新・人間革命 第1巻

小説「新・人間革命」に学ぶ

新連載「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」では、『新・人間革命』研鑽の参考資料や解説記事を掲載する。今回は第一巻の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を確認する。本連載は月4回、原則、水曜日に掲載。1ヶ月で1巻分を紹介する。「名場面編」は17日付。「御書編」は24日付、「解説編」は31日付の予定。

第1巻

<基礎資料編>

物語の場面 1960年10月2日~25日

「旭日」の章

第三代会長就任からわずか5ヶ月後の1960年10月2日、山本伸一は、「君の本当の舞台は世界だよ」との恩師・戸田城聖の言葉を胸に、初の海外歴訪へ出発。その記念すべき第一歩を、ハワイにしるした。しかし、連絡の手違いから、ホノルルの空港には、通訳と案内をするメンバーの姿はなく、一人の青年があいさつにきていただけだった。明くる日、一行は国立太平洋記念墓地とパール・ハーバー(真珠湾)を訪れる。伸一は、「太平洋戦争の開戦の島であり、人種の坩堝ともいうべきハワイこそ、世界に先駆けて、人類の平和の縮図の地としなければならない」と深く決意する。出席した座談会では、言語や習慣の異なる異国での生活に苦労する日系人メンバーを温かく励まし、勇気づけていく。また、海外初の「地区」を結成。座談会を終えた後も、宿泊しているホテルで、地区部長となった壮年に渾身の励ましを送り、ハワイ広布への大きな布石を打つ。ハワイ滞在は、わずか三十数時間であった。だが、メンバー一人一人への激励を重ね、世界広布の第一ページを開いた。

<名場面編>

皆の幸せのため

ヒロト・ヒラタは、瞳かせ、真剣に耳を傾けていた。伸一は、確かな手応えを感じながら、幹部としての信心の姿勢を話していった。海には、丸い月がのほ白い影を映し、浜辺には、波の音が静かに響いていた。「これからの人生は、地区部長として、わたしとともに、みんなの幸せのために生きてくだい。社会の人は、自分や家族の幸せを考えて生きるだけ精いっぱいです。そのなかで、自ら多くの悩みを抱えながら、とものため、法のため、広布のために生きることは、確かに大変なことといえます。しかし、実は、みんなのために悩み、祈り、戦っていること自体が、既に自分の境涯を乗り越え、偉大なる人間革命の突破口を開いている証拠なんです。また、組織というのは、中心者の一念で、どのようにも変わっていきます。常にみんなのために戦うリーダーには、人は付いてきます。しかし、目的が自分の名聞名利であれば、いつか人びとはその本質を見抜き、付いてこなくなります」ヒラタには、乾いた砂が水を吸い込むような、純粋な求道の息吹があった。伸一は、彼の手を握りながら言った。「あなたを地区部長に任命したのは私です。あなたが敗れれば、私が敗れたことです。責任は、すべて私が取ります。力の限り、存分に戦ってください。「はい!戦います!」ヒラタは伸一の手を固く握り返した。月明かりのなかで二人の目と目が光った。(「旭日」の章、76~77ページ)

<基礎資料編>

「新世界」の章

平和旅の第2の訪問地サンフランシスコは、日本と連合国との講和条約と日米安全保障条約の調印の地である。伸一は、対立する東西両陣営と新安保条約を巡って紛糾した日本の状況に思いをはせる。サンフランシスコでも地区を結成した伸一は、ネバタ州から来ていた夫婦と語り合い、ネバタにも地区を結成することを発表。アメリカ人の夫を地区部長に任命した。日系人以外の初の地区部長の誕生だった。また、座談会で伸一は、アメリカ広布を担っていくために、「アメリカの市民権を取得し、良き市民に」「自動車の運転免許を取ること」「英語のマスター」という三つの指針を提案。それは、アメリカの同志の誓いの3指針となっていく。さらに彼は、ミューア・ウッズ国定公園に向かう道中、ゴールデン・ゲート・ブリッジ(金門橋)の構造を通して、同行していた新任のリーダーに、異体同心の団結の重要性を訴える。公園からの帰途、コロンブス像の前で代表のメンバーと記念撮影するとともに、広布の新世界開拓の誓いを固くする。

