂光土にしてみせると決意し、勇気を奮い起こして、力強く前進していくことが大事です」(中略)「すべて前進の活力に変え、希望につなげていくのが仏法なんです。たとえば、水害で記念撮影会ができなかったら、”よし、この次は、必ず大成功させるぞ”と新しい気持ちでスタートすればよい。また、災害に遭ったならば、”さあ、今が正念場だ。負けるものが。変毒為薬するぞ!信心の真価を発揮するそ!”と、へこたれずに、勇んで挑戦を開始することです。どんな時も、未来へ、未来へと、を燃やし、力強く前進していくならば、それ自体が人生の勝利なんです。信心の証明なんです」(「羽ばたき」の章、253~355ページ)

第16巻御書

御文

御文

たとえば鎌倉かまくらよりきょう へは十二日の道なり、それを十一日あまあゆみ をはこびていま一日に りて歩をさしをきてはなんとしてみやこの月をばなが そうろうべき(御書1440ページ、新池にいけ御書)

通解

たとえば、鎌倉からきょうまでは12日の道のりである。それを11日あま り歩いて、あと1日となった時に歩くのをやめたのでは、どうしてみやこの月をえい ずることができようか。

小説の場面から

〈1972年(昭和47年)1月、沖縄のコザ市(現・沖縄市)での記念撮影会で、は高齢の婦人を激励する〉「信心には、”卒業”もなければ、”定年”もありません。生きるということは、戦うということなんです」彼(山本伸一=編集部注)は、高齢でありながら、健気に信心に取り組む沖縄の同志たちの姿に、自らも、ますます闘魂が燃え盛るのを感じた。「年齢を重ねられた方の力は大きい。人生経験を重ねられた分、生き方の根本的な知恵をお持ちです。また、人脈や人間関係も広い。その方々が広宣流布のために、本気になって頑張るならば、若い人たちの、何倍もの力が発揮できます」(中略)伸一は、合掌する思いで語った。(中略)

命ある限り広布に戦う

「牧口先生は、高齢の身で、牢獄にあっても続け、仏法の正義を叫び抜かれました。私も、牧口先生のように、七十になろうが、八十になろうが、命ある限り、動きに動きます。語りに語ります。書きに書き、叫びに叫びます。足腰が立たなくなっても、正義を書きつづる手があります。手が動なくなっても、仏法を語る口があります。また、御本尊を見つめ、御書を拝する目があります。命の尽きる瞬間まで、這ってでも、戦って、戦って、戦い抜いていきます。私は、その決意です。見ていてください。そこに、仏道が、わが人生の完勝があるからです」(「入魂」の章、70~72ページ)

御文

桜梅桃李おうばいとうり己己ここ当体とうたい あらためずして無作三身むささんじん開見かいけん すれば・・・(御書784ページ、御義口伝おんぎくでん

通解

桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李と、おのおのの当体とうたいあらためす、そのままの姿すがた 無作三身むささんじんと開きあらわしていくのである。

小説の場面から

〈1972年(昭和47年)1月2日、第1回全国大学会総会が行われた。山本伸一は集ってきた学生部員に声を掛け、励ましを送る〉「ところで、君は、優しそうだが、自分の気の弱さを悩んでいるんじゃないのかい」「はい」と、か細い声が返ってきた。「”優しさ”と”気の弱さ”は、一つの性分のあらわれ方の違いといえるだろうね。性分が”優しさ”として生かされれば長所となるし、”気の弱さ”となってあらわれれば短所となってしまう。そして、性分が常に短所となって作用すれば、しれが不幸の原因にもなる」(中略)

自分を最大限に輝かせる

「そういう性格や性分といったものも、信心で変えられるんですか」「人間の性分自体は変わらないが、信心によって、自分の性分を良い方向に生かしていくことができる。(中略)桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李と、それぞれがありのままの姿で、自分を最大限に生かしながら、幸福になる道を説いているのが仏法なんです。すぐにカッとなる人というのは、情熱的で、正義感が強いということです。信心に励めば、つまらぬことでカッとなるのではなく、悪や不正を許さぬ正義の人になる。また、誰かの言いなりになってしまう人というのは、優しいさや人と調和する力が引き出されていくんです。そうなっていくことが人間革命なんです」 (「入魂」の章16~18ページ)

