世界広布の大道「新・人間革命に学ぶ」

小説「新・人間革命」に学ぶ

今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第22巻の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を紹介する。次回の「名場面編」は12日付、「御書編」は19日付、「解説編」は9日付の予定。

第22巻

<基礎資料編>

物語の場面 1975年(昭和50年)5月30日~12月29日

「新世紀」の章

1975年(昭和50年)6月、山本伸一は「新世紀」への飛翔のために、東京各区をはじめ、各地の首脳幹部との協議会に力を注ぐ。新会館の建設や記念行事の開催の決定など、新しい前進の目標が打ち出される。7月3日、戸田第2代会長の出獄30周年記念集会で伸一は、恩師が提唱した「地球民族主義」の大構想を実現するため、命の限り走り抜くとあいさつする。青年部は、7月に男子部、女子部の結成記念日を迎えることから、「聖教新聞」で、座談会「青年が語る戸田城聖観」を連載開始。師と共に新しい時代を開く青年の熱意があふれる紙面となった。また、伸一と文学界の巨匠・井上靖との手紙による語らいが、「四季の雁書」として月刊誌「潮」7月号から連載を開始。生死の問題をはじめ、幅広い対談は12回にわたり、77年(同52年)に単行本として結実する。さらに、伸一は、“経営の神様”といわれる松下幸之助とも、出会いを重ね、書面を通しての語らいを進めてきた。人間の生き方から、日本、世界の進路など、テーマは多岐にわたり、75年の10月、往復書簡集『人生問答』が発刊に至る。

<名場面編>

〈1975年(昭和50年)ごろから、学会は会館の整備にも力を注いだ。会館というと、山本伸一には、戸田城聖の事業が窮地に陥った時の、忘れられない思い出があった〉

師への誓いが会館建設の礎

ある日、戸田と伸一は日比谷方面に出かけた。どしゃ降りの雨になった。傘もなく、タクシーもつかまらなかった。全身、ずぶ濡れになった戸田を見て、伸一は胸が痛んだ。弟子としていたたまれぬ思いがした。目の前に、GHQ(連合国軍総司令部)の高いビルがそびえ立っていた。そのビルを見上げて、伸一は戸田に言った。「先生、申し訳ございません。必ず、将来、先生に乗っていただく車も買います。広宣流布のための立派なビルも建てます。どうか、ご安心ください」弟子の真剣な決意を生命で感じ取った戸田は、嬉しそうにニッコリと頷いた。(中略)戸田は、会員のために、一刻も早く、広い立派な建物をつくりたいと念願していた。皆に申し訳ない気持ちさえ、いだいていた。しかし、そんな戸田の心も知らず、「学会も早く本部をつくらなければ、何をやるにも不便で仕方ありませんな。そろそろ、世間があっと驚くような、建物の一つももちたいものですね」などと言う幹部もいた。すると、戸田は強い口調で語った。「まだよい。かたちばかりに目を奪われるな。私のいるところが本部だ! それで十分じゃないか。今は建物のことより、組織を盤石にすることを考えなさい」山本伸一は、そんな戸田の言葉を聞くたびに、心に誓っていた。“先生、私が頑張ります。一日も早く、気兼ねなく皆が集える、独立した本部をもてるようにいたします”一九五三年(昭和二十八年)十一月、新宿区信濃町に学会本部が誕生した時、戸田はまるで、子どものような喜びようであった。(中略)戸田は伸一に言った。「将来は、日本中に、こんな会館が建つようにしたいな」伸一は、その言葉を生命に刻んだ。そして今、かつての学会本部をはるかにしのぐ、幾つもの大会館を、各県区に、つくれるようになったのである。(「新世紀」の章、11~15ページ)

<基礎資料編>

「潮流」の章

平和旅の第2の訪問地サンフランシスコは、日本と連合国との講和条約と日米安全保障条約の調印の地である。伸一は、対立する東西両陣営と新安保条約を巡って紛糾した日本の状況に思いをはせる。サンフランシスコでも地区を結成した伸一は、ネバタ州から来ていた夫婦と語り合い、ネバタにも地区を結成することを発表。アメリカ人の夫を地区部長に任命した。日系人以外の初の地区部長の誕生だった。また、座談会で伸一は、アメリカ広布を担っていくために、「アメリカの市民権を取得し、良き市民に」「自動車の運転免許を取ること」「英語のマスター」という三つの指針を提案。それは、アメリカの同志の誓いの3指針となっていく。さらに彼は、ミューア・ウッズ国定公園に向かう道中、ゴールデン・ゲート・ブリッジ(金門橋)の構造を通して、同行していた新任のリーダーに、異体同心の団結の重要性を訴える。公園からの帰途、コロンブス像の前で代表のメンバーと記念撮影するとともに、広布の新世界開拓の誓いを固くする。