<名場面編>

異体同心の団結

市街を抜け、サンフランシスコ湾を右手に見ながら進んでいくと、湾を右手に見ながら進んでいくと、行く手にゴールデン・ゲート・ブリッジ(金門橋)の赤い鉄柱が見えた。それは、近づくにつれて、頭上にのしかかってくるかのようにそびえ立っていた。一行は、橋の近くの広場で車を降り、休憩することにした。広場には、橋を吊り上げているケーブルの一部が展示されていた。その直径は九十二・四センチメートルで、二万七千五百七十二本のワイヤーを束ねて作ったものだという。一行は、展示されたケーブルを、取り囲むようにして立った。「ケーブルは太いけれど、中の一本一本のワイヤは意外に細いものなのね。これで、よくあの橋を吊り上げることができるわね」清原かつが、驚きの声をあげた。伸一は清原の言葉に頷きながら、前日、地区部長と地区担当員に任命になったユキコ・ギルモアとチョコ・テーラーに向かって語り始めた。「確かに、一本一本は決して太いものではない。しかし、それが、束ねられると、大変に大きな力を発揮する。これは異体同心の団結の姿だよ。学会も、一人ひとりは小さな力であっても、力を合わせて、結束していけば、考えられないような力を出せる。団結は力だ。これからは、あなたたちが中心になって、みんなで力を合わせ、サンフランシスコの人びとの幸せと広布を支えていくことです」「はい」二人が同時に答えた。彼女たちは、自分たちが途方もなく大きな、崇高な指名を担っていることを強く感じ、身の引き締まる思いがした。(「新世界」の章、134~135ページ)

<基礎資料編>

「錦州」の章

舞台はシアトル、シカゴ、そして、紅葉のカナダ・トロントへ。シアトルのホテルに、大型のテープレコーダーを抱えた婦人が息を切らせて訪ねてくる。自分の地域のメンバーに伸一の指導を聞かせたいという熱意からの行動だった。伸一は体調を崩しながらも、出会った一人一人に励ましを送る。シカゴの空港では、学会歌「威風堂々の歌」の合唱の出迎えを受ける。伸一は同行の幹部たちにアメリカ総支部の構想、インド、ヨーロッパ訪問の計画を語る。リンカーン・パークで遊びの輪に入れてもらえない”黒人”の少年を目にした伸一は、人種差別の現実に心を痛め、万人の尊厳と平等を説く仏法流布の意義をかみ締める。一方、座談会には、さまざまな人種の人たちが和気あいあいと集い合っていた。続いて、カナダのトロントへ。在住する会員はいないと一行は聞いていたが、空港に到着すると、一人の婦人が待っていた。彼女は、日本で入会していた母らか、迎えに行くよう言われていた。誠実で思いやりにあふれる伸一の振る舞いに接し、後に彼女は信心を始める。

<名場面編>

会長就任「五月三日」の夜

伸一は、第三代会長として、一閻浮提広布への旅立ちをした、この年(一九六O年=編集部注)の五月三日の夜、妻峯子は食事のしたをして待っていた。普段と変わらぬ質素な食事であった。「今日は、会長就任のお祝いのお赤飯かと思ったら、いつもと同じだね」伸一が言うと、峯子は笑みを浮かべながらも、キッパリとした口調口調で語った。「今日から、わが家には主人はいなくなった思っています。今日は山本家のお葬式ですから、お赤飯は炊いておりません」「確かにそうだね・・・」伸一も微笑んだ。妻の健気な言葉を聞き、彼は一瞬、不憫に思ったが、その気概嬉しかった。それが、どれほど彼を勇気づけたか計り知れない。これからは子どもたちと遊んでやることも、一家の団欒も、ほとんどないにちがいない。妻にとっては、だが、峯子は、決然として、広宣流布に生涯を捧げた会長・山本伸一の妻としての決意を披瀝して見せたのである。伸一は、人並みの幸福など欲しなかった。ある意味で広布の犠牲となることを、喜んで選んだのである。ありがたかった(「錦秋」の章、156~158ページ)