対話の醍醐味

ここにフォーカス英国の歴史学者トインビー博士の著書『歴史の研究』は、世界から注目を集めました。その最大の特徴は、「民族」や「国家」を単位とした従来の歴史学の枠組みを超えて、「文明」という単位で歴史を捉えた点にあります。「20世紀最大の歴史家」と評されるのも、その独創的な研究のゆえです。「対話」の章には、博士と山本伸一の対談の模様がつづられています。2人の語らいは、2年越し40時間に及びました。1度目の対談の最後、博士は伸一にこう語ります。「私はあなたと対話すると、啓発されます」「この対談で、自分の学問お整理が可能になりました」「西洋の歴史家」と「東洋の仏法者」の交わりは、新たな”知の創造”をもたらしたのです。相手に触発を受け、新しい発想、発見が生まれてくる。その気付きが、自身を新たなステージへと導くーーここに、「対談の醍醐味」があります。博士は、究極において歴史をつくるのは、「新聞の見出しとして好個の材料となるような事柄」ではなく、「水底のゆるやかな動き」と論じています。一人の人間の変革を促し、社会の繁栄を目指す私たちの対話は、”新聞の見出しとなる事柄”ではないでしょう。しかし、それは平和の底流をつくる”水底の動き”なのです。

第16巻解説

紙面講座池田主任副会長


今月の11日、恩師・戸田城聖先生の120周年を迎えました。「恩師の誕生日二十周年」と題する池田先生の随筆(本紙7日付)に、「恩師と同世代の巨人たちが最晩年、揃って未来へ希望を託してくださったのが、わが創価学会であり、SGIなのである」とあります。池田先生は、恩師と同世代の知性と、幾つもの対談集を編んでいます。ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁との『21世紀の人権を語る』、フランスの美術史家ユイグ氏との『闇は暁を求めて』、ノーベル化学賞と平和賞を受賞したポーリング博士との『「生命の世紀」への探求』などです。池田先生の壮大な対話旅の先駆けとなったのが、「20世紀最大の歴史家」といわれるトインビー博士とのでした。対談集『20世紀への対話』が発刊されて、来月で45周年の佳節です。「対話」の章では、博士と山本伸一との対談の模様が描かれています。博士は戸田先生よりも10歳ほど年上であり、伸一とは親心ほどの年の開きがあり、伸一は、「あえて博士が、二十一世紀への精神的な遺産を残すために、若い自分を対談相手として選んだ」(140ページ)と感じ、博士からの対談の要請に応えました。伸一には、20世紀の残された約30年のうちに、確かな平和への道標を示すためには、「さまざまな英知を結集する必要」(139ページ)があり、「優れた知性との語らい、触発が不可欠」(同ページ)との思いがあったのです。対談のテーマは多岐にわたり、宗教の役割についても論じられました。博士は、「人類の生存に対する現代の脅威は、一人ひとりの心のなかの革命的な変革によってのみ、取り除くことができる」(196ページ)と、学会の人間革命運動に大きな期待を託します。また、博士は著書『一歴史家の宗教観』で、キリスト教が広く流布されるに至った要因として、「誰よりも大衆のために尽くした」(198ページ)ことを挙げ、「草創の時代に、こうした堅固な基盤をつくり上げたがゆえに、やがてキリスト教は、一気に広まった。(同ページ)と述べています。今日の学会の世界的な広がりも、草創期に、“貧乏人と病人の集まり“と揶揄されてきた中で、の蘇生のドラマをつづってきたことを、何よりの誉れとしてきた歴史が基盤となっています。「民衆に尽くす」ことは、学会を貫く不動の信念です。いかに時代が変わろうとも、その原点を決して忘れてはなりません。