<名場面編>

〈7月、ハワイで行われたパレードに、支部結成間もない、ニカラグアのメンバーが参加し、喝采を浴びた。支部婦人部長の山西清子は、帰国後、山本伸一に感謝の手紙を送る〉

真心の手紙は友の魂を触発

すると、多忙を極める伸一に代わって、峯子から長文の返事が届いた。「お便り嬉しく拝見いたしました。ハワイでお元気な姿に接し、また、五人もの同志が参加なさいましたことは、条件の違いを考えますと、日本ならば五百人にも相当するものであったと思います。ニカラグアの初のパレードに対し、私どもも目頭を熱くしながら、拍手を送らせていただきました」山西の手紙に対して、伸一は峯子に、自分の真情を語り、返書を認めるように頼んだのである。峯子からの手紙は、伸一の心でもあった。彼らは常に、こうした二人三脚ともいうべき呼吸で、広宣流布の仕事を成し遂げてきた。(中略)山西への手紙に、峯子は記した。「ニカラグアは、今、最も重要な、そして、大変な、土台づくりの時を迎えていると思います。どうか、焦らず、着実に、堅固な土台をつくっていってください。(中略)メンバーの要となり、懸命に奔走される姿に、本当によくなさっていると、敬服しております」(中略)さらに、手紙には、伸一の激闘の模様をはじめ、日本の同志が、どういう思いで活動に取り組んでいるのかも、綴られていた。「世間では、不況がますます深刻になりつつあります。学会員の皆さんは『こういう時こそ、信心している人は違うという事実が、はっきりする時だ!』と、一段と元気に、仏法対話に励んでおります」そして、「末筆ながら、ご主人様に、よろしくお伝えくださいませ。また、皆様にも、よろしくお伝えくださいませ。御一家の御健康、御繁栄を心よりお祈りいたします。会長から、くれぐれも皆様によろしくとのことでございました」と結ばれていた。山西は、この手紙を涙で読んだ。“先生と奥様は、私たちのことも、みんな知ってくださっている。日本から遠く離れたニカラグアも、先生のお心のなかにある。先生も、奥様も、いつも、見守ってくださっている。頑張ろう。頑張り抜こう”(中略)生命の言葉は、人の魂を触発する。(「潮流」の章、186~188ページ)

<基礎資料編>

「波濤」の章

山本伸一は、ハワイから帰国すると、創価大学での夏季講習会で陣頭指揮を執る。8月3日の「五年会」の総会、4日の高等部総会での渾身の指導をはじめ、5日には総会に集った中等部員を、6日には少年・少女部員を見送るなど、激励を続ける。東京男子部の講習会では、外国航路で働く船員の集いである「波濤会」のメンバーと記念撮影。「波濤会」は、1971年(昭和46年)に結成された。大しけで遭難した貨物船の乗組員全員を救助し、総理大臣表彰を受けた「だんぴあ丸」の船長など、多くの人材が育つ。また、不況にあえぐ海運業界を勇気づけようと企画した「波濤会」の写真展は海外でも開催され、共感の波を広げる。9月9日、女子部学生局の幹部会に出席した伸一は、夜の会合の終了時間を午後8時30分とする「8・30運動」を提案。28日には、女子部の人材育成グループ「青春会」結成式へ。新時代の女性リーダーを育成するこの会は、その後、各方面でも結成される。伸一は21世紀を託す思いで魂を打ち込む。やがて広布の枢要な立場で活躍するメンバーや社会で重責を担う人材が育っていく。