<基礎資料編>

「慈光」の章

次の訪問地は、アメリカ最大の都市ニューヨーク。一行は国連本部を訪れる。伸一は、独立まもないアフリカ諸国代表の生き生きとした姿に触れ、「二十世紀は、必ずアフリカの世紀になるよ。その若木の成長を、世界はあらゆる面から支援していくべきだ」と訴える。彼は、ニューヨークでも、苦悩に沈む友に、「一番、不幸に泣いた人こそ、最も幸福になる権利があります」と烈々たる気迫で指導。また、首都ワシントンでの座談会では、メンバーの質問に答えながら、仏法のヒューマニズムの精神に言及する。さらに、ニューヨーク・タイムズ社の見学に行く秋月英介に、聖教新聞を「世界一流の新聞に」と語り、恩師・戸田城聖の「日本中、世界中の人に読ませたい」との言葉を伝える。そして、聖教は”人間の機関紙”であり、「『世界の良心』『世界の良識』と言われるような新聞にしなくてはならない」との思いを述べ、未来への展望を披瀝する。一方で、伸一の体調は悪化していく。ブラジル行きの中止を懇請する副理事長の十条潔に、戸田の弟子として断じて行くとの覚悟を語る。

<名場面編>

師弟貫く不屈の闘魂

伸一は、背広のポケットにしまった恩師・戸田城聖の写真を取り出すと、ベッドで体を休めながら、その写真をじっと見つめた。彼の頭には、戸田の逝去の五か月前の十一月十九日のことが、まざまざと蘇った。それは恩師が病に倒れる前日であった。伸一はその日、広島に赴こうとする戸田を、叱責を覚悟で止めようとした。恩師の衰弱は極限に達して、体はめっきりとやつれていた。更に無理を重ねれば、命にかかわることは明らかだった。学会本部の応接室のソファに横になっているうううううう戸田に向かい、彼は、床に座って頭を下げた。「先生、広島行きは、この際、中止なさってください。お願いいたします。どうか、しばらくの間、ご休憩なさってください。」彼は、必死で懇願した。しかし、戸田は毅然として言った。「そんなことができるものか。・・・そじゃないか。仏のお使いとして、一度、決めたことがやめられるか。俺は、死んでも行くぞ。伸一、それがまことの信心ではないか。何を勘違いしているのだ!」その烈々たる師の声は、今も耳に響いていた。”あの叫びこそ、戸田先生が身をもって私に教えてくれた、広宣流布の大指導者の生き方であった。”ブラジルは、日本とはちょうど地球の反対にあり、最も遠く離れた国である。そこで、多くの同志が待っていることを考えると、伸一は、なんとしても行かねばならないと思った。そして、皆を励まし、命ある限り戦おうと心を定めた。胸中には、戸田の弟子としての闘魂が燃え盛っていた。(「慈光」の章、265~268ページ)

<基礎資料編>

「開拓者」の章

ニューヨークからサンパウロへの移動の折、伸一は機内で十条に対し、ブラジルに支部を結成する構想を述べる。最悪な体調にもかかわらず、激しく揺れる機内でブラジル広布に思いを巡らしていた、伸一の世界広布への強き一念に、十条は驚く。サンパウロの空港に到着したのは、午前1時半過ぎであった。出迎えに来ていた友の半数以上が、日本から移住し、農業に従事していた男性だった。伸一はメンバーの真心に感謝し、ブラジル広布の夜明けを開くことを誓う。次の日、現地の視察に出かけ、夕刻には勤行会を開催。その後も、ホテルで深夜まで支部結成の打ち合わせを行い、寝る時間を惜しんで日本の同志に激励の手紙を書く。座談会では、日系移住者の過酷な生活状況が語られる。伸一は、広布誓願の祈り、「努力」と「工夫」の大切さを強調。支部結成が発表されると、友の歓喜と決意は最高潮を迎える。その後、一行はロサンゼルスに入り、ここでも支部を結成。彼は、24日間の平和旅で、3カ国9都市を巡り、2支部17地