常に同志を思う

1972年(昭和47年)という年は、「広宣流布の未来への壮大な流れを決することになる、極めて重要な一年」(8ページ)でした。ゆえに、伸一は励ましに全力を注ぎます。「入魂」の章には、数々の激励の場面が綴られています。1月2日の大学会総会では、参加者の多くが21世紀を50代で迎えることに思いを巡らせ、「二十世紀を頼むよ。その時こそ、勝負だよ」(32ページ)と広布の未来を託します。また、新宿の同志との記念撮影会では、13回にわたって撮影が行われ、その合間に、婦人・壮年・青年部に励ましを送ります。新成人のメンバーには、「何があっても学会から、信心から、決して離れないことです。そこにしか、本当の幸福の道はないからです」(48ページ)と訴えます。彼は常に、「どうすれば、皆が、元気になるのか。信頼の柱となる力あるリーダーに成長できるのか。何があっても退転することなく、幸福への道を歩み抜けるのか」(108ページ)と考えていました。その根本の精神こそ、「伸一の胸には、常に戸田の声が響いていた」(13ページ)という「師弟不二」です。「心に『師匠』という規範をもつ人は、自身の弱さに打ち勝つことができる」(同ページ)のです。1月の沖縄訪問の折、伸一は「広宣流布の師弟の道を行く人には、行き詰まりがありません。師匠と心が一つにとけ合った時、無限の力が湧くというのが、私の人生の結論なんです」(57ページ)と語っています。彼が全精魂を注いで、一人一人の魂に刻もうとしたのは、「師弟」の精神にほかなりません。私たちは、師匠と心を合わせ、「日々、己心の先生と対談しながら」(56ページ)前進していきたいと思います。

無量無辺の功徳

「羽ばたき」の章には、72年10月に建立した正本堂の歴史が記されています。その完成をもって、学会は「広布第2章」の開幕を迎えました。正本堂建立発願式の折、伸一は「発誓願文」を、「日々、月々、年々に、更に折伏行に断固邁進せんことを堅く誓うのみ」(296ページ)との広布への誓願で結んでいます。また、完工式では、正本堂について、「民衆のための施設であり、宗教的権威を象徴する建物ではない」(311ページ)と訴え、「人類の生命の尊厳を祈る民衆の宗教殿堂である」(312ページ)と語っています。つまり、正本堂は「民衆のために」存在し、建立の根本目的は、どこまでも「広宣流布」にあります。正本堂はたった26年で、日顕によって解体されました。それは、800万信徒の赤誠を踏みにじる暴挙以外の何物でもありません。正本堂という建物はなくなりました。しかし、その建立のために真心を尽くした、学会員の「功徳、福運は無量無辺であり、永遠に消えることはない」(356ページ)のです。世界宗教として飛翔する今日の学会発展の姿こそが、その証明にほかなりません。2013年11月、広宣流布大誓堂の碑文には、「我ら民衆が世界の立正安国を深く祈念し、いかなる三障四魔も恐るることなく、自他共の人間革命の勝利へ出発せる師弟誓願の大殿堂なり」とあります。大誓堂の建立の目的は、世界の平和と自他共の幸福と安穏を祈り、広宣流布を誓うことです。ここに、誓願勤行会の意義もあります。大誓堂の落慶記念勤行会のメッセージで、池田先生は「『広宣流布の大願』と『仏界の生命』とは一体です。だからこそーーこの誓いに生き抜く時、人は最も尊く、最も強く、最も大きくなれる」と述べられました。いかなる時代になろうとも、師と共に、学会と共に、同志と共にーーこの誓いに生きることほど、歓喜と誉れに満ちた人生はないのです。

名言集

功徳を受ける人

一人の友が立ち上がる時、最も歓喜し、大きな功徳を受けるのは、その人を思い、その人のために祈り、何度も足を運んでは、励まし続けた人である。(「入魂」の章、21ページ)

必ず意味がある

いっさいをよい方向に考え、さらに前へ、前へと、進んでいくことが大事です。時には、祈っても、思い通りにならない場合もあるかもしれない。でも、それは、必ず何か意味があるんです。最終的には、それでよかったのだと、心の底から、納得できるものなんです(「入魂」の章38ページ)

創価学会の宝

創価学会が世界に誇る最高の宝は何か。婦人部です。これほど、清らかで強く、民衆の幸福のために働く、正義の集いはありません。(「入魂」の章、69ページ)

人の振る舞い

教義は、人格、行動をもって表現される。日蓮仏法の、国境を超えた、世界宗教としての今日の広がりは、「人の振る舞い」によるところが大きいとえいよう。(「対話」の章、155ペー ジ)

小事の集積

大事業とは、どんな小さな事柄も疎かにせずに、一つ一つ検証し、確認することによって初めてなされる、完璧な小事の集積である。(「羽ばたき」の章、301ページ)