<名場面編>

 〈9月、女子部の人材育成グループ「青春会」の結成式が行われた。山本伸一は、参加者の質問に答え、未来を託す思いで、渾身の力をふりしぼるように指導する〉

信頼の絆でつくる人間組織

質問は、さらに何問か続いた。いずれも、組織をどう発展させるかなど、広宣流布への一途な思いを感じさせる質問であった。伸一は、未来への希望と力を感じた。彼は、皆の質問に答えて、組織としての運動の進め方などについて述べたあと、最後に、魂を打ち込むように訴えた。「組織といっても、人間関係です。あなたたちが、自分の組織で、一人ひとりと、つながっていくんです。単に組織のリーダーと部員というだけの関係では弱い。周りの人たちが、姉のように慕ってくるようになってこそ、本当の人間組織です。組織を強くするということは、一人ひとりとの、信頼の絆をつくっていく戦いです。あなたたちが皆から、“あの人に励まされ、私は困難を克服した”“あの人に勇気をもらった”と言われる存在になることです。私も、そうしてきました。全学会員とつながるために、常に必死に努力しています。なんらかのかたちで、激励する同志は、毎日、何百人、何千人です。この絆があるから、学会は強いんです。その人間と人間の結合がなくなれば、烏合の衆になる。学会は、滅びていきます。この点だけは、絶対に忘れないでほしい」皆、真剣な顔で、瞳を輝かせていた。伸一は、笑みを浮かべた。「では、みんなで写真を撮ろう。これは、大事な、誓いの証明写真だ」伸一は、メンバーを前に並ばせ、自分は、後列に立った。フラッシュが光り、シャッター音が響いた。写真撮影が終わると、彼は、皆に視線を注ぎながら言った。「もし、ほかの人が誰もいなくなっても、このメンバーが残ればいいよ。私がまた、一千万にするから。一緒にやろう。みんな、何があっても、退転だけはしてはいけないよ」(「波濤」の章、299~300ページ)

<基礎資料編>

「命宝」の章

この世で最も尊厳な宝は、生命である。山本伸一は、9月15日、ドクター部の総会に初めて出席。この日は、「ドクター部の日」となる。11月7日夕刻、広島入りした伸一は、落成間もない広島文化会館を視察。夜には開館式に出席する。8日には、平和記念公園の原爆死没者慰霊碑に献花し、祈りを捧げる。9日、被爆30年を迎えた広島で本部総会を開催。伸一は、この地上から一切の核兵器が絶滅する日まで、最大の努力を傾けることを宣言し、広島での国際平和会議の開催など、具体的な取り組みを提案する。さらに、創価学会の社会的役割などに言及し、講演は1時間20分にも及んだ。終了後、来賓のレセプションを終えた伸一は、広島未来会第2期の結成式へ。少年少女合唱団も招き、交流のひとときをもつ。10日には、海外メンバーの歓迎フェスティバル、原爆犠牲者の追善勤行会などが続くなか、広島会館へ。会館前の民家の主人とも対話を交わす。11日、予定を変更し、呉会館を初訪問。駆け付けたメンバーと勤行する。また、広島文化会館に戻る途次にも、学会員を見つけては、励ましを送る。

<名場面編>

〈11月、山本伸一は広島を訪問。当初予定のなかった呉を訪れ、勤行会を行う。広島市への帰途も、車中から激励が続く〉

「励まし」は創価の生命線

途中、生花店の前に、十人ほどの人たちが、人待ち顔で道路の方を見て立っていた。婦人や壮年に交じって、女子中学生や女子高校生もいた。伸一は、運転手に言った。「“うちの人”たちだよ。ちょっと、車を止めてくれないか」呉会館の勤行会に、間に合わなかったために、「せめて、ここで、山本会長をお見送りしよう」と、待っていた人たちであった。そこに黒塗りの乗用車が止まった。窓が開き、伸一の笑顔がのぞいた。歓声があがった。女子中学生の一人が、抱えていたユリやバラなどの花束を差し出した。伸一に渡そうと、用意していたのだ。「ありがとう! 皆さんの真心は忘れません。また、お会いしましょう」伸一は、こう言って、花束を受け取った。――それから間もなく、そこにいた人たちに、伸一から菓子が届いた。また、しばらく行くと、バスの停留所に、何人かの婦人たちがいた。はた目には、ただ、バスを待っている人にしか見えなかった。「今、バス停に、“うちの人”が五人いたね。念珠と袱紗を贈ってあげて」伸一の指示を無線で聞いた後続車両の同行幹部が、念珠などを持って停留所に駆けつけると、確かに五人の婦人たちは、皆、学会員であった。同行幹部の驚きは大きかった。学会員は、皆が尊き仏子である。皆が地涌の菩薩である。その人を、讃え、守り、励ますなかに、広宣流布の聖業の成就がある。ゆえに、伸一は、大切な会員を一人として見過ごすことなく、「励まし」の光を注ごうと、全生命を燃やし尽くした。だから、彼には、瞬時に、学会員がわかったのである。「励まし」は、創価の生命線である。彼は、その会員厳護の精神を、断じて全幹部に伝え抜こうと、決意していたのである。(「命宝」の章、401~402ページ)