<名場面編>

肉体が限界を超えても

打ち合わせが終わったのは深夜だった。伸一の肉体の疲れたは既に限界を超え、目まいさえ覚えた。しかし、バッグから便箋を取り出すと、机に向かい、ペンを走らせた。日本の同志への激励の便りであった。手紙は何通にも及んだ。彼は憔悴の極みに代わってブラジルの大地を踏み、広布の開拓のクワを振るう喜びが脈動していた。その歓喜と闘魂が、広宣流布を呼びかける。熱情の叫びとなってあふれ、ペンは便箋の上を走った。「今、私の心は、わが身を捨てても、戸田先生の意志を受け継ぎ、広布の総仕上げをなそうとの思いでいっぱいです。そのために大事なのは人です。大人材です。どうか、大兄も、私とともに、最後まで勇敢に、使命の道を歩まれんことを切望いたします。そして、なにとぞ、私に代わって支部の全同志を心から愛し、幸福に導きゆかれんことを願うものです」日本の同志は、この時、伸一が、いかなる状況なかで手紙を記していたかを、知る由もなかった。しかし、後日、それを知った友は、感涙にむせび、拳を振るわせ、共戦の誓いを新たにするのであった。人間の心を打つものは、誠実なる行動以外にない。(「開拓者」の章、290~291ページ)

第1巻

<御書編>

御文

法華経ほけきょう大白法だいびゃっぽう日本国並のほんこくならびに一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか(御書265ページ、撰時抄)

通解

法華経の大白法が、日本の国並びに一閻浮提いちえんぶだい(全世界)に広宣流布こうせんるふすることも、うたがいないことではないか。

小説の場面から

(1960年10月2日、山本伸一h初の海外訪問へ。機中、「世界に征くんだ」との恩師の遺言や、激化する東西冷戦などの国際情勢に思いをはせ、自身の使命をかみ締める)

幸の大光を世界へ

伸一は思った。”日蓮大聖人は、人類の苦悩をわが苦とされ、立正安国の旗を掲げて立たれた。まさに幸福と平和への軌道の法則を示されたのである。そして、「法華経の大白法の日本国並びに一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか」と、世界の広宣流布を予言され、その実現を後世の弟子たちに託された。今、その時が来たのだ”この世に生を受けて三十二年ーー世界広布を生涯の使命とし、その大業の扉を今、自らの手で開きゆくことを思うと、伸一の心は踊った。また、人間を拘束する、すべての鉄鎖を解き放つ方途と示している。まさに、人間の「尊厳」と「平等」と「自由」を打ち立てた、この日蓮大聖人の仏法こそ、二十世紀の未来を放つ、全人類の平和のための世界宗教にほかならない。「旭日」の章、15~16ページ


御文

命限いのちかぎおしからずついねがきは仏国土也ぶっこくどなり(御書955ページ、富木入道殿御返事)

通解

命は限りあるものである。これを惜しんではならない。ついに願うべきは仏国土である。

小説の場面から

〈海外平和旅の3番目の訪問都市・シアトルで、伸一の体調は悪化。病魔と闘いながら工程を進め、シアトルの名所・ワシントン湖に立ち寄る〉

限りある時間との戦い

湖面の彼方に、山々が雨で淡く霞み、黄や赤に染まった森の木々が水彩画のように見えた。「本当にきれい!まるで絵のようね・・・・。でも、この美しい葉も、すぐい散ってしまうと思うと、無常を感じるわね」しんみりした口調で、清原かつが言った。伸一はそれに笑顔で応え、静かに語った。「鮮やかな紅葉は、木々の葉が、限りある命の時間のなかで、自分を精いっぱいに燃やして生きようとする姿なのかもしれないね・・・・。すべては無常だ。人間も生老病死を避けることはできない。だからこそ、常住の法のもとに、一瞬一瞬を、色鮮やかに燃焼させながら、自らの使命に生き抜く以外にない。人生は、限りある時間との戦いなんだ。それゆえに、日蓮大聖人も『命限り有り惜しむ可からず遂に願う可きは仏国土也』と明確に仰せになっている。今の私にほしいのは、その使命を果たすための時間なんだ・・・・」最後の言葉には、伸一の切実な思いが込められていた。しかし、その深い心を汲み取る人はいなかった。色づく錦秋の木々にも増して、伸一の心には、広宣流布への誓いが、鮮やかな紅の炎となって燃え盛っていた。「錦秋」の章、164ページ