第22巻

<御書編>

御文

日蓮と同意どういならば地涌じゆ菩薩ぼさつたらんか(御書1360ページ、諸法実相抄しょほうじっそうしょう

通解

日蓮と同意であるならば、地涌じゆ菩薩ぼさつであることは間違いないであろう。

小説の場面から

<人材育成グループ「五年会」の第3回総会で、山本伸一は、師弟について語る>

「日蓮大聖人と『同意』であることが、信心の根本です。その大聖人の御心のままに、広宣流布の大誓願に生き抜いたのが、牧口先生、戸田先生に始まる創価の師弟です。ゆえに、創価の師弟の道を貫くなかに、大聖人と『同意』の実践があります。具体的な生き方でいえば、自分の心の中心に、常に厳として師匠がいるかどうかです」(中略)初代会長の牧口常三郎も、第二代会長の戸田城聖も、国家神道を精神の支柱にして戦争を遂行しようとする、軍部政府の弾圧によって投獄された。(中略)戸田は、日蓮大聖人の御金言通りに、広宣流布のために戦う牧口に、勇んで随順したのだ。そこに、「日蓮と同意」という御聖訓に則った、現代における実践がある。(中略)

広布の大誓願に生き抜け

戸田は、牧口という師と同じ心、同じ決意に立つことによって、地涌の菩薩としての使命を自覚することができたのだ。伸一は、この牧口と戸田の師弟の絆について触れ、若い魂に呼びかけた。「私は、その戸田先生に仕え、お守りし、共に広宣流布に戦うなかで、自分の地涌の菩薩の使命を知りました。創価学会を貫く信仰の生命線は、この師弟にあります。どうか諸君も、生涯、師弟の道を貫き、この世に生まれた自身の崇高な使命を知り、堂々たる師子の人生を歩み抜いていただきたいのであります」(「波濤」の章、202~204ページ)


御文

命限いのちかぎおしからずついねがきは仏国土也ぶっこくどなり(御書955ページ、富木入道殿御返事)

通解

命は限りあるものである。これを惜しんではならない。ついに願うべきは仏国土である。

小説の場面から

<1975年(昭和50年)11月9日、山本伸一は、広島で開催された第38回本部総会で講演。広布の使命と自覚について語る>

創価学会は個人の中に

「皆さん方、一人ひとりが、創価学会そのものです。それ以外には、創価学会の実体はありえないと確信していただきたい。また、一人ひとりに、それだけの、尊い使命と資格があると説いているのが、日蓮大聖人の仏法であります」自分自身が創価学会なのだ。そして、自分の周りの同志との絆が、自分のブロックが、創価学会なのだ。ゆえに、自身が成長し、友のため、社会のために尽くし、貢献した分だけが、広宣流布の前進となるのである。自分が立ち上がり、勝っていく以外に、学会の勝利はない。社会の組織は、集団のなかに埋没するようにして個人がいる。しかし、学会は、それぞれの個性の開花をめざす、異体同心という人間主義の組織である。その組織の目的は、広宣流布の推進にある。それは、生命の哲理を人びとの胸中に打ち立て、人間の尊厳を守り、輝かせていく聖業なのだ。私たちは、組織のなかの個人というだけでなく、自身の規範、誇り、勇気の源泉として、それぞれの心の中に、創価学会をもっている。つまり、個人のなかに創価学会があり、その自覚が、各人の心中深く根を張っていることに、学会の強さがあるのだ。 (「命宝」の章、362~363ページ)