三指針の意義

ここにフォーカス「新世界」の章では、山本伸一がアメリカの日系の同志に、①市民権を取得し、良き市民に②自動車の運転免許の取得③英語の習得ーーを提案する場面が描かれています。この三つの指針の意義について、米国の宗教史学者リチャード・シーガー博士は、こう述べています。「日系社会に閉じこもりがちだった他の仏教団体の中にあって、アメリカ社会に開いた活動を会員に促したことは、仏教のグローバル化の第一歩を印す貴重な事跡であったといえる」伸一が示した三指針は、「今いる場所に根を張る」ことの大切さを訴えたものといえます。地域を愛し、地域と共に生きる。ここに、学会が世界宗教として飛翔する第一歩がありました。「地域広布」即
「世界広布」です。三指針の精神性は、世界広布の未来を照らす不滅の輝きを放っています。

第1巻

<解説編>

紙面講座池田主任副会長

小説『新・人間革命』第1巻の「はじめに」には、池田先生が執筆を思い立った理由が二つ挙げられえちます。一つは「先生亡き後の広宣流布の世界への広がりこそが、恩師の本当の偉大さの証明になると考えたから」(2ページ)であり、もう一つは「恩師の精神を未来永遠に伝えゆくには、後継の『弟子の道』を書き残さなければならないと思いから」(同)でした。すなわち、池田先生にとって、『新・人間革命』の執筆は、恩師の偉大さを証明し、その精神を未来永遠に伝えゆく弟子の実践だったのです。前作の小説『人間革命』は、「黎明」の章から始まります。これに対して『新・人間革命』は、「旭日」の章からスタートします。「黎明」「旭日」は、どちらも太陽が関係する表現ではありますが、意味合いが少し異なります。「黎明」とは、夜明け。この黎明の後に昇るのが「旭日」です。『人間革命』では、戸田先生の心の中だけに「黎明」があったと述べられています。つまり、戸田先生お一人の心から始まった「地涌の菩薩」としての自覚と実践が、弟子・山本伸一に受け継がれ、旭日の勢いで、世界へ広宣流布が広がっていったのです。さて、『新・人間革命』第1巻が発汗されたのは1998年(平成10年)の1月2日。池田先生が70歳の古希を迎えた日です。この2日後の1月4日付の聖教新聞に、第1回となる「随筆 新・人間革命」が掲載されました。その中で先生はご自身の来し方を10年ごとに振り返りつつ、未来を展望されます。「七十歳まで・・・新しき人間主義の哲理を確率 八十歳まで・・・世界広布の基盤完成なる哉 このあとは、妙法に説く不老不死のままに、永遠に広宣流布の指揮をとることを決意する」『新・人間革命』第1巻の「あとがき」には、こうあります。「生命の続く限り、動き、語り、そして、遺言の思いで、『新・人間革命』を書き続けていくつもりである」(353ページ)。この『新・人間革命』を執筆することによって、池田先生は、創価三代の精神を後世に、また永遠に留めていこうとされたのだと思えてなりません。

皆がダイヤの原石

第1巻について、三つの観点から考えていきたいと思います。第1のポイントは「時代背景」です。伸一が世界広布の第一歩を刻んだ60年(昭和35年)は、国内外において激動の時代でした。日本では安全保障条約の改定を巡り、国論は二分していた。世界は冷戦時代の真っただ中で、核兵器の脅威にさらされていました。アメリカ国内を見ても、人種差別が続いていた。ブラジルでは、日系移住者が数多くの労苦を抱えていました。伸一は、その国や地域の時代背景を踏まえた上で指導しています。第2のポイントは「世界宗教への幕開け」です。伸一は、恩師から託された世界広布を、どう具体的に進めていくか。人知れず模索していました。サンフランシスコでは、信心していない壮年を地区の顧問に任命したり、ネバダ州から来ていた夫婦と会うや、ネバダ地区の結成を決めたりします。これについて、「彼の打つ手の一つ一つは、決して、単なる思い付きではなかった。たとえ瞬時に下された決断であっても、広宣流布のために一念に億劫の辛労を尽くしての熟慮があった」(122ページ)と記されています。また、「アメリカという新天地に、題目を染み渡らせる思いで、国土の繁栄を祈り念じ、常に唱題を心がけていた」(190ページ)とつづられている通り、伸一は訪問した先々で、友の幸福と地域の発展を胸中で祈りながら、平和旅を続けました。こうした真剣な祈りと、24日間で3カ国9都市を巡るという激闘によって、2支部17地区が結成され、世界宗教への幕が開かれたのです。最後のポイントは、世界広布といっても、「目の前の『一人』を励ますことから始まる」ということです。たとえ支部や地区をつくっても、組織を担っていくのは「人」だからです。サンフランシスコで、”人材がいない”と嘆く同行の幹部に対し、伸一はこう語ります。「みんな人材です。これから光ってゆきます。純粋に信心を全うしていけば、みんな広布の歴史に名を残すパイオニアのたちです」(132ページ)伸一にとては、一人一人が「ダイヤモンドの原石」でした。その宝の人材を伸一自らが率先して「見つけ」「磨き」「育てる」ことを実践したのです。シカゴでは、ホテルの廊下に座り込んで、伸一の帰りを待っていた婦人たちと懇談しました。皆、身なりも立派ではなかった。しかし、伸一は「仏」と捉え、全力で激励していきます。外見や立場などで、決してその人を判断しない。また、信心していなくとも、一つ一つの出会いに心を注ぎ、友情をはぐくんでいく。それが、伸一の信念であり、私たち一人一人が模範とすべき根本姿勢です。