ここにフォーカス 「いよいよ」の心意気

ここにフォーカス20世紀を代表する歴史学者トインビー博士は、1967年(昭和42年)11月、実業家の松下幸之助氏と対談した折、「これからの日本にとって一番大切な人は誰か」と尋ねます。この問いに、松下氏は池田先生の名を挙げました。氏が先生と初めて会ったのは、その1カ月前の67年10月に行われた東京文化祭。役員の対応、一糸乱れぬ演技とともに、氏の胸を打ったのは、先生の心遣いでした。多くの来賓の対応で多忙な中、先生は担当者を氏のもとに向かわせ、「なにか不都合はありませんか」等と伺います。この対応に、氏は「なんでもないことのようだが、(中略)そこまで心をくばっておられることに私は驚いた」と振り返っています。「新世紀」の章に、「人との出会いは『一期一会』」「渉外は、誠実をもってする真剣勝負」とあります。この伸一の信念が、氏の心に感動を呼び起こしたのです。88年(同63年)1月、還暦(60歳)を迎えた伸一に、氏は「本日を機に、いよいよ真のご活躍をお始めになられる時機到来とお考えになって頂き、もうひとつ『創価学会』をお作りになられる位の心意気で」と祝詞を贈りました。今年の10月2日は、池田先生の海外初訪問から60周年の佳節。私たちも「いよいよ」との決意で世界平和を誓い、祈り、わが地域から新たな歴史の一歩を刻みましょう。

第22巻

<解説編>

紙面講座池田主任副会長

広島の被爆から75年となった今月6日、聖教新聞(10面)に、平和のためのヒロシマ通訳者グループ・小倉桂子代表のインタビューが掲載されました。8歳で被爆した小倉さんが、原爆の時に感じた不安・恐怖を、その後、2度経験されたというのが印象的でした。一つは2011年3月の福島原発事故、もう一つは今回のコロナ禍です。小倉さんは、平和のために闘う「ヒロシマの心」は、核兵器廃絶の精神だけでなく、「私たちの生存を脅かす、あらゆる『敵』と闘う強い心」であるとし、新しい一歩を踏み出すことを訴えます。私たちが、小説『新・人間革命』を学ぶ意義の一つも、75年前の戦争の史実を風化させずに、“平和の心”を継承し、新しい時代を開くことにあります。さて、第22巻は、終戦・被爆から30年となる1975年(昭和50年)が舞台です。21世紀を『平和の世紀』『人間の世紀』『勝利の世紀』『栄光の世紀』、そして『戦争なき世紀』『生命の世紀』」(7ページ)とするために、山本伸一は米ハワイや広島などで、激励行を重ねていきました。とりわけ、広島での本部総会に向け、伸一は果敢な平和行動を展開しました。1年半の間で、3度の訪中、2度の訪ソを実現し、平和・文化・教育の「友好の橋」を架けたのです。さらに同年1月26日には、SGI(創価学会インタナショナル)が結成されました。11月、広島を訪問した伸一は、現地の青年部に真情を語ります。「私は、平和への闘争なくして、広島を訪ねることはできないと思っています。それが戸田先生に対する弟子の誓いなんです」(342ページ)こう語る背景には、広島指導を目前に倒れた第2代会長・戸田先生の、壮絶な闘争がありました。57年(同32年)9月8日、戸田先生は、歴史的な「原水爆禁止宣言」を発表。同年11月、広島平和記念館(当時)で行われる大会に出席し、平和への新たな潮流を起こそうとされました。しかし、体の衰弱は激しく、広島への出発の朝、倒れてしまいます。その恩師の闘争を知る伸一にとって、平和への戦いなくして、広島の地を踏むことはできなかったのです。「潮流」の章に、「『ヒロシマの心』とは『平和の心』であり、それは『創価の心』だ。だから、私たちには、世界平和への波を起こしていく使命がある」『新・人間革命』第1巻の「あとがき」には、こうあります。「生命の続く限り、動き、語り、そして、遺言の思いで、『新・人間革命』を書き続けていくつもりである」(135ページ)と記されています。広島に原爆が投下された8月6日を、池田先生が小説『新・人間革命』の起稿・脱稿の日とされたのも、恩師の平和への熱願を継承するとの弟子の誓いであり、その誓いを若い世代に託し、未来に伝え残すためではないでしょうか。世界の識者が池田先生を称賛するのは、“平和の行動”の先駆者だからです。「平和のために、何をするのか――その具体的な行動こそが、肝要」(345ページ)です。平和の道は、どこか遠くにあるわけではありません。自身の地域・職場で、「友情を結び合っていくなかに、激動する世界に平和の火を点ずる道がある」(42ページ)のです。

「会長に聞く」の意義

今月は、池田先生が戸田先生と運命的な出会いを結んでから73年。池田先生は、恩師を宣揚し続けられました。弟子が師匠を宣揚するのは、「運動の原点を明らかにすること」(24ページ)です。「師の教え、生き方のなかに、自分たちの運動の目的が示されている」(同)からです。いかなる時も、師匠という原点に立ち返った時、進むべき正しい道が明確になっていきます。伸一は、文豪・井上靖氏に、恩師への思いを吐露します。「私の心の中には、いつも戸田城聖という人格がありました。それは生きつづけ、時に黙して見守りながら、時に無言の声を発するのです。生命と生命の共鳴というのでしょうか」(52ページ)それに対し、氏は、師弟の絆が“会う”“会わない”を超えた「運命的なもの」(53ページ)であると讃嘆しました。法華経には「在在の諸仏の土に 常に師と俱に生ず」――つまり、仏法の師弟は三世永遠の絆で結ばれていると説かれます。師弟は「一体」なのです。大切なのは、弟子が心の中に師をいだき、師と共に戦おうとする求道心です。戸田先生とお会いしたことがない青年たちが、“戸田先生について教えてもらいたい”と伸一に要望した時、「戸田先生の指導は、ほとんど本に収録されているし、私もこれまで、先生のことは、みんなに話してきた」「今度は、みんなで先生の指導について思索し、君たちにとって“戸田先生とは”また“学会の師弟とは何か”を考えていくんだよ」(25ページ)と、大いに語り合うことを望んだのです。池田先生の第3代会長就任60周年の本年、いやまして、池田門下が師に学び、師を語る時です。現在、「青年部が原田会長に聞く」が聖教新聞で連載され、後継の青年が主体的に師匠について学ぶ一助にもなっています。積極的にひもときながら、創価の魂を継承していきたいと思います。

「世界青年部総会」へ

「命宝」の章では、「激動する社会のなかで、時代を正常な軌道へと引き戻していく力、生命のバイタリティーを、民衆一人ひとりの心田に植え付けていく」(361ページ)ことが、宗教の根本的な使命であると強調されています。感染症や異常気象等、不安が覆う中で、社会を“正常な軌道”へと導いていく役割が創価学会にはあるのです。目の前の課題から逃げたくなることもあるでしょう。しかし、「社会のかかえる大テーマを、自らの課題ととらえ、仏法者の立場から、解決のための挑戦と努力を開始していくところに、日蓮仏法の精神がある」(160ページ)とある通り、困難に挑み続けていくところに、希望の未来が開かれます。青年部は、10・2「世界平和の日」60周年の佳節を「世界最大の青年の連帯」で荘厳しようと、「世界青年部総会」をオンラインで行います。コロナ禍の中、一人一人がさまざまな状況を抱えながらも、友情を広げています。「波濤」の章では、「社会が創価学会の真価をわかるまでには、二百年かかるだろう。学会は歴史上、かつてない団体だから、誰も、その本当のすばらしさがわからないのだ」(272ページ)との戸田先生の言葉が紹介されています。歴史的な師弟誓願の会座「世界青年部総会」は、学会創立100周年、さらには創立200周年に向かう世界広布の新たな歴史を開く第一歩となると確信します。後継の青年に励ましを送りながら、わが地域に大いなる青年の連帯を築いてまいろうではありませんか。

名言集

「自律」と「自立」

師弟とは、形式ではない。常に心に師があってこそ、本当の師弟である。心に師がいてこそ、人間としての「自律」があり、また、真の「自立」があるのだ。(「新世紀」の章、13ページ)

原点に返る

行き詰まったら原点に返ることだ。唱題から出発するのだ。妙法は宇宙の根源の法なるがゆえに、妙法への祈りこそ、一切を動かす原動力となるのだ。(「潮流」の章、119ページ)

“良き市民”に

SGIの精神とは、一人ひとりが、その国や地域の“良き市民”となることだ。“良心”となることだ。社会の繁栄と平和と、人びとの幸福を築く原動力となることだ。(「潮流」の章、174ページ)

人材を見つける

人材を見つけようとすることは、人の長所を見抜く力を磨くことだ。それには、自身の慢心を打ち破り、万人から学ぼうとする、謙虚な心がなければならない。まさに、人間革命の戦いであるといってよい。(「波濤」の章、284ページ)

“精神”の戦い

創価学会の社会的役割、使命は、暴力や権力、金力などの外的拘束力をもって人間の尊厳を冒し続ける“力”に対する、内なる生命の深みより発する“精神”の戦いである。(「命宝」の章、361ページ)