「征」の一字の意味

「旭日」の章に、戸田先生が伸一に語った言葉がつづられています。「伸一、生きろ。うんと生きるんだぞ。そして、世界に征くんだ」(14ページ)ここで注目したいのは、「ゆく」の漢字が「行」ではなく、「征」となっている点です。この「征」の字には「攻めに向かう」といった意味が含まれています。第1巻の最後には「伸一にとって、この旅は、果てしなき平和への遠征の始まりであった。」(346ページ)と。恩師の「征くんだ」との叫びは、池田先生にとって戸田先生と歩む「平和への遠征」の原点にほかならなかったのです。学会歌「人間革命の歌」の歌詞の中に、「君も征へ 我も征く 吹雪に胸はり いざや征け」とあります。私たちも小説『新・人間革命』を学びながら、師と共に「平和への遠征」へ出発のしようではありませんか。

名言集

幸福の宮殿

幸せの大宮殿は、あなた自身の胸中ににある。そして、その扉をを開くための鍵が信心なんです。(「旭日」の章、58ページ)

「時」を逃すな

戦いの勝敗も、いかに一瞬の時を生かすかにかかっている。友への励ましにも、逃してはならない「時」がある。(「新世界」の章、114ページ)

師子の存在

いずこの地にあっても、広布を推進していくには、一人立つ師子の存在が不可欠である。いかなる困難にも敢然と立ち向かい、広宣流布の全責任を担おうとする「人」がいなければ、向上も、発展もありえない。(「錦秋」の章、202ページ)

大木とマッチ棒

大きな釣鐘があっても、どんな撞木をつかうかによって、音の出方は違ってくる。大木で力いっぱい突けば、大きな音が出るけれど、マッチ棒や割り箸で叩いたのでは、小さな音しか出ないでしょう。これと同じように、御本尊は、無量の仏力、法力を具えていますが、こちらの信力、行力が弱ければ、マッチ棒で釣鐘を叩いているようなもので、大きな功徳を出すことはできない。(「慈光」の章、237~238ページ)

誓願の祈り

日蓮仏法の祈りは、本来、”誓願”の唱題なんです。その”誓願”の根本は広宣流布です。つまり、”私は、このブラジルの広宣流布をしてまいります。そのために、仕事でも必ず見事な実証をしめしてまいります。どうか、最大の力を発揮できるようにしてください”という決意の唱題です。これが私たちの本来の祈りです。そのうえで、日々、自分のなすべき具体的な目標を明確に定めて、一つ一つの成熟を祈り、挑戦していくことです。その真剣な一念から、智慧が湧き、創意工夫が生まれ、そこに成功があるんです。(「開拓者」の章、295ページ)

人生の開拓者

人は皆、人生という原野をゆく開拓者です。自分の人生は、自分で開き、耕していく以外になりません。信心というクワを振るい、幸福の種を蒔き、粘り強く頑張ることです。広宣流布のために流した汗は、珠玉の福運となり、永遠にあなたを荘厳していきます。(「開拓者」の章、300ページ)